BIOGRAPHY

REMY MA


Bio

81年に、ヒップホップ誕生の地であり、そしてアメリカでも有数のゲットーであるニューヨークはブロンクス地区に生まれた彼女、本名レミー・スミスは、貧しい黒人家庭ではさまざまな理由からシングル・マザーがあたりまえだけれど、やはり実の父親のことは知らないと言う。しかも母親は「刑務所を出たり入ったり」という人だったので、彼女は兄弟4人とも離れて、12、13歳の時から友達の家を転々とし、ひとりで生きてきたのだそうだ。

それでも、もともと詩を書くのが好きだったと言うけど、ノトーリアス・B.I.G.やウータン・クランの登場で当時、それまで以上に盛り上がっていたヒップホップに夢中になり、12歳の頃からもうラップし始めていたと言う彼女に、ある日チャンスがめぐってきた。知人に連れられ近所に住んでいたというビッグ・パンの家に行き、そこでラップしてみせると、パンはすぐに彼女の才能を見抜く。そして、98年のデビュー・アルバムの成功で全米の人気者となった彼は、2000年の2nd『Yeeeah Baby』で彼女をフィーチャー。このアルバム中の”Ms. Martin”と”You Was Wrong”の2曲で彼女はレコード・デビューを果たしたのだけど、特に前者はタイトル通り、彼女が主役となってラップする、彼女を世間に紹介するための曲だった。なおこのデビュー時、彼女はレミー・マーティン(Remi Martin)と名乗っていた。

彼女の恩人と言っていいだろうビッグ・パンはしかし、『Yeeeah Baby』の発売を待たずに急逝してしまう。そんな彼が見出したということもあってか、レミー・マーティンはその後も、MOPの大ヒット曲”Ante Up”のリミックスを始め多くの曲でフィーチャーされていく(もちろん、彼女の面倒を最も見たのはビック・パンの兄貴分だったファット・ジョーで、彼は自身のアルバムで常に彼女をフィーチャー、その存在をさらに広めていった)。

そして2002年、レミー・マー(Remy Ma)と名前をあらためた彼女は、ビッグ・パンも所属していたラウド・レコーズと契約を結び、満を持してソロ・デビュー・シングル”Monster”をリリースする。ところが「ラウドがソニーに買収され、1年ぐらいは法律的な問題で身動きが取れなくなっていたの。その後も1~2年は、特にどことも契約していなかったわ。でも、ファット・ジョーのアルバムやツアーにも参加していたから、フリーエージェントの立場で十分に楽しめていたの」というわけで、アルバムのリリースはお預けとなる。しかし2004年になって、ファット・ジョー軍団の一員となっていたレミー・マーは、そのテラー・スクワッドのアルバム『True Story』でジョーと並び主役として大活躍。そして、収録曲のひとつ”Lean Back”がこの年を代表するほどの大ヒットとなる。これにより、テラー・スクワッドはグラミー賞にノミネートされ、またレミー・マー個人は〈BET Awards〉でベスト女性ラッパー賞を受賞したのを始め、さまざまなアウォーズでの受賞を果たした。人気急上昇となった彼女には多くのレーベルから契約の話がきたが、彼女が選んだのはSRC/ユニバーサルだ。このSRCレコーズは、ラウドのボスだったスティーヴ・リフキンドが新たに作ったレーベルで、彼やジョーに「もう一度チャンスをくれ」と今度は頼まれて、彼女はソロ契約に至った。