BIOGRAPHY

NEW EDITION


ボストンはロクスベリー出身で同じ小学校に通ってたリッキー・ベル、マイケル・ビヴンス、ボビー・ブラウンが小遣い稼ぎで歌い始めたのが1978年。その 後、4人目のメンバーとしてやはり友達だったラルフ・トレスヴァントを迎え、1980年にいくつかのタレント・ショウで賞を獲得後、ロニー・デヴォーが加 入。その頃、当時才覚を発揮しプロデューサー、コンポーザーにしてインディー・レーベル=ストリートワイズのオーナーであったモーリス・スターに見い出さ れ契約。そして1983年、シングル「キャンディ・ガール」でレコード・デビューを果たす。インディーからのリリースにもかかわらず大ヒットを記録。それ を受けメジャー・レーベル=MCAが契約をオファー、その結果モーリス・スターは、名前使用禁止などの訴えを起こすが、訴えは棄却、ニュー・エディション は無事MCAとの契約を果たす(敗れたモーリス・スターは、このコンセプトをそのまま白人ボーイ・グループに適応、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックを 誕生させたのは有名な話)。

晴れてのMCAからのデビューとなったセルフ・タイトル・アルバム『ニュー・エディション』は、1984年にリリース。そのアルバムからは「クール・イッ ト・ナウ」、レイ・パーカー・Jrのペンによる「ミスター・テレフォンマン」といった大ヒット・シングルが生み出され、ニュー・エディションは瞬く間にア メリカではトップ・ティーン・アイドル・グループとして絶大な人気を確立した。続く1985年には『オール・フォー・ラヴ』をリリース、変声期を迎え、単 なるアイドルから大人の世界へと入る成長の過程を見事に反映した作品となる。その年にはクリスマス・アルバム『クリスマス・オール・オーヴァー・ザ・ワー ルド』を立て続けにリリース。翌86年を迎えるとボビー・ブラウンがソロ活動準備のためグループを脱退(87年『キング・オブ・ステージ』でソロ・デ ビュー、その後スーパースター街道経由のスキャンダラスな世界へ・・・)、4人となったニュー・エディションは、1986年、カヴァー・アルバム『アン ダー・ザ・ブルー・ムーン』を発表。1989年にはボビーの代わりにソロとして活動していたジョニー・ギルが加入、スーパー・プロデューサー・チーム=ジ ミー・ジャム&テリー・ルイスとガップリ四つに組んだアルバム『ハート・ブレイク』を発表、大ヒットを記録した(このアルバムはジャネット・ジャクソンと 並びジャム&ルイスの代表プロデュース作品ともなった)。

このアルバム発表を境に、メンバーのソロ・プロジェクト活動が目立ち始める。ジョニー・ギル、ラルフ・トレスヴァントのソロ、そしてほかの3人はベル・ビ ヴ・デヴォーとして市民権を得始めたヒップホップ・フレイヴァーを大胆に取り入れたユニークなアルバムをリリース。いづれも記録的なヒットを実現した。ま たその頃からマイク・ビヴンスは、ボーイズ・Ⅱ・メンなどの若い才能を発掘、プロデューサーとしても活動の幅を広げている。そしてそれぞれのソロ活動がエ スタブリッシュされた96年、ボビー・ブラウンも加わった最強のメンツでニュー・エディションとしてリユニオン・アルバム『ホーム・アゲイン』をリリー ス。大きな話題とともに歓待で迎えられ全米ツアーも敢行、大成功を収める。その後、再びソロ活動と平行しながら活動を続けるも、レコード会社との契約問題 などでアルバムのリリースが出来ない状況が発生、ツアー中心の活動を余儀なくされる。そしてデビュー以来20年を経た2004年、バッド・ボーイ・レコー ズのP.ディディが彼らの再びの旅立ちをサポートするために全精力を惜しみなく注ぎ立ち上がった。その結晶が、実に8年ぶりのスタジオ・アルバム『ワン・ ラヴ』である。