
ジョージア州出身。幼少の頃にカリフォルニアやニューヨークで生活をした後、13歳の時に両親の離婚を機に、教師をしていたフランス人の母とともに、パリに移住。ストリート・ミュージシャンとして活動した後、1996年に22歳でアルバム『ドリームランド』(ワーナー)でデビュー。20万枚という好セールスを記録するも、その後第一線から退く。2004年秋に8年ぶりのセカンド・アルバム『ケアレス・ラヴ』を発表。ユニバーサルを通じて全世界に配給された本作が100万枚以上の大ヒットを記録し、一躍シーンの最前線に返り咲いた。
◆出発点はパリの路上
1974年ジョージア州生まれ。幼少の頃にカリフォルニアやニューヨークで生活をしたのち、13歳の時に両親が離婚したのを機に、学校の教師をしていたフランス人の母とともに、パリに移住。しばらくして、パリのストリート・ミュージシャンたちと知り合いになり、いくつかのローカル・グループをかけもちして、そこでヴォーカルを担当。10代ですでにヨーロッパをツアーして廻るようになる。
◆早熟の天才
そうしたヨーロッパでの地道な活動が認められ、1996年に22歳でアルバム『ドリームランド』(Atlantic)でデビュー。ベッシー・スミス、ビリー・ホリデイ、ファッツ・ウォーラー、エディット・ピアフなど、主に1940年代以前の古いスタンダード・ナンバーを取り上げた彼女のヴォーカルには、すでに今日のようなノスタルジックでフレッシュな独自のスタイルが存在していた。まさに早熟の天才。
◆空白の8年間
デビュー作『ドリームランド』は20万枚の好セールスを記録。新人として順調なスタートを切ったものの、その後8年間の長きに渡ってシーンの一線から退いてしまう。その間何をしていたかは、謎。本人もこれについては多くを語らないが、どうやら何度か次作のレコーディングにトライしたものの、納得のいくものが一向にできないでいたらしい。完璧主義の性格が災いしたのか・・・。
◆堂々の復帰
スランプの日々の末、2003年アメリカの南部系レーベルのラウンダーと契約。ジョニ・ミッチェルのパートナーとして知られる大物プロデューサー、ラリー・クラインと出会い、彼のプロデュースのもと移籍第1弾作『ケアレス・ラヴ』を録音。この作品は、2004年秋に全米リリース後、ビルボード誌ジャズ・チャートのTOP 10内に長期ランクインし、じわじわとセールスを更新。2005年に入ると、ユニバーサルがアメリカ以外の国々の配給を開始し、第二の故郷であるフランスを中心に、ヨーロッパ全土でも人気が急上昇。その退廃ムード漂う魅惑的な歌声と、カリスマ性を感じさせるたたずまいに、人々は伝説のジャズ・シンガーの姿を重ね合わせて、いつしか“21世紀のビリー・ホリデイ”という肩書きを付けてマデリンを呼ぶようになった。
◆謎の失踪事件
『ケアレス・ラヴ』での大ブレイクにより、2005年の春から夏にかけて、プロモーションやツアーを忙しくこなすようになったマデリン。そんな中、プロモーションでロンドン滞在中に、忙しい生活に嫌気がさし突如姿を消すという騒ぎが発生。これに対し現地のユニバーサルは、探偵を雇ってその消息を追跡したとか。これについて日本でも時事通信が、「若きジャズ界の新星が謎の失踪=マデリン・ペルー、興行活動に嫌気?」と題して記事を配信した(2005年 8/19)。結局、一週間後にニューヨークでマネージャーとともに元気でいることが発覚。この件関してマネージメント側は、「失踪事件は、ユニバーサル UKが話題づくりのためにでっち上げたガセネタ」と抗議したが、真相はいまだに不明・・・。
◆フェイバリット・アーティスト Best 3
* 2005年5月来日プロモーション時のジャズライフ誌のインタビューより