ダイアナ・クラール DIANA KRALL

BIOGRAPHY

ダイアナ・クラール / DIANA KRALL

カナダの最西部ブリティッシュ・コロンビア州のナナイモ生まれ。父親が熱心なジャズ・ファンで、父の好きなファッツ・ウォーラーをはじめとするジャズ・レコードを聴いて育った。幼少の頃からクラシック・ピアノを、スクール・バンドではジャズを演奏していた。15歳の頃には、地元のレストランでジャズ・ピアニストとしてプロ活動を開始。バンクーバー・ジャズ・フェスティバルの奨学金を得て、バークリー音楽大学へ進学。その後、地元に戻ったダイアナのライブをジャズ・ベースの巨人レイ・ブラウンが聴き、感銘を受けた彼の助言により、西海岸で本格的にプロ活動を開始。当時、西海岸でジャズ・ピアノの名人ジミー・ロウルズに師事。出演していた店のオーナーから要求されたことがきっかけとなりボーカルを始める。シンガー&ピアニストとして自信の付いたダイアナ・クラールは、90年代に入るとニューヨークに活動の拠点を移す。そして、93年にカナダのマイナー・レーベル、Justin Timeに初めてのアルバム『ステッピング・アウト』を録音。

数年後、当時GRPレーベル社長、その後ヴァーヴ・ミュージック・グループ社長となったトミー・リピューマに才能が認められ、95年にアルバム『オンリー・トラスト・ユア・ハート』でGRPからメジャー・デビューを果たす。
翌96年、アルバム『オール・フォー・ユー〜ナット・キング・コールへ捧ぐ』をリリース。ビルボード誌ジャズ・チャートの第1位を獲得、100週にわたってランクインするという大ヒットを記録。また、このアルバムは日本ではスイングジャーナル誌選定ゴールド・ディスクを獲得。ダイアナはスイングジャーナル社主催の96年度ジャズ・ディスク大賞ニュー・スター賞を受賞しました。

それに続くアルバム『ラブ・シーンズ』(97年)は、さらにビッグ・セールスを更新。母国カナダでジャズ・アーティストでは史上初のプラチナ・ディスクを獲得したのをはじめ、世界各地で大ヒットを記録。

そして、いよいよジャズ界の大スターから世界のスーパースターへ飛翔することになったのが、次のアルバム『ホエン・アイ・ルック・イン・ユア・アイズ』(99年)。

アメリカとポルトガルでプラチナ、カナダでダブル・プラチナ、フランスでゴールドなど、世界各国でスーパースターの名にふさわしいベストセラーを記録。さらに、99年度のグラミー賞「アルバム・オブ・ザ・イヤー」にノミネートされて、ダイアナは名実ともに最高の称賛を得ることになる。惜しくも、その年の最優秀アルバムはサンタナが獲得しましたが、ジャズ・シンガー&ピアニストのダイアナ・クラールの名前を世界の音楽ファンに知らしめるには十分な快挙だったといえます。このアルバムは日本でもスイングジャーナルのジャズ・ディスク大賞で「ジャズ・ボーカル賞」を獲得、また同誌の読者人気投票では「アルバム・オブ・ザ・イヤー」に輝いています。

新世紀を迎え、最初に発表したアルバム『ルック・オブ・ラブ』(2001年)も世界各国で大ヒット。出すアルバムが次々に世界各国でミリオンセラーを超える大ヒットを記録する、押しも押されもしない世界のスーパースターになった。また、ダイアナはこの年の夏に開催されたメジャー・リーグのオールスター戦で、カナダ国歌を斉唱して大きな話題を呼んだ。

2002年には初のライブ・アルバム『ライブ・イン・パリ』をリリース。このアルバムも大ヒットを記録。同作のDVDも発売。

2003年12月に、ダイアナは英国ロック界のスター、エルビス・コステロと結婚。公私ともに絶好調にあるダイアナは、翌04年4月に最新作『ザ・ガール・イン・ジ・アザー・ルーム』を発表。収録曲の半数がダイアナとコステロの共作によるオリジナルとなり、米英音楽界の最強カップルが組んだ超話題盤として話題を得た。05年10月には初のクリスマス・アルバム「クリスマス・ソングス」を、06年8月にはスタンダードジャズをビッグ・バンドと録音した「フロム・ディス・モーメント・オン」を発売。益々精力的な活動を続けている。

▲PAGE TOP