BIOGRAPHY

ウィーザー / WEEZERウィーザー / WEEZER

リヴァース・クオモ(Vo・G)
スコット・シュライナー(B・Vo)
パトリック・ウィルソン(D)
ブライアン・ベル(G・Vo)

 

●コネチカット州の田舎で生まれ育ったリヴァースは、18歳の時に突然ロック・スターになる事を夢見てLAに上京。しかし、すぐに挫折。おまけに ガールフレンドにもフラれ、失意のどん底にいた彼は、その傷を癒す為に曲を書き始めた。やがて同じ様にLAにやって来た他の3人と出会い意気投合。92年 2月14日にバンドを結成し”ウィーザー”と名乗る。音楽を作り、地元のクラブで演奏する、と言った単調な日々を約16ヶ月間送り、やがてチャンスが訪れる。93年6月、ゲフィン・レコーズと契約を結ぶ事になり、ニューヨークに移り、リック・オケイセック、プロデュースの元、レコーディングを行った。

●セルフ・タイトルで臨んだデビュー作『weezer』が94年5月にアメリカでリリース(日本では95年3月)。2ndシングル「バディ・ホリー」がラジオ、MTVでヘビーO.A.され、グラミー賞やMTVアワーズ等を受賞、大ブレイクを収めた。アルバムは瞬く間に全米チャートのTOP20入り、セール スも200万枚を突破する大ヒットとなった。その余波は日本にも伝わり、ウィーザーは日本人の心をも手中に収めたのだ。そして、セカンド・アルバム『ピンカートン』を96年9月24日(日本は9/21)にリリース。リヴァースが作詞・作曲を担当し、バンドとしてセルフ・プロデュースをも試みた。よりパーソ ナルで深い詞の世界と、バンド”weezer”としての実力とスタイルをより明確に提示し、その完成度の高さを証明した反面、特に米では商業的に大コケ。 計り知れない恥ずかしさとショックに打ちのめされたのである。

●97年の終わり、突然リヴァースは、ハーバード大学に進む為にボストンに移る。98年には、ベーシストのマット・シャープがレンタルズに専念する為に ウィーザーを脱退。後任としてマイキー・ウェルシュが加入。リヴァースは、彼の心の支えでもあったマット脱退のショックと、超名門大学に行き始めた忙しさ から、ウィーザーとしての活動が沈黙、誰とも会わずに辛く悲しい孤独の時間を過ごす。お得意の”泣き”~delux ver.~に入ってしまった様だ。終いには解散説まで流れ出る始末。

● リヴァースがこの”泣き”に入っている間に3年間と言う月日がアッという間に流れる。が、リヴァースは、その間にも曲を作り続け、未来への希望だけは失わ ず、耐え続けた。徐々に自信を取り戻し始めたある日、久し振りにメンバーに声をかけてリハーサルを試みると、皆のテンションは一気に上がり、ライヴをブッ キングしてみるとチケットは見事に秒殺ソールドアウト!久々のステージングは異様な程の盛り上がりを見せた。特筆すべきは、2000年に日本で行われたサ マー・ソニックでの盛り上がりも彼等の自信回復に大きく貢献している事実である。リヴァースも他のメンバーも遂にレコーディングに入る気力が湧いてきた。 充電完了と言った所か…。そして、遂に待望の3rdアルバム『ザ・グリーン・アルバム』発売が実現。プロデューサーには、1作目の『ウィーザー』を手掛け たリック・オケイセックが担当。見事なまでのカム・バックを果たしたのは、記憶に新しい。この年、約8ヵ月振りとなる来日公演も実現。

● 曲が溢れ出て止まないリヴァースは、『ザ・グリーン・アルバム』完成直後から4枚目のアルバム『マラドロワ』制作を開始。2002年5月11日(日本盤) にリリース後、その年のサマーソニック02に出演。リヴァースの憧れの的であるガンズ・アンド・ローゼズのアクセルと同じステージを踏むことに成功。

●『ザ・グリーン・アルバム』そして『マラドロワ』と立て続けにリリースしてきたウィーザーはここで小休止に入ることになる。オフィシャルとしては発表さ れていないがリヴァースは再度、大学に戻り勉強に励む(本当か??)という実しやかな噂話も流れた。各メンバーもソロバンド活動やヴァケーションに入るな ど個々それぞれの有意義な時間をすごしたらしい。そして3年間の沈黙を破りプロデューサーにリック・ルービンを迎え入れファン待望の5thアルバム『メイ ク・ビリーヴ』をリリース。サマーソニック05、日本公演と日本での人気の高さを証明。

●2006年6月、リヴァースは噂通りハーバード大学を時間が掛かったが無事卒業。そして、兼ねてから公言していた日本人女性と結婚。出会いはアメリカの ショウに来ていて、リヴァースが一目惚れだったそうだ。デビュー当時から親日家だったリヴァースが一時期反日家だったこともあり、この結婚でリヴァースが やはり親日家であることに落ち着く。

●2007年12月、デモ・トラック集『アローン』をリリース。海外でも行っていないプロモーションを日本で行う。この時期には日本へ関心が更に高まって おり、日本のTV、漫画、書道、SNSなどなど積極的な活動を行っている。サッカー好きで有名なリヴァースはFIFAクラブ・ワールド・カップ・ジャパン 2007の決勝戦を観戦。イタリアのACミランが優勝しご満悦だった。

● 2008年、慌しく6枚目のアルバム・リリース情報が飛び交い始める。オフィシャルHPでの情報、ファンの間での推測。ファンなら慣れっこのウィーザー狂 想曲の始まりだった。4月リリースが突然の延期、シングル・タイトルの虫食いクイズなど経て、正式にリリースが決定!関係者のみならずファンを驚かせたの は、3度目のセルフ・タイトルでのリリースであるということ。何色!?というざわめきも束の間で、直ぐにバンドから「赤」になると発表。この作品は通称 『ザ・レッド・アルバム』として愛され、リリース直後にはASIAN KUNG-FU GENERATION、GOING UNDER GROUNDが参加する来日公演”WEEZER FESTIVAL”の発表に続き、単独公演も決定し、大盛り上がり!!しかし、リヴァースの精力的な活動は勢い止まらず、同年末には『アローン』の続編 『アローンⅡ』を発表。

 

●フジロック09には、台風により残念ながら中止となってしまった97年のリベンジが実現!しかも3日目、グリーン・ステージのトリ!!当日会 場にいた観客には一瞬目を疑わせるかの様に、ドラマーだったパトリックがヴォーカル&ギターを担当、新たにジョシュ・フリースがドラマーとして参加!ギ ターから解放されたリヴァースはステージ上動きまくり!MCではお得意な日本語をお披露目しながら、なんと自らその場で新作は「ジュウガツ!」と大発表! 制作意欲が溢れるウィーザーの新作に大いに期待!