PAPA B
カリブ海域でも有数の"音楽の島"ジャマイカが育んだレゲエ・ミュージック。スカ〜ロック・ステディ〜ルーツ・レゲエ〜ダンスホール・レゲエ、とここ40年もの間に形を変えながら新化したそのジャマイカ・メイドの音楽は、70年代には既に日本にも伝わっている。
そしてジョン・レノンが「次はレゲエの時代になる!」と予言した80年代には、レゲエも現在のようなコンピューター処理されたトラック(米国のR&Bも殆どそう)が主流となり、サウンドシステム(移動式ディスコ)でDJ(レゲエの世界でいうラッパーのこと)やシンガーがダンスホールを盛り上げた。
日本では"元祖日本語スタイル"のランキン・タクシー(彼の声は"ホンダフル・ライフ!"等のTVCFでもお馴染み)に続き、続々とレゲエDJ、シンガーそしてサウンドシステムが現れ、ヒップホップとリンクしながら日本の地に根を下ろした"ストリートミュージック"として認知されるようになる。
メジャー・レーベルもこうした状況を踏まえ、次々とレゲエ・アーティスト達の獲得に乗り出した。ムーミン、プシンは"ネオサイト(ソニー)"が、リョウ・ザ・スカイ・ウォーカー、NGヘッドは"ワーナー"が、三木道三は"徳間ジャパン"が、と99年辺りから続くリリース攻勢は確実にチャートをにぎわせ、「ヒップホップの次はレゲエ・アーティストだ!」と各レーベルが現在新たなアーティストの発掘に躍起になっている、というのが現状である(そう、米国にしても今、ダンスホール・アーティストのシャギーのアルバムがポップ・チャートの1位になる、という好機!)。
パパ・ボン改めパパ・ピーは、そうしたシーンの中で10年以上に渡り活躍する真のヴェテランDJ、である。
ジャマイカ及びNYに長期滞在し、"DJ=言葉を操る者の何たるか"を叩き込んで帰ってきた彼は、DJクラッシュ(コンペティション。言葉でのケンカ)でも負け知らずで、"サンダーゲート"を始め日本中のあらゆるレッゲ・レーベルから7インチ・シングルをリリースしている。これは一重に、ダンスホールという現場を盛り上げるセレクター(レゲエの世界でいう皿廻し=DJのこと)や客の要望に他ならない。
彼のDJスタイルの特長は、歌うようなフック(=サビ)から早口まで何でもござれ、正に"技のデパート"の如き変幻自在のフロウ(ラップなどでいう歌いまわし、の意)と洞察力に秀でたリリック(歌詞)表現、にある。
プシンやリョウ・ザ・スカイウォーカーも参加した1stアルバム『SWORDMAN』('98: ロッカーズ・ワールド/バンダイ)でも、そんなパパ・ボンならではの魅力は感じさせてくれたが、"サンダーゲート/ユニバーサル"からのメジャー第一弾となるこの"WHO AM I ?"では更なる"進化/深化"を遂げたパパ・ビー・スタイルが味わえる。しかるに同曲がシーンに与えるインパクトの大きさは計り知れないものがあるだろう。 |
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