NIPPS(ニップス)
95年、まだアンダーグラウンドな存在で、ヒットチャートやメジャーフィールドとは全く無縁なものと思われた日本におけるヒップホップシーン。
そこに正に黒船とも呼べるような革命的なグループがNYクィーンズより確信的に帰国した。それが、DEV LARGE、CQ、MASTERKEY、そしてNIPPSによるBUDDHA BRAND(ブッダブランド)である
彼らはまず、自主制作にて1枚のアナログシングルをリリースした。噂は瞬く間に広がり、ありとあらゆるクラブのターンテーブルに彼らのレコードが乗り出した。
また、彼らのスタイルは、それまで日本語でラップする事の難しさや滑稽さとの葛藤を軽く飛び越え、有無を言わさぬ格好良さを見せつけた。それは本当に衝撃的な出来事で、一気にジャパニーズヒップホップシーンに勢いをつけた。
96年にはcutting edgeより大名盤となる"人間発電所"をリリース(売上約10万枚を記録)。
SHAKAZOMBIEとのユニット"大神"(オオカミ)によるシングル「大怪我」もクラブで大ヒットとなり、同年行われたシーンにおいてもっとも歴史的なイベントとなる「さんピンCAMP」でも同ユニット、及びBUDDHA BRANDでラストを飾り、この日一番のクライマックスを演出する。
このイベントの模様はcutting edgeよりビデオ化されており、今なおキッズたちの間でバイブル化している。
この貴重な映像の中でも一番の目玉といえるシーンを作り出したのがHIBAHIHIことNIPPSである。
大ヒット中の「大怪我」を披露するラッパー5人の最後に登場したNIPPSは、黒いフェイスマスクにサングラスをして、手にはなぜか殺虫剤を持ち登場した。
そして彼の素晴らしい声とそのキレに合わせ吹き出された白いスプレーが、なんだかよくわからないが得体の知れないもの凄さを聴衆の目に耳に焼き付けた。
彼はこの頃よりある種伝説的な存在となっていく。何故なら、表舞台に立つことやBUDDHA BRANDの中でも登場機会が少ないにも関わらず、それでも彼のラップには、あまりにも強烈なインパクトを記憶に焼き付けさせられるからだ。
彼のインディーズで発表した数少ない録音物は、あっという間にヒップホップファンに買い漁られ、たちまち貴重盤として高額で取り引きされるようになった。
そんな彼が突然、メジャーレコード会社から作品をリリースしてゆくことが決まった。MIDORINOGOHONYUBI MUSICというプロダクションをユニバーサルミュージックで立ち上げたのだ。
また同時に彼の信頼する数少ない日本やNYの重要なトラックメーカーを集めたレーベルONE FOOTも立ち上げた。
これは驚くべきトピックである。彼が作品を出し続けることを待ちこがれていた人間がどれだけいたことか。
彼は非常にやりがいを持ってこのプロジェクトに臨んでおり、さっそく5月にはMUROとのレコード会社2社を巻き込んだコラボレートシングルをリリースする。
そして、奇跡とも言われるアルバム制作にも向かっている。これは本当に2001年を代表する事件である。 |
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