ルチアーノ・パヴァロッティ 追悼アーティスト・コメント

パヴァロッティは多くの著名人と交友があり、その訃報を受け、コメントが届きました。

スティング
「素晴らしい友人、素晴らしい声を私たちは失いました。この大きな人がいなくなって世界は小さく感じられるでしょう。」

ボノ(U2)
「オペラを歌える人はいるが、ルチアーノ・パヴァロッティはオペラそのものだった。
彼のように、あんな曲芸のようなメロディに居住できる人は他にいなかった。彼は歌を生き、彼のオペラは喜びと悲しみを見事に混ぜたもので、超現実であり同時に世俗的でもあった。火を歌う偉大な火山で、人生に対する複雑な愛であふれ、素晴らしい寛大な友人でもあった。

とても楽しい人で、私たちは彼をパブロワと呼んでいた。感情的に圧力をかける人で、頼まれたら断るのは不可能だった。人をその気にさせるのもうまかった。
U2に彼のために曲を書いてほしいと依頼してきた時、うちのお手伝いのテレサに何度も電話してきたので、我が家ではその話でもちきりになった。
U2にモデナでの彼のフェスティバルへの出演を依頼してきた時は、彼は連絡もなくダブリンに撮影クルーを連れてやってきて、私たちバンドを部屋から出させなかった。彼の人生と才能は偉大だったが、弱いものへのいたわりはさらに大きかった。

彼のために”ミス・サラエボ”を書いた。彼はボスニア戦争での人道的危機に取り組んでいた。一緒にモスタルにある国連空軍基地を訪れた。全員まじめにヘルメットをかぶり、飛行機のシートベルトを締めるとき、この大きな人はレッジョ・エミリアのパルメザン・チーズを配って、「世界一のチーズだ」とまじめな顔で言った。私たちは大笑いした。
ペザロの彼の夏の別荘では、彼はほとんど放浪者のような生活を送っていた。レコーディング・スタジオが家の外に立てられていたが、ボーカルはすべてベッドルームで行った。シエスタ用に、ハンモックが掛けられていた。彼は食べて、寝て、それから声をウォーミグ・アップするのを好んだが、ウォーミング・アップするよりは食べている方をよく見た。初めて彼と一緒にレコーディングしたとき、終わったら私は6キロ太っていた。

知的好奇心が旺盛で、自分の世代だけにとどまろうとしなかった。新しい考え、新しい人々、新しい歌の形を愛した。
セクシーな人で、ニコレッタと恋に落ち、アリーチェが庭で遊ぶのを見て、彼の人生は再び輝いた。彼は娘たちを本当に愛していた。
一人息子を亡くしたことだけが、彼を唯一黙らせるものだった。
彼と先週話した。ロックバンドより大きかった声は、ささやきになっていた。それでも愛が伝わってきた。愛にあふれていた。
ルチアーノ・パヴァロッティのこの点は、人々に知られていない。たとえ声が力にかすんでも、彼の解釈の能力は、他の人にはかなわない。」
 
アンドレア・ボチェッリ
「ありがとう、マエストロ・パヴァロッティ。

あなたの陽気なイメージと、すぐ笑う笑顔は、いつまでも私の心と魂の中に残るでしょう。クリスタルのように純粋な、間違えようのないあなたの声は、別れの神秘、死の瞬間に直面する今、私たちを勇気づけるでしょう。
あなたの芸術はいつまでも私たちのもとに残り、旅でも、家でも、日常でも常に一緒だという事実だけが、私の傷心を和らげます。
直接マエストロと話し、オペラ界への多大なる貢献、長年私たちの国の素晴らしい大使であってくれたことにお礼が言いたいです。私の道を示してくれて、私にオペラを教えてくれて、そして認めてくれてありがとうございます。私もあなたを尊敬しており、あなたに認めてもらえたことは、いつも私の誇りでした。

マエストロ、貴重で公平なアドバイスをいただき、常によりうまくなるよう勇気づけてくれて、ありがとうございました。
オペラをみんなが聞ける芸術形態にしてくれて、感謝します。みんなの手をとって素晴らしいオペラの世界に導いてくれ、オペラの素晴らしい歌を永遠の名曲へと押し上げてくれました。あなたは私たちの心に永遠にとどまるだけでなく、私たちの日常、仕事になどに取り掛かるときに常に一緒にあります。あなたは、私たちが仕事をする上での、インスピレーションと支えであり続けるでしょう。あなたの寛大な声がより美しいものにした世界の希望と信念の保証として、あなたはより存在感を増しています。その腕を広げ、私たちと一緒に歌い、再びその奔放で輝く笑顔をくれて、ありがとうございます。」
 
ラッセル・ワトソン
「その夜のことをよく覚えています。そのことは何度も話しましたから。思い浮かべてください。ウィガンのくすんだ裏町の労働者クラブ。寒く、暗く、雨の冬の夜。私の人生が変わりました。

最初の45分のセットを終わらせた時、スタンという名の男が私に近づいてきました。「ハロー、ラッセル」と彼は言いました。「パヴァロッティの曲を歌ったことはあるかい?誰も寝てはならぬは、君の声にとてもよく合うと思うよ。」私はそのアリアをオウム返しに覚え、何度もルチアーノの発音と歌い方を聞き直しました。そうしたら、人生初めてのスタンディング・オベーションを受けたのです。その後のことはよく知られています。私はこの史上最も偉大なテノール歌手に影響を受けた多くの1人です。さらに補足すると、2001年の夏、ロンドンのハイド・パークでルチアーノと競演しました。私にとって貴重な日となりました。

プッチーニの名曲を「パヴァロッティの誰も寝てはならぬ」とみんなが呼ぶことが、彼の偉大さの証でした。私たちは伝説、一番才能のある歌手を失いました。不可能と思われた道を、たどる気に私をさせてくれたのは彼でした。
ご家族とご友人にお悔やみ申し上げます。」
 
デイム・ジョーン・サザーランド
「リチャードと私は、ルチアーノが病気と懸命に戦ったのちに亡くなったと聞き、非常に悲しく思います。
友の素晴らしい歌を、私たちは40年にわたって楽しみました。そのことは決して忘れないでしょう。」
 
フアン・ディエゴ・フローレス
「ルチアーノ・パヴァロッティの死を、深く悲しく思います。彼はいつも私のアイドルでした。20世紀のもっとも美しいテノールの声、最も尊敬される無比のアーティストが逝ってしまいました。彼はいつまでも、オペラの巨匠として人々の心に残るでしょう。そして彼を個人的に知っていたすべての人は、その奔放さ、誠実さ、ものを見る目、優しさ、寛大さ、オープンさに接する機会に恵まれました。彼の死は、埋めることのできない損失となるでしょう。」
 

(順不同)