NUNO BETTENCOURT & MOURNING WIDOWS
Live Info
JOHN PAUL JONES, PAUL GILBERT,
NUNO BETTENCOURT, STEVE HACKETT
たった一度のスーパー・バンド
『ギター・ウォーズ/GUITAR WARS』
2004/4/14 RELEASE
DVD + bonus CDバージョンとCDバージョン同時発売!
66年9月20日ポルトガルのアゾレス諸島に10人兄弟の末っ子として生まれる。4歳の頃家族でボストン郊外のハドソンに移住。最初はホッケーやサッカーなどスポーツに夢中だったが、音楽好きな家族の影響で楽器に興味を持ち、10歳からドラム、ピアノ、ギターを次々マスター。ハイティーンからいくつかのバンドに掛け持ちで参加する。
82年ギグ会場の楽屋でゲイリー・シェローン(VO)に会い彼のスター性に感銘を受け、85年には地元ボストンのカスタム・ギター・ショップでパット・バジャー(B)と知り合う。その頃ドリームというバンドにいたゲイリー・シェローンとポール・ギアリー(DS)の誘いで合流、バンド名をエクストリームに改め活動を行い、エアロスミスのカヴァー・コンサートの時にパット・バジャーが参加することになる。その後86、87年と2年連続でエクストリームはボストン・ミュージック・アワードの最優秀ハード・ロック/ヘヴィ・メタル・アクトを受賞し、メジャーのA&Mと契約を交わす。
89年5月デビュー・アルバム『エクストリーム』リリース。ヌーノのギター・プレイがシーンに衝撃を与えた。90年8月にセカンド『ポルノグラフィティ』リリース。ヌーノがプロデューサーとしての才能を発揮したこのアルバムでファンクの要素を持った独自のハード・ロック・サウンドが完成、翌年アコースティック・バラードの「モア・ザン・ワーズ」が全米No.1ヒット、一躍アメリカを代表する人気バンドとなる。92年9月にサード『スリー・サイズ・トゥ・エヴリ・ストーリー』をリリース。3パートから構成された大作で、ヌーノとゲイリーのソングライティング、ヌーノのプロデューサー/アレンジャーとしての才能を余すところなく発揮、エクストリームの集大成とも言える作品であった。94年にドラマーのポール・ギアリーが脱退、元アナイアレイターのマイク・マンジーニ(DS)が加入。95年1月に4枚目のアルバムとなる『ウェイティング・フォー・ザ・パンチライン』をリリース、原点に戻ったスタジオ・ライヴ風の音作りは特にライヴで効果 を発揮した。
96年他のメンバーとの方向性の違いからヌーノはエクストリームを脱退、その後バンドは解散を表明する。ゲイリー・シェローンはヴァン・ヘイレンに参加し、マイク・マンジーニはスティーヴ・ヴァイ・バンドで活動を続けることになった。
97年1月、ヌーノは5年前からひとりで多重録音を重ねてきた曲を中心にしたソロ・アルバム『スキゾフォニック』を完成、すべての楽器、ヴォーカル・プロダクションをヌーノ自身で手掛けたアルバムとなり、マルチ・アーティストぶりを証明した。5月にはドノヴァン・ベッテンコートを含む5人組みのバンドで来日公演。98年には長年所属していたA&Mレコードから離れるが、すぐにセカンド・アルバムの制作を開始させる。
“モーニング・ウィドウズ”というバンド名義で98年12月に発表されたアルバム『モーニング・ウィドウズ』は、パーマネントなバンドで活動したい、というヌーノの意向が強く打ち出されて制作された。ベースには甥のドノヴァン・ベッテンコート、ドラムには当初マイク・マンジーニが参加する予定だったが、スケジュールの問題で参加が不可能となり、ビリー・ヴェガスなるドラマーがアルバムには参加している。従来の持ち味でもあるファンクのビートに乗せ、ビートルズやクイーンに影響を受けたヌーノのポップ・センスも開花させている。
99年にはモーニング・ウィドウズとして来日公演を行う。その時のラインナップはヌーノにドノヴァン、そしてドラマーには新たにニューヨークでセッション・ドラマーとして活動していたジェフ・コンズィを迎えており、最強のトリオ編成をまざまざとファンに見せつけてくれた。
来日公演後、ボストンにある自宅にて作曲とレコーディングを開始、来日公演で見せたタイトなファンク・リズムと、ヘヴィさをも持ち合わせたバンド・サウンドを展開させている。レコーディング・メンバーは来日公演と同じヌーノ、ドノヴァン、ジェフというラインナップ。ヌーノの考える理想のトリオ・バンドによる、最強なアルバムが発表となる 。
2000/5/26更新