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私を、ブチノメしたニルヴァーナ

◆ 印象最悪だった初ライヴ ◆

ニルヴァーナのことを知ったのは、今、フー・ファイターズのマネージャーやってるジョン・シルヴァが、まだゴールド・マウンテン・エンターテインメントのアシスタントだった時のことです。ジョンとは、ちょうど僕達が(日本で)ヴァージン・レコードを始動させた時からの知り合いでね。それまで彼はベリンダ・カーライルとかを担当してたんですけど、彼がソニック・ユースと契約したんですね。その流れで、その周辺のバンドに業界の人間の注目が集まってる時でした。
当時、ゴールド・マウンテンにはスカウトのスーザンっていう女の子がいて、彼女が制作会議で「こういうおもしろいバンドがいるんだよ」って言ってきて。僕はその時ヴァージンで出版をやっていて、いろんなアーティストの楽曲の権利を取り扱ってたんですけど、ニルヴァーナの曲をおもしろいなと思ったので、「じゃ、観に行こうか」ってなったんです。当時のニルヴァーナはまだオリンピアにいて、いろんなレコード会社が興味を持って彼らを見てるという段階でした。
で、飛行場に着いたら、カートがガタガタの、ドアが壊れてるようなヴァンに乗って迎えに来てくれた。デイヴ・グロールはその時はまだいなくて、当時のドラマーと一緒でしたね。ヴァンの中では、カートといろいろ話しました。彼は、僕みたいな出版社の人間が、レコード会社よりも前にニルヴァーナに興味を抱いたことに関心を持ったんじゃないかな。
僕はロンドンにいた時にはクラッシュを担当してたんだけど、カートはクラッシュの大ファンでね。最初はクラッシュの話ばっかしてたな。
長い間いろいろなアーティストを見てきたけど、アーティストってシャイな人が多いんですよ。カートもフレディ・マーキュリーとかジョー・ストラマーといった人達と似てて、凄くシャイでした。初めから懐くような人じゃないけど、一度打ち解けたらずーっと友達、みたいな感じでしたね。
で、その晩オリンピアのライヴハウスにニルヴァーナのライヴを見に行ったわけですけど、それがひどくてね(笑)。小屋が小さすぎたのか何か知らないけど、とにかく音が最悪で聴いてられない。早くここから出て行きたいと思ったぐらいでした。それでスーザンに『このバンドは、ちょっとないんじゃない?』って電話したことを覚えてます。
でも、その次の日にもう一度カートと話しに彼のアパートに行ったんですね。そしたらアコースティック・ギターで“スメルズ・ライク・ティーン・スピリット”とか、当時既に出来てた“オール・アポロジーズ”といった曲を僕の目の前で演奏してくれたんですよ。それ聴いたらすごくいいメロディで『こんなにいい曲だったのか!』と(笑)。ビートルズよりいいじゃん!って思いました。弾いてる時の、カートのおちゃめというか、ガキみたいな表情も忘れられないです。で、その日もまたコンサート見に行ったんですけど、やっぱり前の日と同じで最悪でした(笑)。いやぁ、どうしようかなぁ、と思ってね。
でも、オリンピアを発つ時にテープをもらって帰ったんです。それを帰りの飛行機の中で聴いたらやっぱり凄く良くて。ライヴとは大違いだったんですね。それで考えたわけ。演奏は巧くなる余地があるし、成長するために努力していくことはできる。だけど“いい曲を書ける”っていうのは努力の範疇じゃなくて才能だ。こんなにいい曲書ける人は凄いっていうんで、彼らが次にロスに来たタイミングで、作曲家として契約しました。その時はデイヴ・グロールはまだサブ・メンバーみたいな扱いだったね。カートとクリスが曲書いてたんで、彼らが中心でした。

◆ カートとの思い出 ◆

カートのことで凄く覚えてるのは、コートニーと彼らが恋愛関係真っ只中だった時にちょうど日本ツアーだったことです。92年の2月のことですね。残念ながら最初で最後の来日公演になっちゃったけど……一緒にゲームしたりしてね。ライヴ会場のクラブチッタ川崎のすぐ近くにゲーセンがあったんですけど、彼、楽屋にいるのが嫌なもんだから、ずっとそこにいました。コートニーはその時、オーストラリアから日本に入って、カートと合流してからはずーっと一緒でしたね。
彼女とつきあって、カートはいい意味でも悪い意味でも変わったところがあった。良かったことは「イン・ユーテロ」を作る前にフランシスが生まれて、カートはそれを凄く喜んでね。娘ができたことで、彼は凄く人を大切にするようになった。  
今でも覚えてるのはロスのフォーシーズンズ・ホテルにカートが「イン・ユーテロ」のラフ・テープを持ってきたんですけど、その時に、嬉しそうに子供の話をしてたこと。子供ができたから、俺はいいロック・シンガ—になれそうだって。凄くいい顔してたなぁ。「イン・ユーテロ」って、確かに内容はヘヴィだけどメロディは優しいでしょ。曲を書いてる時はもしかしたら辛かったのかもしれないけど、作るのが楽しかったからあのアルバムは完成したんじゃないかな。僕はそう思います。

クイーンとの話も思い出すな。92年のMTVアウォードにカートがフランシスとコートニーを伴って参加した時のことです。その時、ロジャー・テイラーとブライアン・メイがプレゼンターとして会場に来てて、僕はちょうど二人といたんです。で、ロジャーとブライアンが「ニルヴァーナが来てるんなら会いに行こう」って言うんで、僕がカートに「悪いんだけど、クイーンの二人に会ってくれるかな?」って訊いたら、カートは「実は今まで言わなかったけど、俺、クイーンの隠れ大ファンなんだよ」って(笑)。それで体育会系の先輩・後輩みたいに礼儀正しく挨拶してね。カートがクイーンの二人に一緒に写真撮ってくれ、サインしてくれって言ったんだけど、その時に、まるで駄菓子屋にいる子供みたいな顔をしてたのを覚えてる。この時のことがきっかけで、後にホール・オブ・フェイムでフー・ファイターズのデイヴがドラムを叩いたりもしたね。

◆ ニルヴァーナの普遍性 ◆

この業界で長年仕事してると、本当にいろんな人と会うんですよ。でも、ただ仕事するだけの間柄じゃなくて、中には自分が死ぬ時に「この人と出会ってよかったな」って思う人がいる。それが僕にとってはフレディ・マーキュリーとジョー・ストラマー、そしてカート・コバーンなんですね。この人達って、本当に自分達を信じてる。
ニルヴァーナは、ヘタなところもあるんだけど、自分達の力で周りの人達を変えられるってことをずっと思っていた人達でね。特にカートは音楽の力はもちろん、自分の力を信じてた人だから、たとえ音楽家になってなかったとしても、同じくらい世間に対する影響力を持ったんじゃないかな。たとえば彼が絵描きだったとしても、あるいはコーヒーショップのウェイターになってたとしてもね。

本当にニルヴァーナって、ビートルズ以来の素晴らしい作曲家だと思うよ。僕はその前までイギリスにいてパンクのアーティストを手掛けていたわけだけど、その時の状況と90年代前半の状況は似てましたよ。ニルヴァーナ、スマッシング・パンプキンズなんかの新勢力が、それまで幅をきかせていたヘアー・メタルと言われていたバンド(ボン・ジョヴィやポイズンなど)を脇へ追いやって、アンダーグラウンドで活動してたバンドに門戸を開いてあげたわけです。でも、パンク・ムーヴメントの時も同じだけど、後世まで残ったバンドってそんなにいないじゃない。トップの一部だけ、中でも“曲”がいいバンドが残りましたよね。だから僕は最終的にはバンドの命運を決めるのは“曲”だと思う。ニルヴァーナの曲のクオリティは、ポピュラー・ミュージックの歴史……たとえば60年代のモータウンの時代にさかのぼっても、突出したものだと思いますね。ジョン・レノン、フレディ・マーキュリー、カート・コバーン。この3人は20世紀というか、音楽史を代表するソングライターだね。
ニルヴァーナの曲ってね、どんな時代にもリバイバルしてくると思うんですよ。たとえば、どんな国に行ってもクイーンの“ウィー・アー・ザ・チャンピオン”は聴かれているし、スポーツやなんかやる時は“ウィー・ウィル・ロック・ユー”でしょ。日本の甲子園だってそうだもんね。同じように“スメルズ・ライク〜”はどこでも聴かれるようになるんじゃないですか?

実は昨日、ブッチ・ヴィグ(「ネヴァ—マインド」のプロデューサー)と夕飯食ったのね。ガービッジ(ブッチ・ヴィグの率いるバンド:94〜05年に活動)を再結成するってことで新しい音源を聴かせてもらって。それが終わって、帰りに「ネヴァ—マインド」のマスタリングする前の曲を聴いたわけ。これがまたいいんだよね。ホントに歴史上のベスト10アルバムに入る作品だよ。久しぶりに聴いたけど、ホントによかった。やっぱりカートは今世紀最高の作曲家の一人だと思う。ブッチも「『ネヴァーマインド』は自分が作った中で一番のアルバムだ」って言ってたけど、それはあれだけのクオリティの曲が揃ってたから出来たことだ、って。

◆ カートとの別れ ◆

カートが問題を抱えてたのは知ってました。コートニーの問題もそれ以上に大きなものだったし、そのことでカートはずいぶん悩んでました。彼女には……悪い癖があったんでね、彼がやめようとしても彼女がやめられない。そうすると二人ともやめられないわけです。カートが亡くなる前もまさにそういう状態でしたね。
カートは本当にコートニーのことが好きだったから、彼女の心が離れていくのを感じて、そこから崩れていっちゃったのかな、とも思います。ニルヴァーナが大きくなってしまったからどうこうっていうよりも、コートニーとの関係の方が、彼にとっては大きかったんじゃないかな。
ローマで一回危篤になった時(94年3月)に僕はロンドンにいたんだけど、ジョン・シルヴァから「カートがヤバい、もしかしたらそういうことになるかもしれないから……」って電話があってね。その時は結局助かったけど、同じ月にもう一回自殺未遂騒ぎがあって……で、彼が亡くなる10日くらい前かな、カートから電話があったんです。ロスに行ったら是非会いたいけど、今はシアトルのファームハウスにいるって。「じゃ、ロスに来た時に会おうか」って言ったんだ。それから数日後に僕がシアトルのファームに電話かけたら全然出なくて……それから一週間後くらいにあの最悪なニュースを聞いた。

フレディ・マーキュリーの時は彼が病気なのは3年ぐらい前から知ってたし、亡くなる2〜3週間前にも会ってたから、ある程度心の準備がついてたけど、カートの時は……本当に突然だった。いい友達になれる前に逝かれちゃったなぁ、なんとかできなかったかな、って思ったよ。シアトルにいるカートから電話あった時に、こっちから会いに行けばよかったな、とか——そういう後悔はあった。凄くいい友達になれる直前だったんでね。 
彼が亡くなった後、弁護士とコートニー、そしてデイヴ・グロールの3人から「カズは絶対葬式に来てくれ」って連絡をもらったんです。その時にカートも僕に対してそういう意識で接しててくれたのかな、だとしたら嬉しいなって思ったんです。
余談ですけど、後にデビューしたストロークスの弁護士がカートの弁護士と同じでね。その弁護士が、レコード会社と契約する前に、ストロークスに僕に会うようにって言ったんだって。なぜなら「カズはカートが一番好きだった業界人だから、業界に入るんなら一回会いに行ったら」って。それを聞いた時、この業界にいてよかったなって思った。自慢するわけじゃないよ。でも、それは本当に嬉しかったですね。
カートやニルヴァーナと関わることで、僕の人生も変わったんですよ。ヴァージン・アメリカが成功したのは、ニルヴァーナと契約したおかげだと思うしね。

カートが今、生きていたら今でもいい曲をいっぱい書いたでしょうね。バンドもローリング・ストーンズよりもビッグになっていたし、ストーンズよりもうんと素晴らしい曲を書いてただろうな、と思います(笑)。

僕が一番好きな曲は“オール・アポロジーズ”。「ネヴァ—マインド」じゃなく「イン・ユーテロ」の曲だけど、その前から出来てたのでね。カートがアコースティック・ギターで僕の目の前で弾いてくれた時に「ホントにいい曲だな」って思ったことが忘れられないんです。歌詞はヘヴィだけど、カッコいいじゃない。ああいう曲を誰かに唄ってあげられたら凄くいいと思うんだよね。
ニルヴァーナ以降、僕が凄く好きになったバンドはモデスト・マウスぐらいかな。アイザック・ブロックはちょっとカートに似てるから。カートが生きてたらモデスト・マウスのことは好きになったと思いますよ。ジョニー・マー(元ザ・スミス/06年にモデスト・マウスに加入)のこともカートは大好きだったしね。

先ほどの話とダブりますけど、これまでいろんなアーティストと関わってきて、死ぬ時に「会えてよかったな」と思うであろうアーティストは、僕の場合、オジー・オズボーンとジェフ・ベック、クイーン、クラッシュ、そしてニルヴァーナだな。もし5枚だけレコードを選ぶ、ということになったら彼らのアルバムになると思う。中でもカートとは、仕事とかそういうの関係なく、本当にいい友達になれたはずだから、ああいう結果になってしまったことは悔しくてね……そういう意味では、彼との関係の中にはとても後悔してることもあるんです。

◆ ニルヴァーナの影響 ◆

何と言っても、すべてのバンドに「僕達にもできるんだ」と思わせた、奮い立たせたという点で、ニルヴァーナの存在は凄く大きなものだったと思います。彼らがいなければ、今のような音楽シーンは出来ていなかったでしょう。
あと、影響ということで言えば、僕はインフラとかSNS作ってる人達にしても感じてて、たとえばショーン・ファニング(Napste創立者/現Path社CEO)とかマーク・ザッカーバーグ(Facebook創立者)とか、あのへんの世代にも影響はあると思う。彼らがやってることって、ああいう音楽に影響を受けてるから出来ることなんじゃないかな。既に確立してるものを、新しい発想や創造、工夫によって駆逐して、塗り替えていく感じに、ニルヴァーナがやったことと共通するものを感じるんですよね。彼らみたいな人達がいなかったらファイル・シェアリングって発想だってなかったと思うし、iTunesだって生まれなかったと思うしね。iTunesがなかったら、それこそiPodとかiPadなんてのも今ほど普及してないわけですよ。ニルヴァーナの音楽には、そういう、“人を刺激する力”があると思うんですよね。それはコンサートの形態にしても、ユース・カルチャーにおけるネットワークの世界にしても、多かれ少なかれニルヴァーナの影響はありますね。
20世紀の音楽界を代表する存在というだけでなく、これからもずっと聴き継がれていくべき音楽——そう思います。




インタビュー/構成:美馬亜貴子