
リック・ジェームス Rick James
モータウンの異端児と呼ばれたリック・ジェームスは、しかしながら、幼少の頃からモータウンに憧れてやまない男でもあった。1960年後期、カナダでロック畑のニール・ヤングのバンドでプレイしたり、ロンドンに渡って自身のバンドを結成したりと、一風変わった経歴を持つが、1978年、長年の夢が叶って遂にモータウンからデビュー。その特異なルックスと派手なコスチューム、モータウン所属でありながらどこか野放図なイメージも手伝って、それまでのモータウン所属男性アーティストの紳士然としたスタイルをことごとく打破したかのようなリックのアプローチは、モータウンというレーベルを超えて、世の人々から絶大な支持を取り付けることに成功した。
デビュー当初の大ヒット曲「ユー・アンド・アイ」('78/R&BチャートNo.1、全米No.13)を皮切りに、マリワナ賛歌「メアリー・ジェーン」('78/R&BチャートNo.3、全米No.41/この曲のプロモーション中、リック自身がラジオ局のDJに本物のマリワナを配って、そのことが後で露顕してベリー・ゴーディ・Jr.からきつく叱られたというエピソードが残っている)、「ギヴ・イット・トゥ・ミー・ベイビー」('81/R&Bチャートで5週間にわたってNo.1、全米No.40)、そしてMC・ハマーの「U・キャント・タッチ・ディス」('90)のサンプリングでもお馴染みの「スーパー・フリーク」('81/R&BチャートNo.3、全米No.16)、プリンスとのライバル合戦がかまびすしかった頃のヒット曲「コールド・ブラッデド」('83/R&Bチャートで6週間にわたってNo.1、全米No.40)と、モータウンにもファンクあり、を印象づけた数々のヒット曲を放った。また、自身の活動の傍ら、専属バンドだったストーン・シティ・バンドや妹分的グループのメアリー・ジェーン・ガールズらをモータウンからデビューさせて成功に導いた功績も忘れることができない。
1988年にはリプリーズに移籍し、数曲のヒット曲も残すのだが、私生活が荒れて次第に第一線から退いてしまった。2004年8月6日、56歳でこの世を去っている。

ボーイズIIメン Boyz II Men
地元フィラデルフィアで、昔ながらのストリート・ドゥ・ワップ・グループ(路上でパフォーマンスするヴォーカル・グループ)よろしくストリートで歌っていたというボーイズIIメンは、人気若手男性ヴォーカル・グループのニュー・エディション及びベル・ビヴ・デヴォーのマイケル・ビヴンズに見出され、1991年にモータウンから「モータウン・フィリー」(R&BチャートNo.4、全米No.3)でデビュー。同曲は等身大の若さが弾けるアップ・テンポ・ナンバーだったが、彼らが心酔する昔のブラック・ムーヴィ『COOLEY HIGH』('75/ボーイズIIメンのデビュー・アルバムのタイトル『COOLEYHIGHHARMONY』は、同映画のタイトルから拝借したもの)の挿入歌として使用された、モータウンの往年の名曲「イッツ・ソー・ハード・トゥ・セイ・グッドバイ・イエスタデイ」('75/R&BチャートNo.38/歌っているのは元スピナーズのG.C.・キャメロン)のカヴァーが、R&BチャートNo.1、全米No.2を記録する大ヒットとなり、同曲を境に、ボーイズIIメンはバラッド・ナンバーを得意とするヴォーカル・グループへと変貌を遂げることになる。
彼らの人気を決定づけたのは、エディ・マーフィの主演作『ブーメラン』('92)の挿入歌だった「エンド・オブ・ザ・ロード」がR&Bチャートで4週間、全米チャートで13週間にわたって大ヒットしたこと。同曲でもペンを執っていた、当時売れっ子ソングライター/プロデューサー・コンビだったL.A&ベイビーフェイスや当代きっての敏腕ソングライター/プロデューサー・コンビだったジミー・ジャム&テリー・ルイスのバックアップンもと、「アイル・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」('94/全米チャートで14週間にわたってNo.1の座をキープ)、「オン・ベンディド・ニー」('94)、マライア・キャリーとの共演曲「ワン・スウィート・デイ」('95)、「4・シーズンズ・オブ・ロンリネス」('97)と、「エンド・オブ・ザ・ロード」を含めて、モータウン在籍時に合計5曲もの全米No.1ヒット曲を放ち、その人気を不動のものにした。ボーイズIIメンと時を同じくしてデビューしたライバル・グループのJODECI、1991年以降、数年間の間にミュージック・シーンに大挙してデビューした若手男性ヴォーカル・グループのほとんどが活動中止もしくは解散して姿を消していった中で、ボーイズIIメンは地に足を着けた活動を続け、ユニバーサル、アリスタ、そしてインディ・レーベルへと移籍をくり返すも、コンスタントにアルバムを発表し続け、マイケル・マッキャリー脱退後、現在はトリオとして活動している。

グラディス・ナイト&ピップス Gladys Knight & The Pips
1950年代初頭、ジョージア州アトランタで結成されたファミリー・グループ。当初のメンバーの内訳は、グラディス・ナイト、兄弟姉妹のメラルド"ババ"ナイト、ブレンダ・ナイト、従兄弟のウィリアム・ゲストと従姉妹のエレノア・ゲスト。初レコーディングは、1958年、ニューヨークを拠点とするブランズウィック・レーベルでのことだった。その後、メンバー・チェンジを経て、グラディス、メラルド、ウィリアム、1959年に加入した従兄弟のエドワード・パットゥン(2005年死去)の女性1名+男性3名(=ピップス)というメンバー構成で長年にわたって活躍。モータウン傘下のソウル(Soul)・レーベルと契約する前は、Vee-Jay、Fury、Maxxと複数のレーベルでレコーディングしていた。
モータウン時代の曲は数えきれないが、代表的なのは、「悲しいうわさ」('67/R&BチャートNo.1、全米No.2/翌年、マーヴィン・ゲイのカヴァー・ヴァージョンが全米No.1になっている)、「エンド・オブ・アワ・ロード」('68/R&BチャートNo.5、全米No.15)、ライヴ映像でのピップスの踊りが印象的な「フレンドシップ・トレイン」(R&BチャートNo.2、全米No.17)といったアップ・テンポのナンバーと、それとは対照的な心に沁み入るバラッドの数々――「恋の苦しみ(If I Were Your Woman)」('70/R&BチャートNo.1、全米No.9)、「さよならは悲しい言葉」('73/R&BチャートNo.1、全米No.2)など――である。1973年にブッダ・レーベルに移籍し、「夜汽車よ!ジョージアへ」('73/R&B、全米の両チャートでNo.1)、「めぐり逢い」('74/R&BチャートNo.1、全米No.3)などの大ヒット曲を放った。また、1980年代になってからはコロンビア、MCAとレーベルを変えながら、モータウン、ブッダ時代に較べれば少ないものの、それぞれのレーベルで1980年代後期までヒット曲を放った。グラディスは1989年にソロ・シンガーに転向し、グループは事実上解散。尚、グループ名義で1996年にロックの殿堂入りを果たしている。

コントゥアーズ The Contours
モータウン黎明期に活躍したコントゥアーズは、デトロイト出身の元気いっぱいのグループで、「ドゥ・ユー・ラヴ・ミー」('62/R&BチャートNo.1、全米No.3)の大ヒット曲で今に語り継がれている。また、1968年にテンプテーションズを脱退したデイヴィッド・ラフィンに代わって新加入したデニス・エドワーズが一時的に在籍していたグループとしても知られ、彼がコントゥアーズ時代にリードを取った貴重な楽曲「イッツ・ソー・ハード・トゥ・ビーイング・ア・ルーザー」('67/R&BチャートNo.35)は、隠れた名曲だ。1988年に映画『ダーティ・ダンシング』の挿入歌に「ドゥ・ユー・ラヴ・ミー」が起用され、全米チャートでNo.11を記録してリバイバル・ヒットした。