Artist: ザ・ニュー・ベースメント・テープス")
Label: UNIVERSAL INTERNATIONAL

BIOGRAPHY

『ロスト・オン・ザ・リヴァー:ザ・ニュー・ベースメント・テープス』 2014年秋発売

ザ・ニュー・ベースメント・テープスエルヴィス・コステロ、リアノン・ギデンズ、テイラー・ゴールドスミス、ジム・ジェームズとマーカス・マムフォードがキャピトル・スタジオに集合。プロデューサー及び企画者のTボーン・バーネットと力を合わせ、幻の1967年のボブ・ディランの極めて貴重な歌詞を元に新曲レコーディングとアルバムを制作

現在レコーディング中の『ロスト・オン・ザ・リヴァー:ザ・ニュー・ベースメント・テープス』は完成間近。このプロジェクトの参加者はエルヴィス・コステロ、リアノン・ギデンズ(キャロライナ・チョコレート・ドロップス)、テイラー・ゴールドスミス(ドーズ)、ジム・ジェームズ(マイ・モーニング・ジャケット)、マーカス・マムフォード(マムフォード・アンド・サンズ)とプロデューサーのTボーン・バーネットという豪華な顔ぶれ。彼らは、ボブ・ディランが1967年に名盤『地下室』(英題:『ベースメント・テープス』)の制作中に書かれ、近年発見された20以上もの未発表の歌詞に音楽を付ける作業をキャピトル・スタジオで行っている。

今年の後半に発売予定の今作はエレクトロマグネティック・レコーディングス/ハーヴェスト・レコーズ(キャピトル・ミュージック・グループ)からリリースされ、米国テレビ局ショータイムにてオンエアされるドキュメンタリー映画「ロスト・ソングス:ザ・ベースメント・テープス続編」と同時に発表される予定である(監督はウィルコのドキュメンタリー「ウィルコ・フィルム」なども手掛けたサム・ジョーンズ)。映画は『ロスト・オン・ザ・リヴァー』のメイキングに密着し、その根源となったアルバム『地下室』の歴史と文化的背景に迫るものとなっている。

元々ディランの『地下室』は1967年に、その後ザ・バンドとして世に出たミュージシャン達と一緒に作り上げた作品であり、50年弱に渡って数々の音楽家、ファン、そして文化評論家達を魅了し続けてきた名作。ニューヨーク市北部にある一軒家の地下室でこのメンバーはその夏から秋にかけて100以上もの曲を作り、その中には「アイ・シャル・ビー・リリースト」、「マイティ・クィン」、「火の車」、「どこにも行けない」や「怒りの涙」など、後々ヒットとなったボブ・ディランの名曲がたくさん含まれていた。

『ロスト・オン・ザ・リヴァー:ザ・ニュー・ベースメント・テープス』は、創作的に充実したディランの1967年時代から未発表歌詞の発見を祝福しながらも、50年近く眠っていたその言葉に新しい命を吹き込むバーネット、コステロ、ギデンズ、ゴールドスミス、ジェームズとマムフォードにとっても貴重なクリエイティヴな企画でもある。ディラン本人にこのプロジェクトを任されたバーネットは、まず参加アーティスト達が気持ちよく共同作業できる環境作りを最も重視したと言う:「最高の音楽を作るには、集まったアーティスト達が一つの目的に向かって創作に励まなければいけない。今回、スタジオ中に、常に深い寛大さと、みんなで支え合ってる気持ちが広がっていて、それはこの歌詞を僕達と共有してくれたボブの寛大さを反映していると思う。」

ジョーンズ監督曰く:「今までてっきり紛失したと思われていた歌詞の発見は本当に歴史的な出来事で、ハリウッド映画の原作にもなるくらいの大事だと思う。Tボーンと素晴らしい参加アーティスト達はこの歌詞を通して若き時代のディランとコラボし、互いと全く新しい作品を生み出して、その光景を映像で捉える事ができた僕はとても特別で光栄な立場だよ。昼も夜もスタジオで撮影させてもらったけど、夢の様な体験だったとしか言いようがない。」ジョーンズはこのスタジオ・セッションの映像をオリジナルの『地下室』にまつわるエピソードなども含んだ、より幅広い物語に織り込み、その名作が未だもたらす文化的な意味合いと芸術的価値を模索している。

<「地下室」のバックグラウンド>

1億2千万枚以上ものアルバムを売り上げ、60年間に渡って数千ものステージに立ってきたボブ・ディランは、世界を代表すべき普遍的な人気と高い評価を誇るソングライターであり、音楽家である。近代文化に無比の影響を与え続ける彼の壮大なカタログは音楽の歴史的な宝庫でもあり、世代を越えた様々な作詞作曲家達をインスパイアしてきた。

もはや伝説のアルバムとなった1967年の『地下室』は、その後ザ・バンドとして独自の評価と知名度を得たミュージシャン達と一緒に作り上げ、未だに数々の音楽家、ファンと文化評論家達を魅了してきた。それまで5年間活動していたディランは、3枚の傑作アルバムをリリース、革新的なシングル「ライク・ア・ローリング・ストーン」、オーディエンスの間で論争をまで巻き起こしたニューポート・ロック・フェスティバルでの“エレクトリック”ライヴと欧米ツアーを経て、その多大な影響力から60年代半ばには音楽と文化を抜本的に変化させていた。しかし、ディランがニューヨーク市北部でオートバイの大事故に巻き込まれた1966年の7月、その目まぐるしい活躍と感嘆すべき多作な時代が突如中断されたのである。

病院で回復中のディランは数年振りに公の場から姿を消し、退院後はロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、リチャード・マニュエルとガース・ハドソンと共にニューヨークの西ソガティーズにある小さな家の地下室にこもった。メンバー内で“ビッグ・ピンク”の愛称が付けられたそのスタジオでは、数ヶ月に渡り100以上もの曲がレコーディングされた。中には伝統的なカヴァー、短く滑稽な歌や即興などもあり、何よりも「アイ・シャル・ビー・リリースト」、「マイティ・クィン」、「火の車」、「どこにも行けない」や「怒りの涙」など、後々ヒットとなったディランの新曲が多数あった。

当時、こういった録音物の噂と共にいくつかのアセテート盤が浮上し始め、リスナーの圧倒的な好奇心から全く新しいタイプの音楽商品が活性化させられた;それはブートレッグ・レコード。1969年、「グレイト・ホワイト・ワンダー」という謎のアルバムがアメリカのレコード店に並び始め、あの1967年の夏に作られた曲達が音楽シーンと文化に深く浸透し始めた。どうしてもディランの最新作を聴きたいという一途な想いで、この海賊版を探し求めたファンはそれから年々増えていった。正式に発売されていなかったそのレアな録音物は1975年に、わずか16曲に切り詰められた形で、やがてコロンビア・レコーズから『地下室』として一般リリースされたのである。

その伝説的なセッションが西ソガティーズの地下室で収められて以来、この作品の重大さを綴った本や記事は大量に出版されてきたが、当時からの残された資料はもう全て世に出ていると誰もが思っていた。『ロスト・オン・ザ・リヴァー:ザ・ニュー・ベースメント・テープス』は、ボブ・ディランが1967年という重要な時期に手がけた極めて貴重な未発表歌詞の発見を記念し、5人の素晴らしいアーティストと1人のベテラン・プロデューサーの力を組み合わせて、およそ50年間眠っていたその言葉に今、新しい命を吹き込み、蘇らせる。