BIOGRAPHY

Styles


Styles _bio本名デヴィッド・スタイルズ。スタイルズ・P.などいくつかのMC名を持つニューヨークはヨンカース出身の3人組みヒップホップ・グループ=LOXのひとり。LOXは、イヴ、dmx、スウィズ・ビーツらが構成員として名を並べるアメリカで怖いものナシの最強ヒップホップ・ユニット=ラフ・ライダーズの中心グループでもある。そのLOXからジェイダキッスに続いてソロ・デビューを果たすスタイルズ。今回のアルバムは逞しくゲットーを生きぬいてきたひとりの男の苦悩、喜び、痛み、反乱、挫折、そして征服を綴ったストリートのリアル・ドキュメンタリー。これはまさにLOX、ラフ・ライダーズがテーマとして掲げてきた”ストリート・アンセム”である。

“俺自身をポジティブかネガティブだとは思わない…。もし相手が紳士なら俺も紳士、相手がギャングスターならきっと俺もギャングスターだ”-Styles P.

ハードコアという言葉では物足らない ~ When Hardcore is an Understatement

スタイルズ・P.、本名デヴィッド・スタイルズは並みのラッパーではない。彼はやりたい放題のチンピラ人生を十分に体現するラッパーだ。血筋を表すリリックは聞き手を泣きたい気持ちにさせ傷つけるだろう。悪党な人格のハードコアランナーに続くファンや挑戦者は後を止まない。そんな彼に追いつこうとするゲームの中でも彼は群を抜いているのである。簡単に言おう。スタイルズ P.は自分を見失うことなく、どんな筋金入りのチンピラをも穏やかにしてしまう。そしてこれらは彼が自ら率先した結果でも何でもなく、彼を最強に押し上げた経験から生じる気風なのだ。もし最強ではなかったら、汚れたただの破壊的なラッパーになっていただろう。そして今、熱意を発揮する彼のソロデビュー・プロジェクト『ア・ギャングスター・アンド・ア・ジェントルマン』で、Mr. スタイルズ・P. はどんな強敵MCも太刀打ちできないほどのスキルを見せつける。一度はBad Boy Entertainmentの一味でもあった。『マニー・パワー・リスペクト』をリリース時、LOXはショーン・コムズのレーベルと契約した。そして今もLOXクルーの正式メンバーでありながら、疑問が心に引っ掛かったままだった。ヤツの味方か敵なのか、単純明白だ。

パワー、サブスタンス、スタイル ~ Power, Substance, Style

クイーンズ市のコロナに生まれ、7歳の時にニューヨーク、ヨンカース市へ引っ越す。人生の3分の1をGroshanアベニューで過ごした彼は、自分をヨンカース出身だという。ヨハネスブルク出身、南アフリカ共和国人の母親、ブルックリン出身の父親は、直接的であろうと間接的であろうと、リリシストとして彼が成長する上で役立つ存在となっていた。ストリートが彼に教えたのは誠実になることの意味、そして人生は容赦ないことを意識し、警戒し、理解することだった。「他の黒人キッズと同じように、俺もゲットーで育ったんだ」とスタイルズは言う。「俺の兄貴分BG(ブラック・ガーフ)と俺はいつも外をブラついてたんだ。ラルフと俺は密封作業 (bottlin’ up)から始め、そして売りさばいた。ゲットーのキッズならみんな渡る道さ」ドラッグ、銃、傷害事件なんてストリートでは日常茶飯事だ。スタイルズは誰が味方で、誰が敵なのか察していかなければいけなかったのだ。「彼らは今でも俺の仲間だし、今まで乗り越えたこと全てを尊敬せざるを得ないね」とスタイルズは証言する。「ラップをしていても、似たような黒人連中が初日からいるんだぜ」

ライムを始めるまで、このアートフォームが彼の救いになるとはスタイルズも気付かなかった。「俺は9歳の頃からラップを始めたんだ。どこへ行ってもラップしていたのを覚えてるよ。中学校のサマースクールでSheekに会い、9年生のときに’Kissに会ったんだ」とスタイルズは思い出す。「’KissとSheekは既にグループを組んでいて、俺は違う街からきた1人者だったんだ。でも彼らと出会い、一緒にやるようになった。俺はリリックのサビ部分を担当してバックにいたんだ。彼らの方が上手かったし、俺はあまりブースに立たなかったからね。俺たちのグループは”ザ・ボム・スクアッド(The Bomb Squad)”という名前だったんだが、その頃だね。Bad Boyの連中と仲良くなってやらかしてしまったのは。19歳だった俺は州拘置所に入れられ、出てきたときにDee (Ruff Rydersの代表取締役) と出会ったんだ。彼はSheekと’Kissのことも既に知っていたんだ」

結果的にBad Boyとは計画通りにならず、”The Bomb Squad”は名前を”LOX”に変えた彼らは、契約を破棄するためにストリートキャンペーンを始め、ようやく解約できた後にRuff Rydersと契約した。LOXとして数々の輝かしい成功を収めた今、スタイル・P.は今までにない形でストリートを代表しようと試みている。なぜならスタイルズこそ”葛藤しているニガー。心に引っ掛かる何でも俺は話すぜ。俺は成功するつもりもないし、どう成功すればいいんだ。誰とも会うこともなくゴマをするわけでもないし。お金は嬉しいし問題なく生活できるのは有り難いよ。でも俺の名誉と敬意をもっと有り難く思ってるし、俺を象徴してるものだと思うんだ」とスタイルズは毅然と述べる。「知ってるように俺はギャングスターだ。ギャングスターとは人を殺しまくってるようなヤツとは違う。ギャングスターはルールと掟に従って家族、友人、命を大事にする連中のことさ。ギャングスタは9時から5時まで働く男、人生のルールを分かってる男、相手を尊敬し、尊敬されるような男、軽蔑されたときどう対処すればいいか分かってる男のことだ。ストリートでクラックやドープを売るだけがギャングスターじゃないんだ。詩人、医者、建築作業員、どんなやつでもいいんだ。もし俺に何かするやつがいても俺の言う意味が証明されるまで止めようとは思わないぜ。お前が止めるまで俺は止めない。拘禁されるかボコボコにされるか死ぬまでな」

ギャングスターとジェントルマン ~ A Gangster and a Gentleman

スタイルズ・P.はハードコアな詩人だ。彼の新しいアルバム『A Gangster and a Gentleman』はネガティブをポジティブに変えて生還する黒人の才能の良い例だ。スタイルズ・P.のような男がマイクを握るとかなり面白い展望になるのである。「あまりMCは好きじゃないんだ。思ったことをそのまま言ってるだけなんだ。そして必ず大切なことも付け加えるようにしてね。後々まで俺の言ってる意味が分からないかもしれないけど」とスタイルズは豪語する。『A Gangster and a Gentleman』は1人の男の苦悩、喜び、痛み、反乱、挫折、そして征服と隅から隅までリスナーを連れていってくれるオーディオのドキュメンタリーだ。それは人々、ストリート、(事故で亡くなった)幼い弟、彼の家族と人生に対する彼の考え方を伝えた個人的な記録。例えば”Black Magic”(feat. アンジー・ストーン)がこの証拠だ。こういったアーティストととのコラボレーションが、どれだけスタイルズの母親の影響が強かったかを物語っている。アフリカ出身の母親は、幼いころから子供にブラック・プライドを教え込んだ。微妙に攻撃的なトラックではあるけれど、ストリート・アンセムのようでもある。ファースト・シングル『Good Times』はスタイルズ・P.の叙情的な才能と話を聞かせる、さらにもう1つの証拠トラックだ。「このフッドにいて、周りには銃があふれてるからハイになるんだ。痛みを和らげて俺を謙虚にさせるだけなら、まだモノを巻いてる方がマシかもしれない。もし俺がシラフだったらカッとなって銃を掴んでるかもしれない」『Good Times』はストリート、ラジオ、ビデオでフル・ローテーションになること間違いなし、完ぺきなヘッド・バンギング、Swizz Beatzがプロデュースした兵器なのである。

Swizz Beatz、DJ Clue、The Alchemist、Rockwilder、Shok、DJ Twinz、PKといった売れっ子プロデューサーによる『A Gangster and a Gentleman』は”独房の中の連中、殺人者、ハスラー、考えの深い人、正義感のある男”に向けた作品と言えよう。”Daddy Get That Cash”(feat. リル・モ)、”Latino”(feat. ジェダキス)、”My Brother”(彼の亡くなった弟を追憶して)といった他のトラックはゴールドよりもきらめくクラシックな作品だ。スタイルズ・P.はゲットーの子供として生まれ育った。若い頃にはクラック、コカインを売りながらも、高校では演劇も書いた。彼は正真正銘のチンピラでありながらも包容力のある精神を持っている。彼が”俺みたいにやれるヤツはいない”と言うときは本当の真実を語っているのだ。

翻訳: 戸崎順子/translated by Junko Tozaki