BIOGRAPHY

1974.3.23、リーダーのアラン・エヴァンス(ds)NYバッファローで生まれる。
1976.1.10、弟ニール・エヴァンス(p)が生まれる。
1976.6.28、エリック・クラズノー(g)がフロリダで生まれる。

 
エヴァンス兄弟の父はアマチュアのドラマーで、アランは物心だついた時には、スティックを握っていたという。ニールも最初はドラムに興味を持っていたが、小学生の時にピアノに転向する。

アランは高校卒業後、ミュージシャンを志望してNYへ移る。ニールも兄の後を追う。アランは旧友ピーター・プリンス(vo、g)とファンク・ロック・バンド<ムーン・ブート・ラバー>を結成。ニールはピーターの影響でオルガンを弾くようになる。<ムーン・ブート・ラバー>を脱退後、ニールはマンハッタン音楽院へ入学。アランはカール・デンソンの<グレイボーイ・オール・スターズ>のツアーに参加。その後カールのファンクバンド<タイニー・ユニバース>のレコーディングに招かれる。

一方、エリックは7歳年上の兄ジェフリーの影響でギターを始め、ファンク・バンド<レタス>を結成。マサチューセッツ州ノースハンプトンにあるクラブ<アイアンホース>を根城に活動。同時期にエヴァンス兄弟の<ムーン・ブート・ラヴァー>と人気を二分する。

 
アランとニールは再び一緒に活動するようになり、ソウル・ジャズ+ヒップホップのサウンドを求め3人目のメンバーを探すようになる。ある日、エリックがエヴァンス兄弟のステージに飛び入りしたことがきっかけで、99年3月に大学を卒業したエリックが正式加入して<ソウライヴ>結成。精力的にライヴ活動を始める。同年バークシャー・マウンテン・ミュージック・フェスティヴァルでジョン・スコフィールドと知り合う。

2000年、エリックの兄ジェフリーが経営するNYのヴェロア・レコーディングスから初のフルアルバム『ターン・イット・アウト』をリリース。このキャンペーンでライヴハウス<ウェットランズ>に大々的にとりあげられ、一気に知名度が上がる。このアルバムは、NYのタワーレコードのジャズ・チャートのインディーズ盤の売り上げ記録を塗り替えて3位まで浮上、日本でも輸入盤アルバムは記録的ヒットとなる。そのためメジャー・レーベルで<ソウライヴ>の熾烈な争奪戦が繰り広げられることになる。

2001年、ブルーノート・レーベルより『ドゥーイン・サムシング』でメジャー・デビュー。2~3月ブルーノート・クラブ(東京・大阪・福岡)で初の来日公演。21世紀のジャズの担い手としてあらゆる方面より注目されている。