BIOGRAPHY

SAMANTHA MUMBA / サマンサ・マンバ


Samantha 「私は黒人で、アイルランド出身なの。私の年頃の女性ポップ・シンガーはたくさん入るんだけど、ほとんどがアメリカ人で金髪で青い目なのよね。でも私は全然違うの。もっと私の姿勢とか、意見とかも聞いてもらいたいと思ってるし…」

 アイルランドからまたもや伝説が生まれるのか?17歳でデビューを飾り、今やビルボードでもトップ10入りしたサマンサ・マンバ。その曲と歌声がイギリ スのラジオを駆け上がったのが2000年6月。デビュー・シングル「ガッタ・テル・ユー」はR&Bテイスト溢れるポップ・ナンバーで、ラジオから聞こえて くると強い印象が残る曲だ。アメリカの黒人アーティストとは一線を画す、泣きの入ったポップ・メロディー・ラインが、まずヨーロッパ中で注目された。軽く 聞けるし、流れるメロディーについ耳を傾け、口ずさんでしまう…。サマンサ・マジックにかかったかのようにシングルも飛ぶように売れた。その火花はヨー ロッパ産のポップ・アイテムのブレイクが非常に難しいアメリカにも飛び渡り、驚くほどのスピードで各チャートを駆け上っている。

  小さなころから音楽とその制作に興味を持ち、3歳から15歳ダブリンの”ビリー・バリー・ステージ・スクール”という舞台学校に通う。ここでウェストライ フのブライアンがスクール・メイト。初のテレビ出演は4歳の時。サンタクロースの回で踊ったそう。そしてミルクのCMにも登場。’98年のギルバート&サ リヴァンのオペラ”The Hot Mikado”の主演を演じて一躍アイルランドのメディアから注目を浴びた。数々のTVから取材オファーが来て、ある番組では「キリング・ミー・ソフト リー」を披露したりもしていた。その活躍はアイルランドが誇るポップ・グループ、ボーイゾーンのマネージャー、ルイス・ウォルシュの目にもとまり、これが 世界デビューへと導いた。’99年12月にイギリスで行なわれたボーイゾーンのウェンブリー・アリーナでのコンサート(5夜連続ソールド・アウト!!)の 前座を務め、この上ないデビュー・プロモーションのチャンスを手に入れたのである。 デビュー・アルバム『ガッタ・テル・ユー』では6曲作曲にも参加し、R&Bナンバーからポップ・ソングまでの幅広い曲を披露。ヨーロッパ、アメリカで精力 的にプロモーション活動を行ない、イギリスでは初登場21位と健闘。シングルに続いて、アルバム・セールスにも大きな期待がかかる。

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