BIOGRAPHY

RUSSELL WATOSON ラッセル・ワトソン (ヴォーカル)



Watson _bio1972年11月24日イギリス北西部マンチェスター近郊のサルフォード生まれ。子供の頃は、サッカー好きなごく普通の少年だった。ラッセル曰く、サルフォードの子供は将来「サッカー選手」になるか「ミュージシャン」になるか、はたまた「工場で働くか」という選択肢だったそう。父親が工場で働いていたこともあり、周り(典型的なイギリス労働者階級)からは、ラッセルも将来は工場で働くもの、と思われていたが、エンターテイメントと歌に憧れていたラッセル少年はミュージシャンへの道をあきらめなかった。十代の頃地元ラジオ局のタレント・コンテストで400人の参加者の中を勝ち抜き優勝を飾る。

 16歳でマンチェスターのエンジニア会社に就職し、仕事の傍らクラブやホールで歌を聴かせていた。マネージャーとふたりスーツとスピーカーを持って車で会場へ向かう毎日。ある日労働者の集まるクラブでのステージの最後にプッチーニの歌劇《トゥーランドット》の〈誰も寝てはならぬ〉を歌った。この手のクラブでオペラ・アリアが受けることは難しいものだが、ラッセルは大絶賛のスタンディング・オベーションを受けた。これが彼の成功の始まりだった。

 マンチェスターのホテルでのチャリティ・ショーに出演した時、会場に来ていたサッカー・チームのマンチェスター・ユナイテッドの重役、マーティン・エドワードが感動し、ユナイテッドの試合で歌ってくれと依頼する。試合開始直前に披露したラッセルの歌声はスタジアムに集まった数万人の観衆の心を捉え大歓声を浴びた。

 その後、99年ラグビー・ワールドカップや、サッカー・ユーロカップのファイナル・ゲームなど大きな大会で歌ったり、クリフ・リチャードのコンサートのスペシャルゲストとして出演するなど、大センセーションを巻き起こした。

 そして2000年9月にイギリスでリリースされたデビュー・アルバム『The Voice』はポップ・チャートでTop5を記録、クラシック・チャートでは16週連続No.1を獲得。11週連続ポップ・チャート20位以内ランク・インを記録し、UKで70万枚を超える大ヒットとなった。

 オペラの名曲をはじめ、フレディー・マーキュリーの「バルセロナ」、ウルトラヴォックスの「ヴィエナ」、ポール・サイモンの「明日に架ける橋」などロック/ポップス・ナンバーまで幅広く歌いこなすラッセル。アルバムでは、ショーン・ライダー(ハッピー・マンデーズ)、モイヤ・ブレナン(クラナド)、クレオパトラ・ヒギンズ(クレオパトラ)らのアーティストとともに、ジャンルを超えた名曲を七色の歌声で見事に歌い上げている。