年代別ストーンズLIVEの目撃者たち:池田祐司氏

2017.11.29 TOPICS

『オン・エア』発売記念企画
年代別ストーンズLIVEの目撃者たち

 
ストーンズ初のBBC音源作品『オン・エア』の発売を記念して1962年にバンドを結成して以来、2017年の現在に至るまでライヴ活動を続けているストーンズのLIVEの魅力を実際に見ている方々の言葉で語っていただく本企画。

第3回目は池田祐司氏。
現在、日本ローリング・ストーンズ・ファンクラブ会長を務める池田氏が目撃した1973年に行われたヨーロピアン・ツアーのロンドン公演。
お楽しみください。


池田祐司(1973)

来日中止を受けてヨーロピアン・ツアーに参戦

―1973年のヨーロピアン・ツアーがストーンズのライヴ初体験でいらっしゃるんですね。

そうですね。私は当初、ファンクラブの会員でした。72年11月に来日公演(1月28日~31日、2月1日)が決まって日本中が大騒ぎになったんです。でも、年が明けて73年に、ミック・ジャガーの過去の薬物不法所持が問題になって中止になりました。ぼくたちは来日嘆願署名運動と称して街頭で署名を集め、署名結果を法務省に持って行ったりしました。しかし、結局中止になり、ひどく落胆しました。その後、2月になったら「音楽専科」や「ミュージック・ライフ」といった雑誌に(日本公演の直前の)ハワイ公演のレポートが載ったんです。それは当然、本来なら来日公演のプロモーション及びレポートになるはずだったんでしょうが、それを読んで、すごく憤怒というか、憤りました。“なぜ、日本でストーンズを観られないのか?”という疑問でもありました。そんなとき、確か三菱商事社長の息子さんで三村さんと言う方が、〈ストーンズを観に行くロンドン・ツアー〉を企画したんです。ストーンズがその秋に行なうロンドン公演のチケットを50枚手に入れたからツアーを組もうということでしたね。6~7月ごろだったでしょうか。当時、ぼくはファンクラブのスタッフの片割れとして六本木にあったワーナー・パイオニア(当時ストーンズを日本でディストリビュートしていたレコード会社)に出入りしていたので、そこでそれを手伝ってくれと庭野課長に頼まれました。ぼくも“何故、日本公演ができなかったのか?”という釈然としない思いが大変強く、さらに“ストーンズを観たい!”という激しい欲求から、喜んで協力することにしたんです。まず、あのころは全部で2~300人だった会員に参加を募ったんですが、20人くらいしか集まりませんでした。そこで、では観光もスケジュールに加えようということになり、パリ~ロンドン旅行という形で新聞広告も打ったんです。当時、1ドル=360円という時代で、アンカレッジ経由でパリに入って観光し、その後ロンドンでストーンズを観るという旅程でした。ファンクラブからの20名は紛れもないストーンズ・ファンだったんですが、他の参加者はストーンズが大した目的ではなかったんですけどね(笑)。コンサートのチケットは、約3,000円くらいでした。いまから比べればすごく安いですよね。その時は、“一部のマスコミ連中だけが、ライヴを観たかもしれないけれど、ぼくらのような本当のファンが観ないでどうする”という激しくも一途な想いだったんです。

凄まじいまでの衝撃のコンサート

―ロンドンではいかがでしたか。

結構大変でした。日本から50人くらいで行ったわけですが、現地でもチケット争奪戦が激しくて“我々、英国人が観られないのに、何故、日本人が観られるんだ!”といった論調で、現地のタブロイド大衆紙「The Sun」に載ったりして、ちょっとした騒ぎになったんですよ。向こうでも71年の〈フェアウェル・ツアー〉以来のコンサートでしたからね。なので、1回目のコンサートは参加者みんなで出かけたんですが、混乱を避けるために2回目からはバラバラで行こうとか、いろいろと気を使わねばなりませんでした。

―ご覧になったのは9月7日、8日(2nd Show)、9日のウェンブリー・エンパイア・プール公演ですか。

そうです。8日は夜だけですね。参加者の中にはファースト・ショウもご覧になった方がいたようです。ぼくは、ロンドンに行く前の4月にデヴィッド・ボウイの初来日公演を観たんですけど、それがすごかったんですよ。“もう、これ以上はない”と思って、ロンドンに向かった。そんな経験があったので“ストーンズって実際どんなものなんだろう?”っていうくらいで、実はそんなに期待はしてなかったんです。ところがライヴが始まったら、頭の中が真っ白になるくらいの激しい衝撃を受けました。オープニングが大音量の「ブラウン・シュガー」でした。『山羊の頭のスープ』が発売されたばかり(8月31日発売)だったのですが、これは当時まだぼくは聴いてないんです。ロンドンのレコード・ショップのディスプレイには日本に帰る頃に並んだくらいですから。「悲しみのアンジー」だけは先行でシングル・カット(8月20日発売)されていたんで聴いていましたが、その「悲しみのアンジー」の演奏がレコードとは違ってまた一段と荒っぽくてね。もともとぼくはキースのファンでしたが、その演奏を観てさらに“カッコいい!”って跳び上がって狂喜しました。ぼくはキース側の一番前まで行って観ていたんですけど、そこには仕切りがあって、ロッド・スチュワートやジェフ・ベック、デヴィッド・ギルモアなんかが来ていて、すごい盛り上がっていましたね。それから「ダイスをころがせ」をやってる途中で柵の前の観客とセキュリティーが揉めだしたんです。それに気づいたミックが、そこに向かって銀の皿(コンサートの終盤に撒く花びらを入れた器)みたいなものをビューン! って投げつけるんですよ。かなり凶暴な感じで(笑)。ミックが舞台から会場警備員を追い出したんですよ。それでまた観客がどわーっとステージへと押し寄せる。そのときの興奮状態といったらなかったですね。まさに騒乱状態でした。今では考えられない展開でした。あとで知り合ったオランダやドイツといった海外の古参のファンたちとも“60年代、70年代初期、いまのコンサートとはまるで違うよね”って話したりするんですが、確かにそう言うのも理解できる壮絶なものでした。いまになってわかることですけどね。全部で15、16曲やって、トータル1時間半くらいだったと思います。知らない曲(「スター・スター」などの当時の新曲)も数曲あったんですが、圧巻だったのはやっぱり「ミッド・ナイト・ランブラー」とかですね。『レット・イット・ブリード』から『スティッキー・フィンガーズ』、『メイン・ストリートのならず者』の曲はよく聴いていましたし、感動しました。でもね、コンサートから帰ってきたら、身体中アザだらけなんです。もみくちゃにされて全身打撲です。初日のあと“明日は行けないかもしれない”とも思ったんですが、何とかがんばって3回全部観ることができました。ぼくは当時20歳でしたが“これは大変なものを観た。日本でみんなに見せたい”と痛感して、その後はファンクラブ活動の方でも精力的に啓蒙的運営の方向につき進んでいったんです。それで結局、74年の秋から会長を務めることになりました。カッコ悪いんですけど。

―ストーンズのライヴにノックアウトされたんですね。

レコードだと『ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!』があって、『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト!』。いまでも個人的には『ゲット~』が一番好きなんですけどね。そのあとからたくさんライヴ盤が出ましたが、やっぱりこのときに体験したことが脳の中枢に残っていて、そこを軸にいまでもライヴを楽しんでるって感じです。ぼくの原体験としてはこのときのウェンブリーのストーンズが強烈にあります。でも、ファンの先輩方の間では“ストーンズはやっぱり60年代よね”というお兄さんやお姉さま方もいっぱいいて、ぼくも今になってあらためて60年代の実相を研究しているほどです。だから、今回リリースされる『オン・エア』は興味津々です。60年代のライヴの正式音源、その詳細な資料としてはほとんどなかったわけですから、まさに、いまになって“神秘の扉が開かれる”というような感じですよね。

絶頂期のストーンズを生で体験

―73年のストーンズは絶頂期とも言われます。初体験以来、国内外問わず、何百回もライヴをご覧になってきたと思うのですが、やはり特別だったのでしょうか。

明らかに違いますね。例えば、キースはコンサート中ほとんど前を向きませんでした(ファンに迎合しない印象)。かなり内向的、自暴自棄的とも思える態度をとっていました。それがまた、ぼくらを刺激するわけです。彼なりのニヒリズムを感じました。ミック・ジャガーも観客に寄り添う感じはなく、まるで扇動者のようなパフォーマンスでした。あのころは丁度、自分たちのライヴ・スタイルを確立した重要な時期だったんだと思います。それをぼくは観てしまった。レコードにしても67年『サタニック・マジェスティーズ』を仕上げたあと『ベガーズ・バンケット』で新たな音楽性を開花させた。そして『レット・イット・ブリード』『スティッキー・フィンガーズ』、歴史的作品とも言える『メイン・ストリートのならず者』、このときの『山羊の頭のスープ』へと続いていくわけですが、この辺のアルバムはそれぞれミック主導、キース主導という形で制作面での分業化の体制が固まっていった試行錯誤の時期でもあると思います。そこに音楽的にも非常に流暢なギターを弾く、ミック・テイラーが登場しました。そんな彼らのキャリアのなかでも特に重要な時期に観ることができたのは、本当に幸運だったと思います。
今回、リリースされる『オン・エア』は、そう言う意味でも壮大な歴史の“夜明け”のような作品で、未発表曲も多くあり、大変注目しています。

 
インタヴュー&テキスト: 山田順一