ザ・ローリング・ストーンズ「サティスファクション」リリース50周年 7月10日ABKCOから12インチのアナログ・シングルが発売!! (輸入盤のみ)

2015.05.18 TOPICS

【プレス・リリース訳】

ザ・ローリング・ストーンズ「サティスファクション」リリース50周年
7月10日ABKCOから12インチのアナログ・シングルが発売!!

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1963年にレコード・デビューを果たしたザ・ローリング・ストーンズは、以来、英米両国でアルバムとシングルをコンスタントに発表していった。しかし、アメリカのヒット・チャートで初めて1位に輝き、彼らを大スターにしたのは1965年6月にリリースされたシングル「サティスファクション(原題:(I Can’t Get No) Satisfaction)」だった。

ABKCOレコードは、「サティスファクション」が首位を獲得てから50周年という節目に、これを記念した12インチのアナログ・シングルを180グラムの重量盤で発売する。7月10日 に数量限定でリリースされるこのシングルのA面には「サティスファクション」を収録。B面にはアメリカで同曲のB面に収録されていた「ウェストコーストの宣伝屋」と、イギリス盤シングルのカップリング・ナンバーだった「クモとハエ」が併せて収められる。また、数々の受賞歴を持つ写真家、デヴィッド・ベイリーが撮影したメンバーのポートレイトを使用したジャケットも、当時の7インチ盤シングルのアートワークに基づいたものになっている。ディスクに使用されている音源は、オリジナル・モノラル・マスターに、カール・ロワッティがトルートン・マスタリング・ラボでリマスターを施したもので、12インチの45回転盤を採用することで、レベルとレンジは際立って向上。高音域、低音域とも、望み得る最高の音質で楽しむことができる。

1965年6月6日にロンドン・レコードからリリースされたアメリカ盤シングル「サティスファクション」は、ザ・バーズの「ミスター・タンブリン・マン」やザ・フォー・トップスの「アイ・キャンと・ヘルプ・マイセルフ」といったヒット曲を追い落とし、7月3日にレコード・ワールド誌のチャートで首位をマーク。同月10日にはビルボード誌とキャシュボックス誌のチャートでも1位に輝いた。以来、レコード・ワールド・チャートでは3週、ビルボード・チャート、キャッシュボックス・チャートでは4週に亘って首位のポジションを維持し、7月19日にはザ・ローリング・ストーンズに初めてのゴールド・ディスクをもたらした。イギリスではデッカ・レコードが1965年8月20日に発売。グループにとって、U.K.4枚目となるNo. 1シングルになっている。「サティスファクション」を最初に収録したアルバムは、1965年7月30日にアメリカでリリースされた『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』(USヴァージョン)である。また各方面から絶賛されたABKCOフィルムズ製作のドキュメンタリー作品『THE ROLLING STONES CHARLIE IS MY DARLING – IRELAND 1965(チャーリー・イズ・マイ・ダーリン)』では、「サティスファクション」を初めて観客の前で披露した、9月3日のアイルランドはダブリンにおけるステージの模様を確認できるが、以来、今日に至るまで、このヒット曲はザ・ローリング・ストーンズのショーに欠かせない重要なレパートリーとして幾度となく取り上げられてきた。

この曲のオープニングを飾る印象的なギター・リフはキース・リチャーズのアイディアによるもので、彼らがアメリカをツアーしていた期間のとある夜中に、夢うつつの状態のキースがポータブル・テープ・レコーダーに録音したフレーズを発展させたものだ。1965年5月の初頭、フロリダ州はクリアウォーターにあるガルフ・モーテルのプールサイドでキースがミック・ジャガーに、そのリフと、彼が思いついた”(I Can’t Get No) Satisfaction”というタイトルを聞かせると、ジャガーは即座にあの歌詞を書き上げたという。


1965年5月の10日、ザ・ローリング・ストーンズはシカゴのチェス・スタジオで「サティスファクション」のレコーディングを行うも、この際の成果は発表を見送られ、5月12日にカリフォルニア州はハリウッドのRCAスタジオで再度レコーディングが行われたヴァージョンふが、翌6月にラジオを占領し、ヒット・チャートを急上昇することになった。

ギブソンのマエストロ・ファズ・トーンを使用し、キース・リチャーズが奏でるギター・リフは、当初、ホーン・セクションと差し替えられる予定だったが、バンドのプロデューサー兼マネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムとサウンド・エンジニアのデヴィッド・ハッシンガーは、その必要はまったくないと考えた。実際、そのサウンドは申し分のないもので、性的なフラストレーションと消費至上主義への侮蔑を込めたミック・ジャガーの歌詞も、とりわけロックン・ロールを好む若者たちの感性を刺激するに十分だった。バンドのメンバーの中には、「サティスファクション」をシングルとしてリリースすることに消極的な者が2人いたが、それが作者であるミック・ジャガーとキース・リチャーズだった。

作曲者としてナンカー・フェルジ(ストーンズのメンバー全員による共作にはこの名義が使用された)の名前がクレジットされた「ウェストコーストの宣伝屋」は、当時ロンドン・レコードの社員でストーンズの初USツアーに帯同したジョージ・シャーロックをからかった曲だ。カツラ、自惚れ屋、シアサッカーのスーツ、イエスマンの業界人、しかし憎めないというのがシャーロックに対するストーンズの面々から見たシャーロックその人だった。後年、シャーロックは作品の題材に採られたことを誇りに思っている旨の発言をしているが、どこかバスター・ブラウンのヒット曲「ファニーメエ」を想起させるこの作品の真の重要性はその歌詞にあった。権威者を槍玉に挙げて歌うことは当時ではほぼ考えられないことだったからである。アメリカの地名を織り込んだ「ウェストコーストの宣伝屋」の歌詞がイギリスのファンには向かないと判断したデッカ・レコードは、「サティスファクション」のB面にカントリー・ブルース・ナンバー「クモとハエ」(こちらはA面と同様ジャガーとリチャーズの共作)を採用した。

アメリカのチャートを制覇し、ポップ・ミュージックの歴史の転換に寄与した画期的なヒット曲「サティスファクション」が、半世紀を経て、北米を除く地域で、ABKCOレコードから1万枚限定の12インチ・シングルとして再びリリースされる

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