BIOGRAPHY

Robert Plant


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1997年の終わりに発売された、レッド・ツェッペリンの’69年と’71年のBBCセッションを収めた『BBCSESSIONS』は世界中で大きな話題となり、ロバート・プラントのまわりはなにかと忙しくなっていった。そんな中、’98年2月から、ペイジ&プラントの2度目のワールド・ツアーが東欧からスタート、3月のロンドン公演まで続いたヨーロッパ・ツアーは好評を持って迎えられた。4月にはいるとニュー・アルバム『ウォーキング・イントゥ・クラークスデール』が発売され、バンドはそのままアメリカ・ツアーに突入し、’98年は再びツアーに明け暮れる1年となった。

 ’99年2月、ペイジ&プラントはアルバム『ウォーキング・イントゥ・クラークスデール』からの楽曲「モスト・ハイ」でグラミー賞ベスト・ハード・ロック・パフォーマンス部門を受賞した。この時点では夏まで続く予定になっていたペイジ&プラントのワールド・ツアーに対する期待はますます高まったが、ロバートはツアーを続けることを拒否し、すべての予定は白紙に戻されたのである。

 突然のツアー中断で、再び沈黙してしまうかと思われたロバートだったが、レッド・ツェッペリン加入前に参加していたバンド・オブ・ジョイのケヴィン・ガモンドらとプロジェクトを結成し、活動を開始。しかしながら、このプロジェクトが人々の前に姿をあらわすのは’99年半ばのことであった。

 プライオリィ・オブ・ブライオン(PRIORY OF BRION)と名づけられたこのプロジェクトは、バンド・オブ・ジョイを名乗っていた当時の音楽的影響を反映しており、ヴァン・モリソンのゼム、ラヴ(アーサー・リー)、バッファロー・スプリングフィールド等にも通じる音楽性を持っていた。ペイジ&プラントに比べると地味な印象は否めなかったが、プライオリィ・オブ・ブライオンは英国ツアーを行い地道な活動を続けていった。

 2000年春になるとプライオリィ・オブ・ブライオンはノルウェイ、アイルランド・ツアーを行い、夏から秋にかけてはイギリスのフェスティヴァル等を含むヨーロッパ・ツアーを続け、クリスマス直前のウルヴァーハンプトンにおける最終公演までライヴ活動に明け暮れる1年をおくったのである。

 2001年に入ると、ロバートはプライオリィ・オブ・ブライオンとは別に新バンド、ストレンジ・センセイションを結成。プライオリィ・オブ・ブライオンの音楽性を色濃く残しながらも、レッド・ツェッペリンのナンバーも再び取り入れたより、メジャー指向が強いバンドとなったストレンジ・センセイションは、スカンジナビア、北米等をツアーし好評を博した。またこの年の7月にはジミー・ペイジがブラック・クロウズとツアーを行うことに対してロバートが批判的なコメントをしたことに端を発した、再びペイジ&プラントとしては活動しないという噂を否定し、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルにペイジ&プラント名義で出演。コンビ解消を否定するばかりか逆にレッド・ツェッペリン2003年再結成説まで飛び出す結果となった。

 ともあれ、好調なツアーを続けるストレンジ・センセイションに気をよくしたロバートは、ソロとしては’93年の『フェイト・オブ・ネイションズ』以来約9年ぶりの新作をこのメンバーで制作することになった。その結果が本作『ヘッド・ファースト』だ。

 アルバム発表後、バンドはヨーロッパで短いツアーを行った後、7月からTHE WHOの北米ツアーに同行する予定になっている。