BIOGRAPHY

THE RASMUS


EERO HEINONEN (B) / エーロ、ハイノネン
LAURI YLONEN (VO) / ラウリ・ヨーネン
AKI HAKALA (D) / アキ・ハカラ
PAULI RANTASALMI (G) / パウリ・ランタサルミ


フィンランド、ヘルシンキ出身の4人組。ヨーロッパでは空前の大ヒットにより100万枚以上のセールスを記録している本作(5作目)。既にドイツ、スイスではプラチナ・ディスクに、オーストリア、フィンランド、フランス、イタリア、スウェーデンではゴールド・ディスクに輝いている話題作だ。そしてヨーロッパ大陸でのヒットがUKにも飛び火し、全英ラジオ・チャート1位獲得、KERRANG!誌でシングル5K、アルバム4Kを認定され、その表紙までも飾る(5/14付)など話題が炸裂。ザ・ラスマスは北欧を飛び出し、世界で猛威を振るいだした!

サクセス・ストーリー
94年、彼らがまだ14歳だった頃にラウリ、エーロ、パウリによってバンドは結成され、のち、4thアルバムのレコーディング前にアキが加入。初ステージに立ったのは地元ヘルシンキの高校の学園祭だったとのこと。「一生音楽をやって生きていきたい」という夢をもったごく一般のティーンエイジ・バンドだった。このバンドがいずれ世界へと大きく羽ばたいていくロック・バンドになろうとは彼らすら想像できなかったに違いない。フィンランドのポップスに嫌気をさしていた彼らは、次第に自国の音楽シーンを変えていきたいという使命感にかられ、それが彼らの楽曲作りの原動力となっていった。

1996年、彼らが16歳の時にデビューEPをリリース、すぐにデビュー・アルバム『PEEP』のリリースへとつなげ、これが瞬く間にゴールド・アルバムとなった。初陣を飾ることにより、新世代ロック・バンドとしてフィンランド・ティーンエージャーの絶大なる人気獲得に成功した瞬間だった。1997年に『PLAYBOYS』をリリースし、この作品も再びゴールド・アルバムとなる。この頃には既にザ・ラスマスという名はフィンランド全土に知れ渡っており、フィンランドのグラミーに値するEMMAで新人賞を受賞。ここで北欧諸国での知名度アップに成功した。そしてこれがきっかけとなってランシド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズなどのフィンランド アリーナ・ツアーの前座を務めるチャンスを獲得。1999年、3rdアルバム『HALLOFATESTER』をリリース。1stシングル「LIQUID」はファン投票によりベスト・シングル・オブ・ザ・イヤーを獲得。アルバムはプラチナムに輝き、見事国民的なロック・バンドへと成長を果たした。しかし、夢はここ(フィンランド)で止まらなかった。名実ともに世界へ羽ばたく旗門をクリアし、夢であった世界への突破口をつくったのは2001年、スウェーデンはストックホルムのレーベル PLAYGROUND MUSICとの契約が実現した時だった。話は逸れるが、元ドラマーだったJANNE (ヤンネ)は4thアルバム『INTO』のレコーディング前にバンドを脱退し、このタイミングで新たに加入したのが現在のドラマー、アキ。アキは地元ヘルシンキの別のバンドにドラマーとして所属していた側ら、ザ・ラスマスのマーチャン販売員をしていたとのこと。ザ・ラスマスは新たなドラマーを迎え、4thアルバムのリリースを期にヨーロッパ各国でのリリースが決定。結果、アルバムはダブル・プラチナムとなり、彼らの知名度は一瀉千里に世界へと広まっていった。EMMA賞では、ベスト・バンド賞、ベスト・シングル賞、ベスト・ロック/ポップ・バンド賞、ベスト・アルバム賞を獲得するなど、まさに絵に描いたようなサクセス・ストーリーを実現していった。

5thアルバムとなる前作『デッド・レターズ』はフィンランドで2003年1月10日にリリースされ、これも期待通りの実績を収める-トータル・アルバム・セールス150万枚突破。

さらに2004年3月にアメリカ、2004年の7月には日本でのデビューも果たし、ザ・ラスマスは世界へ向けて大きく羽ばたいていった。