2011.03.16 release SHM-CD仕様オリジナルアルバム5タイトル CDライナーノーツ先出し!

2011.03.16 release SHM-CD仕様オリジナルアルバム5タイトル CDライナーノーツ先出し!

旋律の王女 QUEEN

 

旋律の王女 QUEEN収録曲・詳細はこちら

この『戦慄の王女』は、英国で1973年7月13日に発売されたクイーンのデビュー・アルバム(米国発売は同年9 月4日、日本では1974年3月25日)。当初は英国のマスコミから酷評され、売り上げの出足は悪かったが、米国のチャートでは83位に入った(後に英国 でも最高24位まで上がっている)。クイーンの作品の中では最もハード・ロック色が強く、当時のブリティッシュ・ロックの香りが漂うアルバムだ。動と静を 巧みに使い分けるドラマチックな曲の展開、多重録音による多彩なギターのハーモニー(本アルバムに”だれもシンセサイザーを弾いていない”とあえて明記し た背景には、こんなすごい音をシンセではなくギターでやっているのだという強い自負がある)、分厚いコーラスといったクイーン独特の音世界も満載だ。

当時の英国ロック界は、ビートルズの解散、ジミ・ヘンドリックスの死を経て、新時代を迎えていた。キング・クリム ゾン、イエス、ピンク・フロイドといったプログレッシブ・ロック勢、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルをはじめとするハード・ロック勢、デヴィッ ド・ボウイ、T.レックスらのグラム・ロック勢が活躍し、まさに群雄割拠の状態だった。『戦慄の王女』は、そんな空気をたっぷり吸い込んで作られている。 特にサウンド面ではザ・フーのほか、ツェッペリンを中心とするハード・ロックの影響は小さくない。性的な倒錯を演出した外見と相まって、”ツェッペリンの グラム・ロック的解釈”という見方もされた。第2作の『クイーンII』はイエスなどプログレ勢の影を感じることもできる。

ただし、重要なのは、初期のクイーンが当時のサウンドに多少影響されているとはいえ、決して物真似やコピーではな く、それを土台に強烈な独自性と創造性を爆発させていることだ。アマチュア・バンドでフレディの真似をして「ライアー」などを歌っていた筆者のような70 年代からのファンが”ああ、クイーンっぽいね”と形容するのは、この『戦慄の王女』から4作目『オペラ座の夜』くらいまでの独特の雰囲気を指すのだが、そ れは決してツェッペリンからも、ボウイからも、イエスからも感じることはできない。その唯一無二の”クイーン色”とは何なのか。初めてこのアルバムを手に してクイーンの扉をノックした人は、聴き込むごとに納得されることだろう。


クイーンII QUEEN II

 

クイーンII QUEEN II収録曲・詳細はこちら

クイーンの第2作『クイーンII』(原題『QUEEN II』、1974年3月4日英国発売)こそが、クイーンらしさの原点であり、歴史的名盤として一般にも名の通っている第4作『オペラ座の夜』を差し置い て、クイーン美学の頂点であるとするファンは実に多い。LP時代に出された本作は、”A面”、”B面”ではなく、レコードの両面を”サイド・ホワイト”、 “サイド・ブラック”と呼び、それぞれを”白”と”黒”のイメージで固めている。「オウガ・バトル」以降が”サイド・ブラック”だから、CDでもそのつも りで聴いてもらいたい。前者が「ホワイト・クイーン」に代表されるブライアン・メイの優美な世界、後者が「マーチ・オブ・ザ・ブラック・クイーン」に象徴 されるフレディ・マーキュリーの妖しげな世界である。

さらにアルバム全体がファンタジー的な世界観で統一されていて、『クイーンII』はいわゆる”トータル・アルバ ム”に仕上げられている。特に”サイド・ブラック”の「オウガ・バトル」から「ネヴァーモア」まで、フレディの作品ばかりが組曲のように展開する辺りは、 ビートルズの『アビイ・ロード』のB面に負けぬ圧倒的な疾走感とオリジナリティーを持ち、クイーン美学を語る上で最も重要な部分のひとつになっている。こ のアルバムのトータル感を支えている幾つかの要素(各曲の解説で詳述する)が、初期からのファンがいうところの”クイーンらしさ”の正体だといっていいだ ろう。初めてこのアルバムを手に取った新しいファンには、是非とも、そのニュアンスを感じ取っていただきたい。

ただし『クイーンII』の”クイーンらしさ”が、4人の天才によって全くの無から創造されたと考えるのは、多少の 無理がある。デビュー・アルバム『戦慄の王女』(原題『QUEEN』、1973年7月13日英国発売)は、当時絶頂にあったハード・ロックのレッド・ ツェッペリンなどの影響を受けていることは前作の本欄にも書いた(さらにその基礎にはビートルズ、ジミ・ヘンドリックス、クリーム・ザ・フーなどがあ る)。その観点からいえば『クイーンII』は、ハード・ロックとともに、プログレッシブ・ロックの影響を受けていることは否定できない。クラシカルな雰囲 気、多重録音を駆使した先進的なサウンド、ドラマチックな曲の展開、分厚いコーラス……といった特徴的な要素は、特にイエスやユーライア・ヒープなどのバ ンドに通じるところがある。


シアー・ハート・アタック SHEER HEART ATTACK

 

シアー・ハート・アタック SHEER HEART ATTACK収録曲・詳細はこちら

デビュー作『戦慄の王女』(1973年7月英国発売)が母国イギリスのチャートで24位、『クイーンII』 (1974年3月英国発売)は5位に入り、一部の評論家の悪意に満ちた酷評を尻目に、地道に人気を上げていたクイーンだが、この第3作『シアー・ハート・ アタック』(1974年11月8日英国発売、米国11月12日)は、英国以外の国にもその名を売り、国際的なスターの道を歩み始めるきっかけになった記念 碑的アルバムといえる。シングル・カットされた「キラー・クイーン」(1974年10月11日発売)が英国で2位、米国でも12位に入り、アルバムも同じ ように英2位、米12位と、自己最高のヒットを記録したのだ。

日本では1974年3月に1枚目が発売され、6月に2枚目、本作は12月21日と立て続けに3枚のアルバムが紹介 された。「キラー・クイーン」のヒットで人気は爆発。1975年4月から5月にかけての初来日では、2度にわたって日本武道館に1万人が押し寄せるなど、 クイーン自身も戸惑うほどのスーパー・スター扱いだった。大いに気を良くした彼らは以後、大の日本びいきになる。世界に先駆ける形で日本が熱狂的な”ク イーン・マニア国”になったのも、このアルバムからだ。「ナウ・アイム・ヒア」で幕を開けた初来日公演が忘れられないファンは少なくないだろう。その熱狂 の立役者は当時、中学生から高校生くらいだった女性たち。少女漫画から飛び出してきたような貴公子然とした4人のルックスに惹かれた面もあっただろうが、 エルヴィスにしても、ビートルズにしても、革新的なロックはそうした若い女性の感性によって見いだされ、育てられてきたのだ。彼女たちの先見の明に拍手。

クラシックの組曲を思わせるドラマチックな曲の展開、緻密な構成、分厚いコーラス、多重録音によるギター・オーケ ストレーション、神話やアート作品を題材にしたファンタジックな歌詞……。彼らは既に、独特の”クイーン美学”を過去の2作で構築していた。確かに『戦慄 の王女』がレッド・ツェッペリンなどのハード・ロック、『クイーンII』はイエスなどのプログレッシブ・ロックという70年代の新しいロックの影響を多少 なりとも受けてはいた。だが、それは模倣ではなく、方法論としての影響に過ぎなかったと思う。

特に『クイーンII』は、多重録音などスタジオでの作業で緻密に構築され、組曲風の大作が目立っていた。それこそ が”クイーンらしさ”であるとして、今も熱心なファンの間で『クイーンII』の人気は圧倒的に高いのだが、同じ傾向に偏らないバランス感覚もまた”クイー ンらしさ”であることを、彼らは第3作で証明してみせたのだ。


オペラ座の夜 A NIGHT AT THE OPERA

 

オペラ座の夜 A NIGHT AT THE OPERA収録曲・詳細はこちら

『オペラ座の夜』(1975年11月21英国発売、米国12月2日、日本12月21日)はクイーンの最高傑作とい うだけでなく、アルバムとしてのトータルな完成度の高さからいえば、20世紀のロック・アルバムの中でもビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロン リー・ハーツ・クラブ・バンド』に匹敵する歴史的名盤といえるだろう。クイーンは1973年夏のデビュー作『戦慄の王女』でレッド・ツェッペリンらのハー ド・ロックを継承する実力を見せ、1974年春の『クイーンII』ではイエスらのプログレッシブ・ロックの方法論を受け継ぎつつスタジオ録音による完璧な 様式美を確立した。さらに1974年晩秋の『シアー・ハート・アタック』ではポップス調の「キラー・クイーン」をはじめロックの枠を超える多様性をも披露 し、ビートルズの後継としての方向性も示し始めていた。こうして60年代から70年代前半のブリティッシュ・ロックを総括するように進化しながら、他に類 を見ない”クイーン美学”を打ち立てていたわけだ。

そんな時期に作られた『オペラ座の夜』は、主に第2作で作り上げたクイーン独自のサウンド(クラシック的な様式と ハード・ロックの融合、分厚いコーラス、ギター・オーケストレーションなど)と、第3作で得たバラエティー豊かなエンターテインメント志向を高い次元で総 合した作品といえる。さらに”オペラ”のコンセプトの下、ロック、ポップ、ジャズ、ヴォードヴィル、ミュージカル、フォークなどポピュラー音楽のバリエー ションをちりばめ、アルバム全体を流れるような一大音楽絵巻として聴かせることに成功している。

当時の日本との関係についても振り返っておこう。このアルバムが録音される直前、1975年4月から5月にかけ て、クイーンは初来日を果たしている。「キラー・クイーン」のヒットで英国や米国でも人気は上がっていたものの、日本のファンの熱狂はその比ではなく、 ビートルズ来日以来の興奮ぶりであった。当時、中高生だった日本の若い女性たちが、クイーンの飛躍を加速させたといっても過言ではない。日本のファンが海 外の逸材を”先物買い”し、育てるというパターンはこの時に始まった。以来、チープ・トリックなど、数多くのバンドが日本のファンに感謝しているはずだ。 もちろんクイーンも然りで、大歓迎を受けて気を良くしたメンバーは以来、大の日本びいきになっている。

この『オペラ座の夜』は日本公演を終えた後の1975年6月にリハーサル入りし、11月の発売間近まで、英国の サーム、ラウンドハウスなど6つのスタジオでレコーディングされた。ウェールズのロックフィールドでドラムを録音したのをはじめ、マルチ・トラック・ボー カルはラウンドハウス、ブライアンのギター・オーケストレーションはサームと、特性に応じてスタジオを使い分けたようだ。このアルバムにも従来通り “ノー・シンセサイザーズ!”のクレジットがある通り、ブライアンのギターをはじめ、フレディ、ロジャーを中心としたボーカルの力で、生のオーケストラに 負けない分厚く、臨場感のあるサウンドを作り出すため、気の遠くなるようなオーバーダビングが繰り返された。プロデュースはロイ・トーマス・ベイカーとク イーン。デビュー作から付き合ってきたロイとのコンビネーションは頂点に達し、”5人目のクイーン”と呼んでも差し支えない働きをした。第5作以降、ロイ の手を離れた後のアルバムが(第7作『ジャズ』で一時復帰するが)、決して出来は悪くないものの、どこか散漫で焦点がぼやけたり、方向性に迷いが見えた り、大袈裟にやり過ぎたりするようになったことを考えると、ロイのバランス感覚と手綱さばきが、この最高傑作において重要なポイントだったことが分かる。


華麗なるレース A DAY AT THE RACES

 

華麗なるレース A DAY AT THE RACES収録曲・詳細はこちら

この第5作『華麗なるレース』(1976年12月10日英国発売、全米12月18日、日本1977年1月9日) は、そんな勢いに乗った時期のアルバムだ。基本的には前作『オペラ座の夜』と対をなすように作られている。原題の『A DAY AT THE RACES』がマルクス兄弟の同名の映画(邦題『マルクス一番乗り』)から借用されている点(前作もマルクス兄弟『オペラは踊る』から借りていた)、メン バー4人の星座(フレディが乙女座、ブライアンは蟹座、ロジャーとジョンは獅子座)をモチーフにした紋章をカバー・ジャケットにした点など、まさに2枚は 双子の兄弟のようだ。

しかも、前作のジャケットが白で、本作を黒にした辺りは、LPの両面を”白”と”黒”のイメージに分けて対比させ た『クイーンII』を思い出させる。『オペラ座の夜』と『華麗なるレース』を比べてみても、やはり”黒”を纏った本作の方がポップス寄りの曲が多いにもか かわらず、暗くて重い印象がある。いずれにせよ、この『華麗なるレース』は前作に続いて英国で1位に輝き、米国でも5位を記録するヒット作になっている。

さて、本作が作られた背景について、もう少し掘り下げてみよう。クイーンの最高傑作といわれる『オペラ座の夜』 は、ハード・ロックを志向した第1作、独自の様式美を確立した第2作、ロックの枠を超えた第3作と、それまでのクイーンが成し遂げてきたことを総決算し、 もう一段高い次元に昇華させたアルバムだった。つまり、ハード・ロック、プログレッシブ・ロック、オペラ、ポップス、フォーク、ディキシーランドなど、 様々なタイプの曲を次々と繰り広げ、全体を”オペラ”風味のミュージカル・ショーとして一気に聴かせるトータル・アルバムに仕上げたのである。

『オペラ座の夜』が初期クイーン・サウンドの完成期だとすれば、本作は爛熟期であり、悪くいえば屋上屋を重ねてし まったとの言い方もできる。しかし、この”駄目押しの一発”があったからこそ、初期クイーン・サウンドは完結したのであり、メンバーにしても第6作『世界 に捧ぐ』以降、違うサウンドを志向していく踏ん切りがついたのではなかろうか(第7作『ジャズ』でバンドは再びロイと組んでいるが、これは結果的には70 年代のクイーン・サウンドを総括することになっただけで、以後のアルバムでは、初期の雰囲気は全く影を潜めてしまう)。