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展覧会「クイーン:ザ・スタジオ・イクスピリアンス・モントルー」が2013年12月2日からスタート!

海外プレス・リリース訳を掲載いたします。

展覧会「クイーン:ザ・スタジオ・イクスピリアンス・モントルー」が2013年12月2日からスタート

マーキュリー・フェニックス・トラスト、ファイティング・エイズ・ワールドワイド後援、カジノ・バリエール・モントルー財団協賛

 ロック界の伝説、クイーンが、ミュージシャンとして、ソングライターとして、そしてライヴ・パフォーマーとしていかに卓越した存在であったかについては、長年のあいだに多くの文章がしたためられてきました。けれども40年間にわたってポップ・ヒット、ロック・クラシックを生み出し、数え切れないほど大勢の若いミュージシャンが、それぞれの場所を音楽史に確立するきっかけとなった音楽が形づくられていく過程とその舞台裏については、さほど多くが知られていません。
 クイーンがファースト・シングルとアルバムのリリース40周年を迎える年に開催される彼らの新たな展覧会「クイーン:ザ・スタジオ・イクスピリアンス・モントルー」は、彼らのレコーディング・ヒストリーのなかでももっとも重要な時期について洞察を深める、滅多に得られない機会となるものです。展覧会は12月2日、ワールド・エイズ・デイに合わせてスタートします。
 マウンテン・スタジオ・セッションでのクイーンは、とりわけ要求が高くなっていました——自分たち自身と周囲のスタッフ両方に対して。その典型的な例として、当時のスタジオ・エンジニア、そしてのちに彼らのプロデューサーとなるデイヴィッド・リチャーズは、「右から左に暴走する野獣の群れみたいな音にしてほしい」というフレディの発言を挙げています。「クイーンは前にだれかがやっていることには興味がありませんでした。彼らはいつも新しいなにかを追い求めていたんです。ですからこっちも、新しいやり方を編み出すしかありませんでした」
 1978年から1995年にかけてクイーンが定期的にレコーディングをおこない、もっとも人気の高いアルバム6作に収められた曲の大半をつくりあげた、スイスにベースを置くマウンテン・スタジオでのセッションをテーマにした展覧会は、バンドがかくも数多くの傑作を生み出した環境や状況を追体験する機会をもたらしてくれるでしょう。
 マーキュリー・フェニックス・トラストの後援で開かれる展覧会は、中でもモントルーおよびスタジオと、フレディ・マーキュリーとの個人的なつながりにスポットを当てています。フレディは最後の数か月を、健康の許すかぎりそのスタジオですごし、最後のヴォーカル・トラックをレコーディングしました。
 フレディに捧げられたこの展覧会を主催するのは、全世界のHIVエイズと闘うためにフレディの名前で設立されたHIVエイズ・チャリティ、マーキュリー・フェニックス・トラスト。世界各地でのエイズとの闘いに対する、教育プログラムおよび国際的な資金集めへの関心を高めることも、この展覧会の目的のひとつとなっています。
 展覧会を開催するにあたっては、カジノ・バリエール・モントルー財団からの後援と、マウンテン・スタジオの旧敷地に建つモントルー・カジノ・バリエールからの協賛をいただきました。
 財団の会長、ミシェル・フェリアはこう語ります。「カジノ・バリエール・モントルー財団は、すべてがはじまったモントルー・カジノで開催される『クイーン:ザ・スタジオ・イクスペリエンス』を立ち上げからサポートし、クイーンがこの街の音楽的な文化遺産に果たしてきた貢献に、関心を呼び起こす機会が持てたことを誇りに思っています」
「クイーン:ザ・スタジオ・イクスピリアンス・モントルー」では、クイーンの現役時代にマウンテン・スタジオが入っていた部屋が、モントルー・カジノの複合施設内に忠実に再現されます(スタジオはリノヴェーションが理由で2003年に撤退しました)。再現された空間には、オリジナルのスタジオと、バンドのこの時期における個人的なアーカイヴから、大量の記念物が展示される予定です——手書きの歌詞、メンバーが使用していた楽器や衣裳、スタジオのテープ・ボックス(その多くには、のちに改変される曲の原題が記されています)に加え、特別に用意された、インタラクティヴなオーディオ/ヴィジュアル環境も提供されるのです。
「スタジオ・イクスピリアンス」のキュレーターは、クイーンの公式アーキヴィストを務めるグレッグ・ブルックス。直近のクイーン関係の仕事としては、バンドの40周年を記念して、2011年2月にロンドンで開催され、大々的な成功を収めた「Stormtroopers in Stilettos」展を手がけています。マーマレイド・ロンドンのデイヴィッド・シンプトンによると——
「10日間で2万2000人以上の集客があったロンドンでのプロジェクトの成功を受けて、今回、バンドの並はずれた偉業を讃える恒久的な展示のデザインを任されたことは、われわれにとって、最高の栄誉と言えるでしょう。スイスの町は、バンドのメンバーにとって、かけがえのない隠れ家だっただけでなく、数多くの代表曲が構想され、レコーディングされた場所でもありました。記録映像、衣裳、記念物、インタラクティヴなディスプレイとストーリーの組み合わせは、既存のファンにとって、目の離せない展示となるだけでなく、新世代のファンを生み出すための、格好の入門編にもなってくれるはずです」
 展示の目玉となるのが、バンドが実際に使用し、フレディーが最後のヴォーカルをレコーディングしたオリジナルのコントロール・ルーム(それらのセッションで用いられたマイクの実物も完備しています)です。訪問客はレコーディングの最後の日々にフレディーが使っていたスタジオの椅子に座り、伝説的なプロデューサー/エンジニア、デイヴィッド・リチャーズのミキシング・デスクを操作して、自分なりにミックスしたクイーンのトラックをつくることすらできてしまうのです。最初に提供されるトラックは、バンドが最後にモントルーで制作した《メイド・イン・ヘヴン》からのものになるでしょう。ギターかドラム、またはベースぬきでお気に入りのクイーン・ナンバーを聞いてみたい、ピアノとバッキング・ヴォーカルだけを上げてみたい、あるいはフレディーの声だけをソロで聞いてみたいと思ったことのある人にとって、これはまさにそうした希望を叶える、またとない機会となるはずです。
 クイーンが最初にマウンテン・スタジオでレコーディングをしたのは1978年、南フランスで着手した7枚目のスタジオ・アルバム《ジャズ》の仕上げをするためでした。1年後、クイーンはスタジオの所有権を獲得し、1993年の初頭まで保有していました。
《ジャズ》セッションでこのスタジオを初体験した彼らは、さらに5枚のスタジオ・アルバムをここで制作し、ロジャー・テイラーとブライアン・メイは、ソロ作品でもこのスタジオを使用しました。またマーキュリーはスペインのソプラノ・オペラ歌手、モンセラート・カバリェと共演した最後のソロ作品《バルセロナ》のかなりな部分をマウンテンでレコーディングしています。
 マーキュリーは当初モントルーのような、なんとも平穏な場所でレコーディングをするというアイデアに難色を示していました——バンドが所有権を獲得したら、まずこのスタジオをどうしたいかという質問に、彼は「湖に投げこむよ」と皮肉っぽく答えています。しかしフレディーはこの新しい環境を日増しに愛するようになり、最終的には湖岸にアパートを購入。人生の最後の時期をそこですごし、残された日々の多くを、マウンテン・スタジオで、おそらくは自分の死後にリリースされるであろう曲たちのヴォーカルを録り貯めすることに費やしたのです。
 1991年11月10日、マーキュリーはモントルーに最後の別れを告げ、そのちょうど2週間後、11月24日の日曜日にロンドンで逝去しました。モントルーでレコーディングされた彼の遺作は、1995年11月にリリースされたバンドのラスト・アルバム《メイド・イン・ヘヴン》に収録されています。アルバムはクイーン最大のベストセラーのひとつとなり、全世界で2000万枚以上の売り上げを記録しました。
 ブライアン・メイはこう語ります——「最初はささいな決定のつもりだったものが、不思議なことに、人生を大きく変えてしまうこともあるんだ。モントルーとの関係は、そもそもたまにはイギリス以外のところでレコーディングしてみたいという、ぼくらの思いつきからはじまった。そうすれば、もっと集中できるんじゃないかと考えてね(1978年ごろのことだと思う)。ぼくらはバンド全体で、新たな音楽的インスプレーションを探し出す場所として、モントルーとミュンヘンをためしてみることにした。で、けっきょくはどっちもぼくらの人生にとてつもなく大きな影響を与え、モントルーは第二の家みたいになったわけだ。後期のぼくらは主にマウンテン・スタジオで音楽性を深めていったから、クイーンのファンが、あのスタジオを直に体験し、クイーンの歴史の中でも、たぶんいちばん創造的だった時期とつながってもらえるというのは、とてもすばらしいことだと思う」
 ロジャー・テイラーがつけ加えて——「マウンテン・スタジオの思い出はつきない」
「クイーン:ザ・スタジオ・イクスピリアンス・モントルー」は2013年12月2日にブライアン・メイとロジャー・テイラーによって開会されます。以後は連日10時30分から22時まで公開され、入場は無料ですが、マーキュリー・フェニックス・トラストへの募金は常時受けつけています。

 展覧会へのアクセスについては——
www.queenstudioexperience.com
www.mercuryphoenixtrust.com
www.fondationcasinobarriere.ch

編者注:
 1996年、レマン湖の湖畔に、モントルーでもっとも有名な住人のひとりだったフレディーを讃えて、彫刻家のイレーナ・セドレカの手になる高さ3メートルのブロンズ像が建てられた。除幕は1996年11月25日、モンセラート・ カバリェによっておこなわれた。
 像は現在も、世界各国のファンを数千人単位で引き寄せ、フレディーの誕生日(9月5日)前後に開催される毎年恒例のモントルー・メモリアル・ウィークエンドの期間中は、その数が特に多くなる。
 デイヴィッド・リチャーズは1993年2月にマウンテン・スタジオをクイーンから買い取った。当初、モントルー・カジノ内に位置していたスタジオは現在、スイスの静かな田園地帯に居を移している。
 デイヴィッド・リチャーズが語るクイーンとの仕事——
「はじめてクイーンに会ったのは、アルバム《ジャズ》の制作で、彼らがここにやって来たときのことです。エンジニアにはロイ・トーマス・ベイカーがついていました。その後、彼らはスタジオの購入を決め、いきなりわたしには新しい勤め先と、新しいボスができていたんです。それがクイーンでした。
《ジャズ》とロジャー・テイラーのソロ・アルバムの仕事を終えたとき、たしかロジャーがほかのメンバーに、わたしとマウンテンをクイーンのアルバムで使って、今までとはちがうサウンドにトライしてみないか? と提案してくれたんだと思います。というわけでわたしは《カインド・オブ・マジック》から彼らと仕事をするようになり、これがもう信じられないほどうまく行ったんです。で、それ以降は、定期的に組むようになりました。
 いちばん胸が躍った瞬間というと、まず思い浮かぶのは即興でやったときのことですね。〈イニュエンドウ〉は即興的な曲で、これを彼らはここモントルーで、スタジオのすぐ隣にあるカジノの巨大なコンサート・ホールでレコーディングしたんです。ライヴをやるときのようにセッティングをして、バンドが演奏をはじめると、だんだんリズムとグルーヴがいい感じになってきました。するとフレディーが「こいつはいい」と言って階段を駆け下り、コンサート・ホールでいっしょにうたいはじめたんです。もう、まさにライヴのような感じで——最高でした」

マウンテン・スタジオで制作されたクイーンのアルバム(タイトル/リリース年)
ジャズ(1978年、フランスのスーパーベアー・スタジオも使用)
ライヴ・キラーズ(1979年)
ホット・スペース(1982年、ミュンヘンのミュージックランド・スタジオも使用)
カインド・オブ・マジック(1986年)
イニュエンド(1991年)
メイド・イン・ヘヴン(1995年)

ブライアン・メイ
バック・トゥ・ザ・ライト(1992年)

フレディー・マーキュリー&モンセラート・カバリェ
バルセロナ(1988年)

ロジャー・テイラー
ファン・イン・スペース(1981年)
ストレンジ・フロンティア(1984年)

ロジャー・テイラー/ザ・クロス
夢の大陸横断(1988年)
マッド・バッド・ロックンローラー(1990年)

 


 
 

 

 

 

  

 

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