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80年代も終わりにさしかかった頃、
「暴走族になるか?バンドを組むか?」ベンジーという愛称をもつやさしい詩人、
浅井健一はバンドを選び上京。各種バイトをしながらメンバーを探していた。
一足先に上京し、あらゆる日本のパンクバンドで太鼓を叩いていたのは中村達也。
「★★★★★★なんか聴いて泣いている奴の気が知れないね。
あー胸くそ悪い、青汁飲んで寝るか」HIGHとLOWのいったりきたりで
身体中から死の匂いが漂っていた初期型パンクロックエンジン搭載のドラムマシーン。
同じように名古屋で生きる屍と化していた、
かつてスキャッツというバンドでウッドベースをブッ叩いていた照井利幸に、
ある日ベンジーから電話がかかる「バンドやるで東京来やぁー、迎えに行くでさぁ」
そして1990年の春がきて、
高円寺の片隅にある小さなライブハウスで、その夜集まった観客15人ほどの前で、
史上最強の3人組の「うた」がスタートした。
タツヤ:もっと本格的に世の中ってものにアピールせなあかんて、イカ天に出よまい!
ベンジー:OK!じゃぁデモテープ送っとくわ。
数日後
ベンジー:返事が来て「ぜひ出て下さい」だって!
タツヤ:えっそうなの・・・ちょ。やっぱカッコ悪そうだでやめよまい!
テルイ:いかんて!達也。男が一度決めたもんはやらなぁかんて。
タツヤ:ぐっ・・・
ベンジー:OK!じゃあ「出るよ」って返事しとくわ。
そしてなんと6代目グランドイカ天キングを獲得!
と同時にブランキーの存在を知ったレコードメーカー各社の争奪戦が起こり、
見事東芝EMIが契約に成功。ともにその後6年間を過ごす。
経歴
1990年11月
デビュー前、初の全国ツアー『Live Strangler』各地でソールドアウトになり、
入場できなかったファンが会場を取り囲む騒ぎに。
1991年2月
パリコレにヨージ・ヤマモトのコレクションのモデルとして参加。
1991年4〜7月
デビュー後初の全国ツアー『Live Sharks』。全国30公演でソールドアウト続出。
ツアー中(6月)神宮プールでおこなわれた東京コレクションに登場。
デニス・ホッパーらと同じステージに立つ。
1991年10〜12月
渋谷公会堂を皮切りに、全国ツアー『死神のサングラス』。全27公演。
1992年2〜3月
全国ツアー『殺しに来たぜI LOVE YOU』。全20公演。
1992年5月
東名阪ツアー『RAVEN』。
1992年6月
B.J.C. vs 多田由美ジョイントグラビアコミック『灰になるまで』発売。
1992年10〜11月
全国ツアー『地獄はトカゲの夜』。全8公演。
1992年11月
シングル『悪いひとたち』インディーズでリリース。
(一部歌詞に問題がありとなり、メジャーからの発売は歌詞を変更して発売となった。)
アーティストサイドからの強い意志と要望が所属事務所(当時:東京ピストル)より発売。
1993年3月
全国ツアー『DUST & THE WORLD』。全7公演。
1993年5月
メンバー自身が文章、写真、イラストを手掛けた初の単行本『Carburetor』が宝島社より発売。
デビュー前からアルバム『C.B.Jim』までの写真と膨大な文章、
そして付録にCDシングルをつけた完全限定1万部の本『BJC』がロッキンオンより発売。
初の野外コンサート『Melon Soda & Chiri Dogs』を日比谷野外音楽堂で行う。
1994年6〜9月
94年ライブツアー『スージーの青春』。ホール&ライブツアーで約40公演。
ライブビデオ『Angel Fish』をインディーズでリリース。(限定2万本)
1994年9月
レコーディングのため渡英、その後ロンドンにて初のライブを行う。
1994年12月
初の日本武道館でのライブが行われる。
1995年3月
メンバー各々がプロデュースした企画ライブイベント『Dead Pinocchios Party』を行う。(3days)
1995年3〜4月
95年ツアー『暴走ピノキオ』。全11公演。
1995年7月
レコーディングのため渡英、と同時に
イギリスツアー5ヶ所、ロンドン「アストリア2」にて。(2800人動員)
1995年8月
代々木公園野外ステージにてフリーライブ『Are You Happy?』を開催。(1500人動員)
1995年11〜12月
TOUR95 『Dinamate Pussy Cats』。全15公演。
1995年12月
日本武道館にて5TH ANNIVERSARY LIVE『Dinamate Pussy Cats』を行う。
1996年7月
各メンバーのソロワークスのイベント『B.A.C×3計画〜ブランキーだから許されること〜』を開催。
浅井プロデュース:SHERBET、照井プロデュース:JOE BROWN、
中村プロデュース:LOVE SHOP LOSALIOS
JOE BROWN ツアー全5公演。SHERBET ツアー全3公演。
1996年8月
ニューヨーク&ロス (2公演)でのライブを行う。
1996年9月
日比谷野外音楽堂ライブを行う。
1996年11月
96 Standing Tour 『ピンクの若いブタ』。全10公演。
1997年1月
97 Hall Tour 『Spaghetti Hair』全3公演。
1997年5月
ポリドール移籍後初のシングル『ガソリンの揺れかた』リリース。
1997年6月
ポリドール移籍後初のアルバム『Love Flash Fever』リリース。
1997年6〜7月
97年ツアー『皆殺しのトランペット』。全11公演。
1997年9月
Maxi Single『左ききのBaby』リリース。
1998年1月
Maxi Single『赤いタンバリン』リリース。
『1998 Tour Red Tambourine』全19公演。
1998年6月
Single 『小さな恋のメロディ』リリース。 Album 『ロメオの心臓』リリース。
1998年7月
『1998 Tour Romeo's Heart』全15公演。
1999年1月
各ソロプロジェクト始動。
1999年5月16日
東京スカパラダイスオーケストラの青木達也氏急逝の為、
中村達也が助っ人ドラマーとして『1999club tour荒野を走る』に参加
1999年6月2日
Maxi Single『ペピン』リリース 。
1999年7月7日
SHERBETSがシングル『HIGH SCHOOL』をリリース 。
1999年7月28日
SHERBETSがアルバム『SIBERIA』をリリース 同時にツアー『SIBERIA GIGIS 1999』スタート。
1999年8月21日
日本史上最大のロックイベント『RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO』に出演。
全15バンドの中、圧巻のステージを披露。
1999年9月14日
中村達也が出演した、塚本晋也監督作品『BULLET BALLET』の
マスコミ試写会が開催され、話題を呼ぶ。
1999年10月20日
照井利幸ソロプロジェクト・JIM SPIDERがアルバム『WITH A GHOST』をリリース。
1999年11月10日
中村達也ソロプロジェクト・LOSALIOSがアルバム『世界地図は地の跡』をリリース、
同時に3人の各プロジェクトが集結したビデオ『SHERBETS JIM SPIDER LOSALIOS』をリリース。
1999年12月
1999 STANDING TOUR『CONTINENTAL PUNK』スタート 。
2000年 4月12日
Maxi Single 『SEA SIDE JET CITY』リリース。
2000年5月10日 アルバム『HARLEM JETS』リリース 。
同日解散を発表。
2000年5月12日
2000Tour『LOVE IS DIE,DIE IS A CHANGE』スタート全17公演。
2000年7月
2000Tour『LOVE IS DIE,DIE IS A CHANGE』FINAL
横浜アリーナ 2Days“LAST DANCE”を行う。(7/8,9)
フジ・ロック・フェスティバル’00に出演(7/28)
2000年9月20日
『LAST DANCE』 CD,VHS,DVD同時リリース。
2000年10月25日
2 BEST ALBUM
“BLANKEY JET CITY 1991-1995(WHITE)”
“BLANKEY JET CITY 1997-2000(BLACK)”
OUT SIDE MIRRORS(オフィシャルファンクラブ)
〒150-8691 渋谷郵便局私書箱76号 (株)オフステーション内
TEL 03-3402-8395 (受付時間月〜金11時〜13時/14時〜18時)
オフィシャルサイトへ:
http://bjc.wilddisk.com/
マネージメント
(有)ワイルド・コーポレーション
TEL 03-5456-9700 / FAX 03-5456-9701
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