PIZZICATO ONE 『わたくしの二十世紀』 オフィシャル・インタヴュー

聞き手:松永良平

2015.6.12掲載 PART ONE  | 2015.6.19掲載 PART TWO  | 2015.6.26掲載 PART THREE  | 2015.7.3掲載 PART FOUR 


PART FOUR (2015.7.3UP) 

──『わたくしの二十世紀』で歌われている楽曲と、歌っているヴォーカリストのみなさんについてお話をうかがってきて、ここから後半です。UAさんの「かなしいうわさ」。

小西 UAさんはね、きっかけがあるんです。去年の12月に大阪の堺であったDJパーティーで、KING JOEと一緒になったんです。彼はだいたいガレージとか変な歌謡曲をかけるんだけど、去年の一曲目がUAさんの「情熱」だったんですよ。それにガーンときて、やられちゃったんです。それで、12月の末に恵比寿であった別のイベントで、たまたまUAさんと一緒になったんですけど、そのときにどうしても「情熱」をかけたくなって、かけたんです。その夜、エレベーター・ホールで偶然にUAさんと会って、挨拶をしてくださって。そんな偶然があって、その日の夜くらいに「そうか、UAさんに『かなしいうわさ』を歌っていただけたらすばらしいんじゃないか」って気づいたんです。

──まさかのKING JOEのDJきっかけだったとは(笑)

小西 そうなんですよ。今、日本で僕くらい「情熱」をかけてるDJはいないと思います(笑)。あの曲は日本の歌謡史のなかのひとつのピークだと思うようになりました。北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」の90年代版というか、それくらい極端にとがった歌謡曲なんですよ。すごい歌手がすごい曲と出会った瞬間みたいなものだと思う。

──「かなしいうわさ」は、もともとザ・スクーターズのために書かれた曲で、このアルバムのなかでは一番最近に書かれた曲でもあったんですが、アレンジもまったく変わりました。

小西 もちろんスクーターズのヴァージョンも大好きなんですけど、このアルバムにもし組み込むとしたらこのアレンジかなと思ったんです。ベースと歌のデュエットみたいなね。今回のアルバムは、みんなヴォーカリストは素晴らしかったんだけど、このときのレコーディングは特別な感じだった。本当にワンテイクなんです。しびれましたね。

──小西さんもUAさんも「もうこれ一発でOK」と。

小西 うん。僕の曲って、じつはすごく難しいんですよ。譜面を見て歌える人ならともかく、耳で聴いて覚える人には結構難しい曲なので。でも、UAさんは完璧でした。僕も彼女とのレコーディングでは初めてだったし、正直ちょっと不安もあったんですけど、結果的には、あんなに濃い時間ってあるのかと思ったくらいでした。

──そういう緊張感も音として残されている感覚があります。

小西 今回は音が薄いから、歌った後のリップ・ノイズとか、ピアノのペダルのノイズも録れてしまうんです。だから、そういうノイズとの戦いでもありました(笑)

──ヴォーカリストにとっても、自分が歌っている言葉をおろそかにできないという戦いもあったと思うんです。

小西 うん。UAさんも曲を気に入ってくれてよかったです。

──「きみになりたい」「昨日のつづき」の吉川智子さん。吉川さんも、甲田さん、ミズノさんとおなじく『うたとギター。ピアノ。ことば。』組でした。

小西 吉川さんは、ひとことで言うと“日本のダスティ・スプリングフィールド”です。彼女にはよくデモで仮歌を歌ってもらうんですけど、こういう人に出会えるのはソングライターとしてもラッキーだと思いますね。彼女の反応は、ときどき僕に「いい曲ね」って言ってくれることもあるくらいの感じなんだけど(笑)。でも本当に、吉川さんの声で自分の曲が何倍にもかっこよく聞こえるんですよ。

──「私の人生、人生の夏」。ここで小泉今日子さん。この曲を歌ってくれるような“現代の本田路津子”みたいなヴォーカリストを探されていたという話でした。

小西 本田路津子さんご自身に歌っていただきたいとも考えましたけどね。でも、いまはゴスペル・シンガーになられているという話で。

──2012年に出た小泉さんのアルバム『Koizumi Chansonnier』に小西さんが詞曲を提供した「面白おかしく生きてきたけれど」が本当に素晴らしいので、僕はその続編のようにもこの曲を聴きました。

小西 あのとき小泉さんが僕をあのアルバムで使ってくださったのは、彼女がPIZZICATO ONEの『11のとてもかなしい歌』を聴いて、ひさびさに僕と仕事をしたくなったからだったそうなんですよ。そのエピソードを思い出して、今回は僕からお願いしてみたらOKをいただいたんです。

──そうだったんですか。

小西 小泉さんは、僕のなかでは、画期的に歌がうまい人なんですよ。あの頃の日本のアイドルはみんな自分のスタイルを持っていて素晴らしいけど、小泉さんはそのなかでも日本の歌謡曲の歌い方をちょっと変えた人だと思うんです。今回のアルバムのなかで言えば、市川実和子さんも、YOUさんも、若いときに小泉さんの歌を聴いて、どこかで彼女の影響を受けていると思う。そして僕も、小泉さんの歌謡曲の歌い方というのが、僕が歌をジャッジする基本のひとつになっているんだとも思います。ご本人はご自分の歌には相変わらず自信がないようなことをおっしゃるんだけど、たぶん、自分ではその素晴らしさがわかってないんだよね(笑)。この曲は本当に小泉さんに歌ってもらってよかった。

──その小泉さんが、小西さんとのいろんな接点を経て、この曲でこの場所に入ってきたというのが、巡り合わせのようにも思えます。

小西 アルバムのこの辺で、ちょっと優しい曲が聴きたいって気分になったのかな。あと、アレンジ的にいうと、キャピトル・レコードの女性シンガーで、ジャック・ファシナートがアレンジをしたアルバムがありましたよね。どう聴いてもフォークなんだけど、ジャズの音をきちんと通った人がやっているフォークというサウンドの。

──キャシー・テイラーですかね。きれいな声で歌っていてかわいい感じなんだけど、細部が細かく器楽的にアレンジされている、ちょっと変わったレコードですよね。

小西 この曲のアレンジは、そのイメージなんです。この曲にはぜんぜんジャズ・テイストはないんだけど、元のコードがわりと分数コードを多く使っているから。

──「美しい星」でもう一度、甲田さんが登場します。

小西 この曲のピアノは僕が弾いたデモの音源を採用したんです。自分にかつてあったいろいろなことが反映されている気がしましたね。

──ふたりだけでレコーディングするというのも、最初から構想にあったんですか?

小西 甲田さんの声は、あんまりバックに厚い音が入らないほうがいいだろうというのもあるし。

──小泉さんも甲田さんもそうだし、このアルバムで聞こえてくる歌声にみんなどこかに共通点があるとしたら、歌のなかで歌われている言葉に描かれている失われたものや罪の意識みたいなものを、許してくれるような心があるという気がするんです。“甘さ”とか“癒し”とはまったく別の感覚として。

小西 そうですね。

──ある意味、“もうどうでもいいじゃないか”と思わせてくれるような。だから、アルバムをずっと聴いてきて、「私の人生、人生の夏」「美しい星」そして「マジック・カーペット・ライド」への終盤に、すごく救われる気持ちになっていくんです。

小西 もちろん僕もそうですよ。昔からずっと思ってるのは、僕が“声がいいな、歌がうまいな”と思っている人と、いわゆる一般に歌がうまいとされている人とでは、ぜんぜん違うと思うんです。だから、歌がいいと僕が思っているのは、たとえばこういう人たちなんですという、そういうプレゼンテーションでもあるんです。でも、その点、僕の歌は本当にダメだね(笑)

──でも、このアルバムの真ん中に「ゴンドラの歌」で、小西さんの歌があることが重要だと思います。

小西 今回は、僕の歌が引き立て役になることで、他の人がいかに素晴らしいか、わかりますもんね(笑)

──いやいや、そうではなくて。僕は以前にフジテレビの音楽番組『FACTORY』(2002年5月25日放映《FACTORY covers pizzicato five》)で小西さん自身が「子供たちの子供たちの子供たちへ」と「マジック・カーペット・ライド」を歌われるのを見たときにめちゃめちゃ心が動いたのをすぐに思い出しました。しかも、今回のアルバムのラスト・ナンバーが「マジック・カーペット・ライド」で、「あ、つながった」って気がしたんです。それに、子供の夢と言ったら変ですけど、「いつかそうなりたい」と心から考えている人がその作品のなかにちゃんといるというものが、僕は好きなんです。そして、PIZZICATO FIVEでも、PIZZICATO ONEでも、小西さんがやっていることは、そういうことだと思うんです。そこが聴き手のイマジネーションを喚起したり、実人生と重なり合っていく部分でもある。だからこそ小西さんの作る音楽は、プロデューサー・ミュージックでありながら技量やセンスだけを見せつけているものにはならないで、結果的にシンガー・ソングライターの作品なんだと強く思えるものになっている。今回はその最新型というか、一番いいものを聴いたと思ってます。

小西 一番いいかはわからないですけどね(笑)。そう言えば、このアルバム、ヒット曲が入ってないですよね。

──でも、本質はすごく出ているし、小西さんは人間を見ているなと思います。音楽は時代や社会を映す鏡なんだとは思いますけど、そのいっぽうで最近、音楽を語ることが社会学やマーケティングに近づきすぎていると感じる場面が僕には結構あって。そういうタイミングで、小西康陽があらためてこんなにパーソナルなアルバムを作ったということに意味があるというか、救いに近い感覚を覚えたんです。というか、そこは小西さんは一度も時代の急所みたいなところをはずしてないなと。

小西 本当ですか? ずーっとはずし続けてる感じもあるんだけど(笑)

──でも、結果的にいつも小西さんは自分というものから逃れられない。でも、その状況で作られていく作品が本当におもしろいし、素晴らしいと思ってます。

小西 自分が作るものは全部そうなんだけど、このアルバムって、本当に身勝手な、自分のためだけのレコードですよね(笑) それもこんなすごいヴォーカリストを揃えてさ。こんなことをしてていいんだろうかって思うんだけど、きっといいんでしょうね、それで(笑)

 


PART THREE (2015.6.26UP)

──『わたくしの二十世紀』に収められた楽曲について一曲ずつ聞かせてください。アルバムのセルフ・ライナーノーツでも楽曲については語られているので、むしろ小西さんが今回起用したヴォーカリストにフォーカスするかたちで聞いていきたいと思います。まず、アルバムのイントロダクションとしての「聴こえる?」。「フラワー・ドラム・ソング」からの、このフレーズを、をアルバムの導入にしようというアイデアも早くに決まっていたんですか?

小西 決まっていました。できれば、歌も甲田益也子さんにしたいと。だいたい何でもパッと決めちゃうんですよね(笑)。あるときにもう「これだ!」ってなっちゃうんです。前に作った『うたとギター。ピアノ。ことば。』で甲田さんが歌った「エーデルワイス」は、もう何回聴いたかわからないです。そこから本当に好きな声になってしまったので、今回は日本語で歌ってもらいたいと思ってお願いしました。彼女の声はビリー・ホリデイに似てると思います。なんか……、“彼岸の音楽”って感じがしますよね。

──そしてその声に導かれて、おおたえみりさんの歌う「私が死んでも」。

小西 おおたさんが世にでるきっかけになったオーディションで僕が審査員をしていたという縁もあるんですけど、好きなヴォーカリストなんですよ。この曲を誰に歌ってもらうかしばらく決まらなかったんですけど、あるときおおたさんがいいとパッと思ったんです。あと、これはバックのトラックの話なんですけど、このトラックは、結構気に入ってるんです。アンディ・ゴールドマークが70年代にワーナーで出したソロ・アルバムをちょっと意識してるんですよ。あれって不思議なレコードじゃないですか。

──わかります。70年代のアメリカのシンガー・ソングライター好きが求める人間臭さとか土臭さからすると、ある意味で対極にある、ひんやりとしていて謎めいた感覚のレコードですもんね。

小西 ピアノの弾き語りのレコードなのに、ちょっとリアリティがないというか、ファンタジー性のつよいアルバム。極端にシンプルな編成なのに、バーバンク・サウンド的でもあるというか。

──「東京の街に雪が降る日、ふたりの恋は終わった。」。アレンジも含めて完成度の高い曲をもう一度おなじシンガーでやるのは、実はかなり難しいことなんじゃないかと思いました。

小西 前のヴァージョンが、自分としてはちょっと耳障りがよすぎる気がしていたんです。それでもう一回やろうと思ったんだけど、やっぱり歌ってもらうのはミズノさん以外には考えられなくて。この曲は彼女のファンの間でもとても人気がある曲で、カフェ・ライヴとかで歌うと反応があるんですとミズノさんにも言っていただいていたので。あと、もう一曲「12月24日」をミズノさんには歌ってもらったんですが、最初は「日曜日」でそうしたように、この2曲をメドレーをしてみようと思ったんですよ。でも「12月24日」の次に「東京の街に~」が来たら、ちょっと歌詞が作る物語として悲しすぎると思って、やめました(笑)

──「恋のテレビジョン・エイジ」。西寺郷太さんはこの曲を含め、メドレーの「日曜日」、ラスト・ナンバーの「マジック・カーペット・ライド」と、アルバムのなかで3回登場します。

小西 郷太くんには、このアルバムを作りはじめるときから歌ってもらいたいと思ってました。

──意外というわけではないんですが、西寺さんとの仕事はこれが初めてですよね?

小西 僕がNONA REEVESのリミックスをやったことはあるんですけど、過去にはそれだけですね。

──とはいえ、相思相愛的な仕事であったというのは、なんとなくわかります。

小西 うん。もうメドレーの「日曜日」を作ってる時点で、頭の中で郷太くんの声が鳴っていましたね。

──「日曜日」は、「日曜日の印象」「おかしな恋人・その他の恋人」「新しい歌」を単につなげたというより、歌詞の中にいる登場人物をつなげてひとつの新しい物語にしてしまう試みでしたが、こういうメドレーは、ほぼ初めてですよね。すごく刺激的でした。

小西 このやり方って、もしかしたらミュージカルを仕事にしている人だったら普通に思いつくのかもしれないですね。PIZZICATO FIVEの曲はミュージカルにしやすいと思うんだけどな(笑)。

──それは見てみたいですね。

小西 それはまた別の話ですけど(笑)

──郷太さんとデュエットしてるenahaさんという人は?

小西 僕はこのレコーディングの日に初めてお会いしました。実は「私の人生、人生の夏」を歌ってくれるような人をずっと探していたんです。現代の本田路津子さんにあたるようなイメージの声。それは誰なんだろうって考えてて、あるとき行達也さんに相談したんですよ。そしたら「いい歌手いますよ」って、いきなりSoundcloudのURLが送られてきた。それは、enahaさんがニール・ヘフティの「ガール・トーク」を英語でピアノで弾き語りしているもので、すごくよかったんです。「私の人生、人生の夏」で歌うのはちょっとイメージが違うと思ったけど、絶対にこのアルバムでは何かの曲で歌ってほしいと思ったんです。

──小西さんの依頼に対するenahaさんの反応はどんなものだったんですか?

小西 うん。僕のDJは見たことがある、西寺郷太の名前は知っている、と。そういう感じでした(笑)。でも、すごく度胸のある人でしたね。

──最後の「マジック・カーペット・ライド」にも登場しますし、重要なキャスティングじゃないですか。

小西 そうですね。ラッキーでした(笑)

──YOUさんの「戦争は終わった」。

小西 YOUさんは彼女が本名の江原由希子でデビューしたときから知っているんです。彼女が当時所属していたのがテイチクで、僕もPIZZICATO FIVEでデビューしたのがテイチクだったから、そのときに紹介されたんですよ。彼女にお願いしようと思ったきっかけは、テレビなんです。僕は普段はテレビは見ないんですけど、レコーディング・スタジオにいるときの食事の時間とかには見るんです。ある時、YOUさんのしゃべってる声を聞いて、「あ、この人のレコード作りたい」って思ったんですよ。実は以前、columbia*readymade時代にも一度オファーしてるんですよ。

──そうだったんですか。

小西 でもそのときは実現しなくて。絶対にこの人はアメリカのジャズ歌手のフランシス・フェイみたいな、しゃべるように歌うレコードを作ったら素晴らしいはずだと思ってて、それを今回この曲で思い出したんですよ。この歌詞を歌うのは、この人以外考えられないと思って。

──では、かなり前から意識されていたんですね。

小西 そうですね。YOUさんも僕のことは覚えていてくれてました。

──この曲を歌うということについての反応はどうでした?

小西 「難しすぎる」って(笑)。でもね、歌はばっちりでした! あの声はすごく説得力がありますね。

──市川実和子さんの「あなたのいない世界で」。

小西 市川さんとはNHK-FMで『これからの人生。』に出ていただいたときに録った曲がアルバム一枚分くらいあるんですけどね。今回の編曲も、NHKでやってもらったときのそのまんまなんです。それぐらい気に入ってるヴァージョンだったので。

──ちょうど愛川欽也さんが亡くなったこともあったので、『これからの人生。』で愛川さんと市川さんがしゃべっていた回(2011年12月21日)を思い出しました。「大リクエスト特集」でしたよね。愛川さんが亡くなったとき、あの回を追悼放送してほしいと心から思いました。

小西 歌入れのとき、スタジオで市川さんとあのときの話はちょっとしました。

──そして「ゴンドラの歌」。この曲で、ムッシュかまやつさんが登場するんですが、冒頭の語りだけで、歌ってはいない。

小西 歌ってもいただいたのですが、語りのほうが断然すばらしかったので。

──でも、語るだけ語って、すっといなくなるあの存在感はすごいと思いました。

小西 録っていても、あれには敵わないと思いました(笑)

──あの語り、ワンテイクですか?

小西 ワンテイクでした。

──すばらしい。でも、ムッシュの後に歌われている方もすばらしいですけど。どうして、小西さんが歌っていることはクレジットされなかったんですか?

小西 いや、僕のアルバムだから、どう考えても「feat. 小西康陽」とは出せないでしょ(笑)

──確かにそうなんですけど(笑)。でも、それが一番のパラドックスというか、サプライズなので。実は、最初にこのアルバムの音源をいただいたときに「ゴンドラの歌」を聴いたんですよ。理由は、セルフカヴァー集だという話だったのに知らないタイトルだったからというのと、黒澤明の『生きる』で志村喬が歌っているあの曲かなとも思ったからなんです。でも、よく見たら、“歌”の字が違う。そしたらムッシュかまやつさんの語りに続いて聞こえてきた小西さんの歌声にめちゃめちゃびっくりして。

小西 (笑)

──小西さんの歌声ににじむ死生観といったら簡単すぎるんですが、自分自身や実生活に訪れたいろいろな出来事をいやでも思い出すし、とにかく率直な歌にやられてしまって。歌詞を聴いていけば「華麗なる招待」の改題であるとわかるんですが、途中までまったくの新曲だと思って聴いていました。それぐらいびっくりしたんです。

小西 あの曲に関して、僕から言わせてもらえば、松永さんが関係しているんですよ。

──本当ですか? そんな話は初めて聞きました(笑)

小西 前に僕の仕事場で、松永さんがハイファイ・レコード・ストアの特典音源『これからの人生。』を作っていたときがあったじゃないですか。あのときに、僕がスタジオに行ったら、カントリー・シンガーのマーティ・ロビンスが歌う「恋はフェニックス」が流れてたんですよ。あれがすごくいいなと思って、僕もレコードを買って、ああいうレコードを作りたいと思った。それでムッシュに歌ってもらうことにしたんです。でも、結局ムッシュも歌わずに、僕がデモテープで歌っていたものがそのまま使われることになったんですけど。なので、このアレンジはマーティ・ロビンスとか、アル・マルティーノとか、60年代のポピュラー・シンガーのレコードを意識しているんです。

──タイトルを変えたのはどうしてなんですか?

小西 前のタイトルは、あまりにも適当に付けたなと思っていて(笑)。ザ・タイガースの映画のタイトルですしね。

──でも、歌としては気に入っていたわけですよね。

小西 すごく好きな歌だったんだけど、前のヴァージョンはアレンジ的にも時間をかけすぎちゃって失敗したと思ってるんですよ。その雪辱というのもちょっとありました。

 


PART TWO (2015.6.19UP)

──PIZZICATO ONE名義での最初のアルバム『11のとても悲しい歌』は、全曲英語詞で英語圏のシンガーが歌っていて、“歌のアルバム”であると同時に、歌をサウンドのなかに投げ込んで溶け込ませてみるというアプローチがあったと思うんです。ある意味、歌でありながら、“サウンドのアルバム”でもあった。そういう意味では、今回の『わたくしの二十世紀』はまごうことなき“歌のアルバム”ですね。

小西 そうですね。最近こういう作品はあまり出てないかもしれない。前のアルバムはアレンジャーとしての自分の名刺作りという面もあったけど、今回はそれですらない。「アレンジしてないでしょ!」って曲もあるもんね(笑)

──そんなことはないと思うんですけど(笑)。ただ、PIZZICATO FIVE時代の楽曲にしても、時代を経過した“リアレンジ”とか、いわゆる“アップデート”みたいな印象はしないんです。もっとまったく別のプロセスというか。素材としてある歌を自分自身の現在にフィットさせてみようとする試みだと思いました。「こんなに変わりました、おもしろいでしょ」という自己主張がまるでないんです。

小西 そう。なるべく詞と曲だけ聴いてほしいというのはありました。

──八代亜紀さんをプロデュースされた『夜のアルバム』(2012年)を思い出す部分も多かったです。なるべく小さなジャズコンボ・アレンジが用いられている点とか。

小西 小さい音で聴きたいとか、ひとりで聴きたいとか、そういうリスニングに関する欲求というのはずっとあるかもしれないですね。八代亜紀さんのアルバムはまさにそういうものだったし。彼女自身も言及していたジュリー・ロンドンの世界っていうのは、まさに独身の男性がひとりで聴くためのレコードだったじゃないですか。今回も、そういう環境を自然と作るようなアルバムにしたいと思いました。

──ジャケットも、ご自身は「あまり深い意味はない」とおっしゃってますが、前作同様雪景色で。僕が九州出身だからよけいにそう思うのかもしれないですけど、雪って降ると街の音が消えるんですよね。勝手に、そこにすごく意味を読んでしまったりしています。

小西 うん。それはわかりますね。

──音が小さい、というか、音が消えているような場所で鳴っている音楽だということは、PIZZICATO ONEについては思いますね。

小西 ただ、そういう指示はしてないんです。「こういう気持ちで歌ってほしい」とか、そういう指示をすることだけは昔から嫌だったし。今回参加していただいた人たちはみな、事前に僕のデモテープを聴いてくれて、どういうものを僕がほしいのかは音でわかってくれていると思ったしね。でも今回、デモテープをきちんと作りすぎたという部分もちょっとありますね。1月の時点で、もう完璧なデモテープを作っていて。曲順もこれで決まっていたし。一曲だけ後でアレンジをちょっと変えましたけど、他の曲はもう編曲が完全にできていました。

──そうなんですか。

小西 もっと言うと、作った後で気がついたんですけど、このアルバムってミュージシャンが自由に弾いてる曲ってほとんどないんですよ。全部譜面なんです。僕は音楽に楽器のソロとかを求めないのでもともとミュージシャンが自由にできる範囲は少ないんですけど、今回はさらに少なかったかなと思って(笑)

──「作った後で気づいた」とおっしゃいましたけど、必ずしも最初はそういう意図ではなかったということなんですか?

小西 僕の場合、自分で演奏が自由にできるわけじゃないんで、譜面というのはひとつのコミュニケーションの手段なんですけど、たとえばベースとかドラムスとかってあえて譜面を無視してやってくれるじゃないですか。でも、たとえば今回の河上(修)さんのベースって、完璧に譜面通りなんですよ。それがおもしろいなと思って。

──だからかな、一瞬「あれ? このベース、小西さんが弾いてるっぽい?」って思う部分が結構あったんです。ベースラインが、まるで小西さんの書く曲のメロディのように思えたというか。それは、なぜなんでしょうね? デモにしろ、譜面にしろ、小西さんの思いをいつもよりもっと尊重したくなる空気感がミュージシャンにも伝わっていたのかもしれないですね。

小西 うん。歌とベースのデュエットみたいな曲が何曲かあって、そういうのはきっと尊重してくれたんでしょうね。ピアノも最初は譜面通りに弾いてくれてたんですけど、さすがに「もう少し自由に弾いてください」って言った曲も何曲かありましたね(笑)。

──選曲と曲順は1月ですでに決まっていたとおっしゃいましたけど、ヴォーカリストのキャスティングも早くに決めていたんですか?

小西 いや、それはさすがにその段階では4、5人しか決まっていませんでした。アルバム・タイトルもその時点では『わたくしのビートルズ』で。

──結果的に変えてみて、今はいかがですか?

小西 今はこっちのほうが好きかな(笑)。ずいぶん『わたくしのビートルズ』にはこだわったんですけどね。

──『わたくしの二十世紀』というのも、すごく小西さんらしいタイトルだと思いました。僕はこのタイトルだけを先に聞いて、勝手に想像したことがあるんです。近年は小西さんは昔の日本映画を死ぬほどご覧になってるじゃないですか。そこからの連想で、昭和や20世紀の日本にかつてあって、今はもうない日本家屋の作りや、あいさつとか社会の不文律みたいなものを音楽で想像させるものになるのかも、とか。それは和風な表現という意味じゃなくて、音楽が作られる上でのしきたりというか、音楽がその人から生まれてきて育ってきた時間や風景、原点を重んじるような気持ちというか。

小西 シンガー・ソングライターのレコードが自分の原点にはあって、ああいうのが好きで僕もレコードを集め始めたので、とにかく自分のソロ・アルバムではそういうのを残さないと、って思ってたんでしょうね。じゃあまず、全部自分で歌えよ、って感じですけど(笑)。

──いや、でも今回は「ゴンドラの歌」があるじゃないですか。この曲についてはあとでまたあらためてお聞きしますが、最初は黒澤明の映画『生きる』で志村喬がブランコに乗って歌っているあの曲をムッシュが歌っているのかなとも思ったんです。だけど、よく見ると“歌”の字が違う。そしたら、ムッシュの語りに続いて聞こえてきたのは、小西さんの歌声で。めちゃめちゃびっくりしました。

小西 でも、やっぱり、自分の家でひとりで聴きたいと思うとね、自分のヴォーカルは減りますよね(笑)

──でも、そういう意味ではここに選ばれたヴォーカリストというのは、どこかで自分の歌と相通じる要素というか、気配みたいなものを感じる人たちなんでしょうね。

小西 そうかもしれない。もっと言うと、ソングライターの欲として、どうせなら好きな声の人に歌ってもらいたい、というのはいつもあるので。

──じゃあ、次回からはそのヴォーカリストのみなさんや楽曲についてお話を聞かせてください。


PART ONE (2015.6.12UP)

──たぶん、みなさんそうだったと思うんですが、単純にとてもびっくりしたんです。PIZZICATO ONEの新作がこうして突然に発表されたことに。当初は、小西さんの楽曲をカバーするコンサートの依頼が去年あったというところから始まったそうですね。

小西 そうですね。ライヴのアレンジって、どう考えても一回限りになるのがもったいないと思って、レコーディングすることになりました。

──それで、ライヴではなくスタジオ盤を作るという方向に転換するにあたって、4年前のPIZZICATO ONEという名義が浮上してきて。「もう一度、PIZZICATO ONEで」という気持ちがやっぱりあったんですか?

小西 名義はなんでもよかったんです。ユニバーサルのディレクターの斉藤さんに相談したら「PIZZICATO ONEにしましょうよ」っていう意見をもらって。きっと売りやすいからだと思うんですけど(笑)

──ということは、もしかしたら名義は“小西康陽”でもよかったんですか?

小西 そうなんです。最初はソフトロック的なサウンドで作る予定もあったので、それだったら、グループ名をなにかつけてもよかった。

──ご自分でもおっしゃってますが、実は過去にも小西さんの楽曲のセルフカバー的な試みは何度かあります。そのなかでも、今回の『わたくしの二十世紀』は、選曲も含めてもっともパーソナルというか、でもそのとことんパーソナルであることがむしろ強い感染性を持ってこちらに伝わってくるというか。本当に聴いていてえぐられるあルバムなんです。

小西 こういうレコードをずっと作りたかったんですよ。

──その“ずっと”は、昔から明確にあった思いだったんでしょうか? それとも、だんだんとはっきりしてきたものでしたか?

小西 僕はアレンジやリミックスの仕事もするし、DJもやってますけど、基本的には自分の仕事は作詞作曲家だと思っているんです。やっぱりたくさん作ってくると愛着がある曲もあって、なおかつ、自分が愛着を抱いてるほどには人に知られてない曲もあって。そういうものを折に触れてまとめて誰かに聴かせたいという気持ちがあるんですよ。今までいろんなかたちでやってきたんですけど、今回は、まずは自分のために作ったレコードだと言えます。自分が家で聴きたいレコードって何枚もあるんですけど、そのなかでも一番聴きたいレコードの、その一枚に加えたくて作った。だから、こういう言い方は僭越なんですけど、本当に誰よりも自分のために作ったレコードなんです。

──もっと言うと、自分がひとりで聴くためのレコードということですよね。

小西 そうですね。

──そこでやっぱり、PIZZICATO ONEの“ONE(ひとり)”に音楽の根幹が落とし込まれていくなと思えるんです。選曲面でも1990年代後半のPIZZICATO FIVE後期~2000年代の小西康陽プロデュース作品『うたとギター。ピアノ。ことば。』(2008年)へと連なっていくあたりの、非常にシンガー・ソングライター的色合いの濃い楽曲中心になっています。ここ最近はプロデュースやアレンジでアイドルを手がけられたり、かなり多彩な活動をされてたので、もう一度こういう表現に小西さんがやるという理由も、実は気にもなったところなんです。

小西 そんなに大きなきっかけはないんですけどね(笑)。ただ、このアルバムに集めたようなクオリティの曲をいよいよ書けなくなってきたというのはありますね。まあ、書こうともしてなかったんですけどね。「書けないだろう」と思ってしまっていた。

──それは小西さんが自分に求めるハードルの高さという意味ですか?

小西 そう。スクーターズに提供した「かなしいうわさ」(2012年)とかは一時間くらいでできちゃったんですけど、こういう曲はなにかのきっかけがないとできないんですよ。

──ただ、ここに収められた曲の多くは、僕には懐かしくより、新しく聴こえたんです。もちろんアレンジも違うし、かつてと違う聴こえ方があるという言い方のほうが正しいかもしれないんですけど、歌詞のなかに自分が映り込む度合いが、単なる聴き手である僕のなかでもすごく高まっていて。小西さんにとってもこのアルバムの曲は、当時とはまた違うかたちで自分に覆いかぶさってくるものであり、現在の自分を映しだすものになっているんじゃないのかなと思ったんです。

小西 それぞれ当時の曲はいろんな理由があって書いていたんですけどね。ただ、次から次へと仕事をしていたんで、本当に目の前にある気持ちとかを曲にしていたこともいっぱいあります。とりあえず一番書きやすい曲を書いていた。カヒミ・カリィさんに「私の人生、人生の夏」(1997年)を書いたときとか、まさにそんな感じでしたしね。

──つまり、必然的に自分のことになっちゃっていた。

小西 大昔、確か「ロッキング・オン・ジャパン」の取材だったと思うけど、「こういう曲はみんな自分の日常に起きたことから書くんですか?」って聞かれたときに、「いやあ、僕の曲は日記じゃないからそういうふうには曲は書きません」って答えたけど、それは全然ウソだよね(笑)

──今は「いよいよこういう曲が書けなくなった」と言われてましたけど、それは逆に言うと、このアルバムには、ある意味で小西さんの一番パーソナルな心情がはからずも曲というかたちで濃く表現されていたそういう曲が選ばれているという意味でもありますよね。

小西 そうですね。まったく忘れていた曲もあるんですけどね。「フラワー・ドラム・ソング」とかね(笑)。なんでここで思い出したのかすらわからない。『SWEET PIZZICATO FIVE』(1992年)というアルバムを作ったときに、自分では「オンエア推薦の一押しはこの曲だ!」と思って書いたんですけど、「万事快調」という曲がすごく評判よかったので、この曲は忘れられてしまって。そのまま自分でも忘れてしまったという曲なんですけどね(笑)

──そうなんですか? アルバムのイントロダクションにも引用されている重要な曲ですよ。でも、こういうアルバムを作るのは、自分リサーチというか、アーカイヴをあらためて調べる作業でもあるから、そこを通じての発見というのはありますよね。

小西 すぐに「やろう」と思った曲もあるし、「やってみようか」と思ったけど聴き直したら別にピンと来なかったという曲もあるし。あと、2、3曲くらいやろうかと思った曲があったんですけど、その時点ですでに16曲も入ることになってたので、もういいかなと。最初はね、曲と曲の途中にインストを挟もうと思ったんです。いよいよ自分の聴きたいレコードそのものにしようと(笑)。でも、本当に曲が増えちゃったんで、「もうこれでいいや」と決めました。