BIOGRAPHY

OUTRAGE / アウトレイジ


 OUTRAGEは、1982年に名古屋で結成されている。オリジナル・ラインナップは阿部洋介<g>、安井義博<b>、丹下眞也<ds>、伊藤千豊<vo>の4人。当初はNWOBHMのカヴァーなどを中心としたレパートリーで、地元のライヴハウスでライヴを行なっていた。

 1986年に、伊藤が脱退して別のバンドに在籍していた橋本直樹が加入。これで現在の4人のメンバーが揃った。そして、1987年に自主レーベルの『Pile Driver Records』からデビューEP「Outrage」(ジャケット・デザインから、後に“ペケレイジ”という愛称で呼ばれるようになる)をリリースする。この頃になると日本国内でもスラッシュ・メタルが盛り上がっており、いくつもの優れたバンドがしのぎを削っていたが、そこに一石を投じたのがこのEPだった。それはまさに、METALLICAへの名古屋からの回答だった。OUTRAGEは単にMETALLICAの模倣をしたわけではなく(影響はされているが)、METALLICAと同じようにNWOBHM、70年代〜80年代初頭のHR/HM、パンク、ハードコアをルーツに持つために、その結果としてああいう音が出たのだ。とにかく衝撃的なEPだった。本人達は「受けた影響をミックスしただけ」というような言い方をするのだが、実際のところ完成度は高い。“Step On It”の構築美に溢れたギター・ソロなんて、10代の少年が考えて弾いたものとはとても思えない。非常に大人びている。またこの当時は“スラッシュと言えばシャウト”だったが、荒々しくも男らしい声でしっかりメロディを歌う橋本のスタイルも強く耳を引いた。

 このEP、すぐに売り切れてしまい、しばらくは入手不可だったが、“Under Control Of Law”と“Edge Of Death”は続く1stフル「BLACK CLOUDS」でリ・レコーディングされているし、1997年には2枚組のスペシャルなEP「It’s PACKED!!-10th Anniversary Live & Rare Edition」のDISC 2としてCD化もされたので、収録されている4曲は現在に至るまでライヴの定番としてファンを熱狂させている。

 1988年には、上記した「BLACK CLOUDS」をリリース。いきなりのメジャー・デビューである。「OUTRAGE」の音楽性をそのまま広げたアルバムだが、わずか1年ほどで急激な進化を遂げており、この時点で既に世界基準の音を出していた。日本で知名度の高い欧米のスラッシュ・メタル・バンドのアルバムと聴き比べても、音楽的に負けている部分はなかった。いやむしろ、勝っている部分が多かった。FLOWER TRAVELLIN’ BANDの“Slowly But Surely”をカヴァーしているが、これも見事にモノにしていた。2nd「BLIND TO REALITY」(1989年)は、リフ攻撃の嵐でそのサウンドはさらに激化。3rd「THE GREAT BLUE」(1990年)は、その延長線上にありつつも若干空間を増やして歌を活かした音作りが成されていた。

 そして、1991年。4th「THE FINAL DAY」がリリースされる。初めて海外、ドイツに飛んでレコーディングされた作品だ。プロデューサーは、当時元ACCEPTのドラマーとしても知られていたステファン・カウフマン。これ以前、バンドはなかなか理想の音が得られず悩んでいたが、この時それが解消された。最初に試し録りをしただけで「これだ!」という音が得られたという。結果、過去最高の曲と演奏とサウンド・プロダクションが聴けるアルバムになった。マスターピースの誕生である。紛れもなくOUTRAGEのサウンドで、スラッシュ・メタルのスピードとアグレッションはあるのだが、「THE GREAT BLUE」以上に空間を増やし、ヴォーカルを中心に総ての楽器が活きるアレンジをしたのが功を奏している。非常に聴きやすいアルバムだ。橋本がシンガーとしてのスタイルを広げ、時にビリー・アイドルのような歌い方をするところも印象的だった。そんな橋本が、最初はレコーディングすることを拒んだという初の純バラード“River”も素晴らしい出来だ。これより、OUTRAGEのサウンドは第二期に入ったといって言いかもしれない。5th「SPIT」(1993年)、6th「LIFE UNTIL DEAF」(1995年)、7th「WHO WE ARE」(1997年)でもスラッシュ・メタルの範疇に止まらず様々な音楽の要素を取り入れ、それと同時にメタルからグランジ/オルタナティヴへと移行していく時代の風も読み、そのサウンドはアップデートされていく。

 しかし、1999年に橋本が脱退。メンバーも認めているとおり、今振り返ってみればこの変化はバンドにとって必要なものだったし、もしそのまま4人で続けていたら解散していたかもしれないが、当時は誰もがショックを受けた。これに対して残った3人は、後任を入れずトリオで活動していくことを決める。安井がメインでヴォーカルを取る編成だ。EP「VOLUME ONE」(2001年)、EP「PLAY LOUD EP」(2002年)、8th「24-7」(2002年)、9th「CAUSE FOR PAUSE」(2004年)といったこの時期の作品は橋本在籍時よりもシンプルで、メタルと言うよりヘヴィ・ロックあるいはロックン・ロールと呼んだ方がしっくりくる。ただ、橋本が復帰してから9th収録の曲でシングル・カットもされた“Deadbeat”を歌うのを聴いていると、紛れもないOUTRAGEの曲に聞こえる。自己研鑽は怠らないが、それでも彼らのアティテュードのベースには「やれることしかやらない。やりたいことしかやらない」というものがある。それが図らずしも実証された形だった。

 そして、2007年。9月2日に川崎・クラブチッタで行なわれたデビュー20周年を記念するライヴで橋本が復帰。当初は期間限定の予定だったが、大反響を得たこともあって2008年には完全復帰する。2009年には、10th「OUTRAGE」をリリース。これは橋本在籍時のOUTRAGEの美味しいところを集めたようなアルバムで、大絶賛された。オープニングを飾る“Rise”は屈指の名曲だ。2010年には橋本の復帰に至るストーリーを主軸にした感動的なドキュメンタリー映画『SHINE ON -TRAVELOGUE OF OUTRAGE-』が公開され、2011年にはDVD化されている。2013年にリリースされた11th「OUTRAGED」も、「OUTRAGE」の延長線上にあるアルバムだった。その後、2015年に新曲と日本のロックの先人達曲のカヴァーで構成されたスペシャル・アルバム「GENESIS I」を、2017年2月にデビュー30周年を記念したボックス・セット「XXX BOX」をリリースし、同年10月に12th「Raging Out」をリリースする。丹下はこのアルバムを「橋本復帰後の3部作の最終作」と捉えているそうで、音楽的には前2作の延長線上にある。ルーツをきっちりと見せつつも新しいメタルのエネルギーを取り入れ、その上で全体を激化した、しかも歌心に溢れたサウンドが聴ける。橋本のヴォーカルだけでなく、阿部のギターもいつにも増してよく歌っている。PAINやHYPOCRISYを率いるアーティストとしても知られるピーター・テクレンがミックスを手掛けたサウンド・プロダクションも相俟って、演奏は実にヴァイオレントだ。とても平均年齢が50歳になりなんとするバンドとは思えない。OUTRAGEはまだまだ若いバンドに倒されることはないだろう。この先の新たな展開も楽しみだ。