BIOGRAPHY

ONE NIGHT ONLY / ワン・ナイト・オンリー


Artist (L→R)
ジェイムス・クレイグ(ドラム) 
ジャック・セイルズ(キーボード) 
ジョージ・クレイグ(Vo.&G.) 
マーク・ヘイトン(ギター) 
ダン・パーキン(ベース)

 

ベイルートの駐車場で大騒ぎしたり、セグウェイに乗ってプラハを旅したり、米テキサスでAK-47自動小銃をぶっ放したり、屋内でスカイダイビングしたり……。毎週水曜日、ワン・ナイト・オンリーのウェブサイトにアップロードされてきたホームビデオの動画を追いかければ、こういった映像をはじめ、彼らの大躍進の舞台裏の様子が分かる断片を数え切れないほど拾い集めることができる。それは2008年にUKチャートの導火線に火を付けた、壮大かつポップなデビュー・アルバム『スターティッド・ア・ファイア』(Started A Fire)リリース以降の、彼らの慌ただしい日常の映像記録だ。

だがこういったビデオからでは、英ヨークシャーでリハーサル室をめちゃくちゃにしていた過激な未成年の子供達が、正真正銘のトップ10スターにのし上がるまでの、ONO(ワン・ナイト・オンリー)の異例とも言うべき躍進の半分だけしか分からない。そこに描かれていない所で彼らは、(09年に閉鎖した)伝説的なライヴ会場『ロンドン・アストリア』のサヨナラ公演の1つでヘッドライナーを務めたり、10万枚以上を売り上げてゴールド・ディスクに輝いたデビュー・アルバムからギアを入れ替えたり、優美なメロディが圧巻な「Just For Tonight」を全英チャート9位に送り込んだりもしてきた。そしてそれでも、彼らの活躍ぶりに息をのんだ、故郷ノース・ヨークシャー州ヘルムスリーの地元の人達が想像する、”ワン・ナイト・オンリーがこれまでやってきたこと”の半分にも満たないのである。

「色んな噂があるんだよね!」と語るのは、新加入したドラマーのジェイムス・クレイグ(James Craig)。彼はヴォーカルのジョージ・クレイグ(George Craig)の兄弟で、先頃、ジョー・リーン&ザ・ジン・ジャン・ジョン(Joe Lean & The Jing Jang Jong)を脱退し、ONOのドラムスを担当することになった。「ヘルムズリーではみんな知り合い同士なんだけど、その間で飛び交ってる噂の中には、めちゃくちゃ笑えるやつもあったんだ」。

「例えば、僕らがヨットをプレゼントされたとか、運転手付きの高級車を与えられたとかね」と、キーボード担当のジャック・セイルズ(Jack Sails)。こんな名字(Sails=帆船)をしてはいるが、彼は未だヨットを所有したことはない。

ジェイムスが笑う。「それから、僕らがヘロインに全財産を使っちゃったとかね」。

クスクス笑うジョージ。「僕が17の頃は、もうヘロイン中毒になってたとかいう噂だったみたいだよ」。 誰が考えても当然それはナンセンスな話だが、華やかなエレクトロが炸裂する、ONOのバンド名を冠した今回のセカンド・アルバムで、無口ではあるが自信に満ちた13歳のフロントマンから、傑出したパワーポップ・ピンナップ・スターへと成長したジョージにまつわる噂話の中には、確かに真実を突いているものもある。そう、彼がバーバリーのモデルを務めたのは本当だ。彼は映画の役もオファーされた(サム・テイラー=ウッド監督の映画『ひとりぼっちのあいつ』(原題:Nowhere Boy)で、彼はジョン・レノン役の最終候補2名にまで残った)。映画『ハリー・ポッター』の出演女優で、同じくバーバリー・モデルを務めたエマ・ワトソンと”ひと夏の恋”をしたのも本当だ。そして彼は確かに、ここ数年の『ファッション・ウィーク』で最も酔っ払った男であった。

「僕が行ったパーティーの中には、かなりスゴいやつがあったんだよね」とジョージ。「グッチのパーティーとかヴィヴィアン・ウェストウッドのパーティーとかにも招待されたけど、そこの招待客の顔ぶれは、ほんとヤバかった。でも一番ヤバかったのは僕だよ。初めて行ったのはグッチのパーティーだったんだけど、そこで階段から落っこちて肋骨を折ったんだ。全く、とんでもない恥かいちゃったな」。

これは田舎町の無名な少年が大物セレブへと成り上がるまでの、古典的な物語。そしてその始まりは2003年、ヘルムズリー・タウン・ホールのリハーサル室へと遡る。そこで練習していたのは、まだヴォーカルのいないバンド。ベースのダニエル・”ポブ”・パーキン(Daniel ‘Pob’ Parkin)、ギターのマーク・ヘイトン(Mark Hayton)、ドラマーのサム・フォード(Sam Ford)、そしてもう1人のギタリスト、カイ・スミス(Kai Smith)の4人が、ブリンク182やグリーン・デイ、そしてビートルズの曲を、放課後に集まって練習していたのだった。そして彼らはサムの弟の友達、ジョージを紹介される。ジョージは当時まだ13歳だったが、彼にはしっかりしたヴィジョンがあった。カリスマ性のあるこの少年に、自分達のバンドで歌ってくれないかと頼んだ彼ら。すると彼は、ギターも弾きたいと主張。それにより、カイがバンドを脱退させられることとなった。「僕らはウマが合ったんだ」とマーク。「そしてその瞬間、僕らは本物のバンドになったんだよ」。

それを境にワン・ナイト・オンリーは、事件に次ぐ事件を経ながら着実に進歩していった。このバンド名が決まったのは初ライヴの直前、現場でのこと。というのもこの名前を使うのはその一晩限り(=ワン・ナイト・オンリー)だと、その時の彼らは考えていたからだ。彼らが投げたボトルが「偶然」リハーサル室の壁を突き破ったせいで、本拠地としていた場所から追い出される羽目になった事件。ようやく思春期に達した年頃のヴォーカルがいるティーンエイジャーばかりのバンドが、ライヴ出演のためにヨークシャーのあちこちのパブに現れて、パブのマスターや会場のオーナーに衝撃と戸惑いを味わわせた事件。そのマスターもオーナーも、出番が終わった後の彼らが会場に居残ることを許してはくれなかったし、未成年であることを証明するリストバンド(※英国のフェス等で用いられ、大きく『未成年(UNDERAGE)』と書かれている)を渡してくれたりもしなかったが、そういった衝撃や戸惑いの大きさに比例するかのように、彼らを支持するヨークシャーのティーン達は熱狂し、団結。やがて彼らは地元に強固なファンを獲得していった。ある霧の深い夜、ライトアップの中で堂々とそびえ立つドラックス火力発電所にインスピレーションを得て、このバンドにとって現在までの最大のヒット曲である、威風堂々としたナンバー「Just For Tonight」を書いたという事件。
そして恋の始まりに心をかき乱されて、「You And Me」や「It’s About Time」といった、高揚感のある快活なポップ・チューンの数々が生まれ、生きる喜びを歌い上げる若々しい謳歌や、現実逃避願望、そして広い世界の可能性に満ちた、時代を超越するアルバム1枚分のポップ・ソングを書き上げたという事件。

「特に初期のそういった曲にはね、」とジャック。「今いる場所から抜け出して何かするってことに対する楽観主義があった。真剣に考えてたわけじゃないと思うけど、でも僕らは自分達を信じてたし、自分達のやってることを信じてたんだ」。

マーク「あのくらいの年頃の時は、バンドは現実逃避の手段だった。バンドをやってる時は、学校だとか自分達に起きている他のくだらないことだとかで、悩まずにいられたんだよ」。

そして2005年、『ヨーク・ファイバーズ』でギグを行った際に、バンドに付き従う友達やファンが大型バスで乗りつけ、遂に各レコード会社のスカウト陣の関心を喚び起こすという事件が起きた。それに続いて、バンドはMyspaceに強行着陸。それがレディオ1の名物DJであるスティーヴ・ラマークの関心をそそった。彼が「Just For Tonight」を番組内でかけたのをきっかけに、様々なレーベルがバンドに殺到。そしてONOは、Vertigoと契約。その時ジョージは、まだ16歳にもなっていなかった。2008年が明ける頃には、彼らはジ・エネミーやピジョン・ディテクティヴズのサポートとしてツアーを回り、モリッシーやU2を手掛けたプロデューサー、スティーヴ・リリーホワイトと6週間スタジオにこもって、完璧に準備を整えたデビュー・アルバムをレコーディング。Myspaceのバンド公式サイトのトップページにアップしたファースト・シングル「You And Me」のビデオは、センセーションを巻き起こした。そして「Just For Tonight」はとうとうトップ10ヒットに。そこから玉突き現象のように、バーバリーとの契約、映画のスクリーンテスト、大物ゲストとしてのパーティーへの招待、ヘッドライナーとしてのホール・ツアーが続いた。

「全部、僕らが契約した時に望んでたことだったんじゃないかな」と頷くジョージ。「レコード会社との契約は夢の実現だったし、トップ10に入ったのは、もうとにかくめちゃくちゃ最高だったね」。

「大ホールでライヴをやりたいって発言することについては、何の後ろめたさも感じないんだ」と付け加えるのはマークだ。「それがこのバンドのサウンドなんだよ。そういう大きなステージでライヴをやったことにより、僕らが今回セカンド・アルバムで鳴らしているようなサウンドを創り上げることができた。以前より壮大になっているよ」。

ジョージもそれに同意する。「僕らの望む音により近くなっているね。僕らはこれまでも、アリーナでライヴをやりたいって、ずっと主張してきた。きっと素晴らしいだろうな、ってね。アリーナ・バンドになれるような曲を書くってことが、僕らがやりたいと思ってることの全体的な雰囲気としてあるんだ」。

そしてその間に、少年から大人になっていったONO。彼らは1年の月日にわたって、バンドと同名のセカンド・アルバムを構成することになる、よりシンセ主体の扇動的な曲を徐々に書き上げていった。より良い曲が生まれる度に、約30曲からなるアルバム収録候補リストから、最初の方に出来た曲を絶えず削除していったのである。

ジャック「リストは常に上書きされてたね。曲の束を前にして、よく『最初の2曲は、あんまり見込みがなさそうに思うな』とかって言ってたんだ。それでそういう曲はリストの最後尾に回されて、別の新しい2曲が付け加えられていった。そういうことを絶えずやっていたんだよ」。

ジョージ「僕らがどういったものを必要としてたのか、どんな方向を目指していたのか、そのサウンドを探すための1年だった。そしてあれほどの成功を収めたという狂騒の後で、頭を整理し直すための1年でもあったんだ」。

「6つのシングル曲が含まれるポップ・アルバムであると同時に、僕らが発展させてきた、あの壮大なサウンドも備えている」ものを作りたいという考えを土台に、より成熟度を高めた、より磨き上げられたサウンドを徐々に進化させていった彼ら。そして2010年、彼らはスウェードやパルプを手掛けたプロデューサー、エド・バーラー(Ed Buller)と共に、巨大かつ扇情的なポップ・サウンドをブリュッセルのタウンハウス・スタジオへと持ち込んだ。このセカンド・アルバムのレコーディング・セッションは「神経を張り詰めた」ものとなり、(レコーディング開始から2週間後にサム・フォードに代わって加入したジェイムスを含めた)メンバー全員が、絶えず3つの別々のスタジオを使って、曲作りとレコーディングを行っていた。

「80年代のあらゆるアルバムのサウンドを、キーボードを使って復活させてみたいと思ったんだよ」とジョージ。「実際は誰もやっていないようなものをね」。

「僕らのファースト・アルバムには80年代っぽいセンスがあるって、皆に言われてたんだ」と言い添えるジャック。「だから、もし今度のアルバムで大きな進歩を遂げて、それが僕らの成長を示す作品になるなら、恐らくその方向性もう少し追求すべきなんじゃないかって考えたんだよ」。

また彼らは、より賢明な世界観も育んでていた。デビュー・アルバムから迸っていたエネルギーや、溢れる元気、そして刺激的なメロディは、今も輝きを放っているが、ホワイト・ライズとサイケデリック・ファーズを足して2で割ったような「Bring Me Back Down」や、目眩がするほどまぶしいこのアルバムの青写真となった「Forget My Name」(フー・ファイターズが、ジェイン・ウィードリンの「ラッシュ・アワー」をカヴァーしているところを想像してみてほしい)といった楽曲の中には、ONOにとって初めてとなる悲しい結末の恋物語が含まれている。

「僕らは意図的に、より深みのある作品を作りたいと思ってたんだ」とマーク。

ジャック「今回のアルバムには、より思慮深い曲を入れたかった。とことんハジけていて、誰もが熱狂するような曲を収録するのも結構だけど、自分達が単なる一発屋じゃないってことを証明したかったんだよ」。

実際、火傷しそうなくらい熱いエレクトロ・ロックのリード・シングル「Say You Don’t Want It」 ― (ネタバレ注意!)そのPVでは、ジョージとエマ・ワトソンが、NYの街をさまよう”迷い犬”を演じている ― は、更に奥へと踏み込んだ、大量消費主義的な広告攻撃に対する反逆ソングだ。そして「Anything」は、更に露骨で、成功の浅薄さや成功した人々のことを描いた物語になっている。

ジョージ「それは僕らに『世界はきっと君のものになる』と断言するような人々だとか、そういうのに僕がどれだけ嫌な思いをさせられるかってことを歌ってる曲なんだ。音楽業界には、腹黒い人間が山ほどいるんだよ」。 ジャック「それは、16歳でレコード会社と契約するってこと、そしてその意味についての若者らしい楽観主義、そして現実に立ち向かうってことでもあるね。そしてその現実ってやつは、精神的な問題ばかりじゃなく、ものすごくビジネス的な問題だったりもする。”クリエイティヴな機械”の問題だったりもするんだよ。それが現実ってこと。だから『結局そういうことなの?』ってなるのさ」。

アルバム『One Night Only』には、その対極に位置する曲として、バンド史上最もアップビートな聴き手を鼓舞する「Can You Feel It?」がある。これはコカ・コーラのCMソングとして書かれた曲で、この巨大飲料メーカーのトレードマークとなっているメロディラインが含まれている。アンチ商業主義な曲「Say You Don’t Want It」と同じアルバムに、そのような曲を入れるのはおかしなことだろうか?

「歴史に目を向けてみればさ」とジョージ。「それ(コカ・コーラのCMソング)をやったアーティストには、最近ではザ・フーもいたし、シーロー・グリーンもいた。全然そんなこと知らなかったんだよね」。

マーク「僕らとしては、このアルバムに完璧にフィットする曲を書いたと思ってる。ひとつの曲として、僕らはこれにすごく満足してるんだ」。

ジャック「コカ・コーラ用の曲を書いていた時、僕らはまた楽観的な状況にあったんだよ。というのも、このセカンド・アルバムはもう完成していて、僕ら自身それをすごく誇りに思ってた。それにコカ・コーラ社との仕事は、びっくりするほど素晴らしい機会だと思ったんだ。だからこれはその当時の僕らの心境を表しているし、それがコカ・コーラの理念でもあるし」。

そういった全てから、英国で最も有望な若手バンドの1つによる、魅惑的で洗練された2作目のアルバムが生まれた。若さとロック・ミュージックとの爆発的な衝突に依然として酔いしれながらも、世界の驚異と手を取り合う邪悪さの存在に気づいた作品。そしてこのアルバムがバンド名を冠している理由、それはマークの説明によれば、「ワン・ナイト・オンリーが、遂に ー そして見事に ー 定義されているアルバムだからである。

「世の中のデビュー・アルバムの多くはさ、」と説明するマーク。「そのバンドが何年もかけて作り上げたもので、作り手側は『よし、これこそが僕らだ』と言ったりするだろ。僕らが示したかったのはそれなんだ。つまり、ファースト・アルバムで表現されていたのは、成長過程にある僕らの姿だった。でも今回のアルバムでは、僕らがこういうものを作りたいとずっと努力してきた作品に、遂にたどり着いたってわけさ」。

屋内でスカイダイビングをするスカイダイバーのように、ニッコリと微笑むマーク。「とうとうやったぞ、って思ったんだ」。