著名人の皆様より、NUMBER GIRL15周年に寄せ、コメントを頂きました!(敬称略、順不同)

 

俺は当時、誰よりもナンバーガールになりたかった。

後藤正文 (ASIAN KUNG-FU GENERATION)

ナンバーガールに出会ったのは高校生の時。
残されていたのはたくさんの曲たちと映像。
もっと早くに産まれていたかった!
って何度も何度も思うけれど、叶わぬ夢なんです。
夢だけど、この目で観れていたら、なんて思うだけでざわめきます。
いつまでも、これからも私のOMOIDEと青春です。

藤咲佑(ねごと)

ナンバーガールを知ったのは解散して少し経ってから。中学生のときでした。
ギターを始めたばかりのわたしにとってナンバーガールの音楽は良くも悪くも衝撃的で、間違い無くその衝撃がわたしの青春でした。
今でも聴く度にどきどきするジャパニーズオルタナティブ。
唯一、生でライブを観れなかったことが本当に悔しい、悔しい!

キダ モティフォ(tricot)

僕はナンバーガールのライブに行ったことが無いです。初めて彼らの音楽を聴いたときはもう既に盤の中だけの存在でした。
それでも、僕にとってナンバーガールは17歳の時の全てであり、始まりでした。
きっとこれからも、多分一生、彼らの影を追い、想像の中で思い焦がれ続けるのでしょう。

三島想平( cinema staff )

国道3号線を南下すること博多から300kmにある鹿児島で僕はナンバーガールに出会いました。
『SAPPUKEI』から受けたあまりに鮮やかな衝撃。

それから10数年が経ち、僕らがEMIからメジャーデビューすることを発表した11月30日は、ナンバーガールが解散した日でした。
どうしてもこの日に発表したいとマネージャーに申し出ました。

ナンバーガールの歴史が、その全てが僕の教科書です。
そしてまた新たな1ページを記せるよう僕もギターを鳴らそうと思っています。
15周年おめでとうございます。

村上学(テスラは泣かない。)

対バン前、ロフトの楽屋でネタあわせしていると、
眼鏡の青年が入って来て「差し支えなければどうぞ」と
一升瓶をドンと置いてソファに座り実話ナックルズを読み始めた。
それが向井さんとの初対面でした。2001年だと思います。
本当に福岡市博多区から来たんだなと思いました。
ナンバーガールの解散宣言は突然すぎて(何しろ数日前に
4人はグループ魂のコント収録に参加していたのだから)驚きましたが、
じゃあもし解散せずに今も続けてたらどうなっていたかというと、
正直まったくイメージできません。ということは、
あの時点でナンバーガールは完結していたんだなあと1枚目から
順に聴き返しながら感じています。
そして4人が今も音楽の現場で闘っていることを頼もしく感じると同時に、
コントをやらせたことを本当に申し訳なかったと思うのです。

宮藤官九郎

どれもこれもぜんぶ
この命に入ってる!
我が刹那、我が永遠

椎名林檎

1999年、中学3年のある日の夜中。
うちのメンバーの湯浅に借りた、録画したCSの音楽番組が色々詰め込まれたビデオを観ていた。
その中に『RISING SUN ROCK FESTIVAL 1999 in EZO』でのNUMBER GIRLのパフォーマンスがあった。
青空の下、『透明少女』を演奏する4人の姿に釘付けになった。
4人の後ろに広がる青空は、鋭利的で、睨みつけるように加速していく、爽やかで、刺すような、僕の知らないものだった。
結局、その映像が好きすぎて、湯浅から借りたビデオは返さなかった。

あれから15年が経つ。
野外でライブをするたびに、あのNUMBER GIRLの佇まいを思い出す。
僕も自分だけの青空を背負えるような、バンドマンになりたい。

小出祐介(Base Ball Bear)

台湾で生まれ育ち、90年代当時、まだガキだった僕。
すでに解散していたPIXIES、伝説となっていたNirvana、UKのBlur、…などの
影響でロックに目覚めた。
オルタナティヴバンドが、絶頂期を迎えていたあの頃。
僕に影響を与えたロックは、ほとんどが欧米からだったと記憶している。
19歳の頃、NUMBER GIRLと出会うまでは。
向井、中尾、田渕、イナザワ。
この個性的な4人は、「アジアでも、こんなかっこいいロックが出来る」
という、全てを一新するような想像力を、僕に与えてくれたんだ。

洪申豪(透明雑誌)

青春ですか向井くん。。

いくつもの謎の流行を作ったナンバーガール、聴き返すと更にNAZODARAKE。
そう言えば磔磔で「TATOOあり」一緒に演奏しましたっけ。
色々悩みきいてもらいましたねその頃。解散した今も、全員の音も顔も声を思い出すのに1秒とかからない。。。
そうか、俺にとっても青春やったのねナンバーガール。

初対面の向井くんはテレビ局の職員やと勘違いしてました。
ひさこちゃんとTMネットワークの話で盛り上がり、憲ちゃんとはよく飲み、
あひとくんとは一緒にバンドやりました。青春やな。

岸田繁(くるり)

ナンバーガールのライブを初めて観たときには真面目に度肝を抜かれました。
2001年の渋谷AXでした。
それまで勝手に持っていたイメージ(中性的で内省的なバンドかと思っていました)が、グルンッと180度ひっくり返って、ああこれが福岡の…いや日本のオルタナティブロックかと痺れ上がりました。
TOSHIBA EMIの後輩であることをとても誇らしく思っております。

ホリエアツシ(ストレイテナー)

こんな奇跡が鳴っていたことを知らなくていい理由なんて無いと思う。
たった1枚のCDが人生を変えることもあるんです。

TK(凛として時雨)

こんなバンドはいなかったのだ。
とにかく、こんなバンドはいなかったのだ。
その事実が消えない。おまけに、その事実は、響いている。
その響き=ディストーション=祭り囃子を聞け。
そして爽快な歴史的事実の一員になれ。

古川日出男

俺は目撃したのだ。
この国でそいつが更新したその瞬間を。
ナンバーガールがその音を響かせたたそのとき。
俺は目撃したのだ。
IGGY POP FANCLUBを聴くたびに思い出す、
その覚醒の瞬間を。ざまぁみろだ。

大谷ノブ彦(ダイノジ)