BIOGRAPHY

NICOLE SCHERZINGER / ニコール


Bio ハワイ生まれのニコール・シャージンガーがケンタッキー州ルイスヴィルで暮らしていた幼少時代、6歳の時に貰ったクリスマスプレゼントが、彼女のその後の人生を大きく変えてしまう。それは小さな紫色のブーンボックスと、ホイットニー・ヒューストンのチャート首位に輝いた1985年の自身の名を冠したデビュー作だった。「両親に余分なお金はなかったけれど、レコードプレーヤーと”グレイテスト・ラヴ・オブ・オール”の入ったホイットニーのアルバムをプレゼントしてくれたの」とニコールは振り返る。「これこそ私の道だと悟ったわ。あの瞬間から私は歌いたいと思っていた。彼女の歌声はとてもパワフル。彼女の歌うひとつひとつ音が、真実であると感じられたの」
 以来、ニコールはあらゆる活動においてその真実を追い求め、絶え間ない努力と、パフォーマンスを通して人々と共感したいという強い願いを、多方面にわたるキャリアへと注いできた。歌えて(彼女は複数のプラチナディスクを生んだポップ・グループ、プッシーキャット・ドールズを、1,000万枚のアルバムセールスと幾多ものソールドアウトの世界ツアーへと導いた)、踊れて(ABCテレビの『ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』のシーズン10で優勝を果たし、ミラーボール型のトロフィーを持ち帰った)、演技もできる(『ママと恋に落ちるまで』(How I Met Your Mother)のニール・パトリック・ハリスが監督を務めた、ハリウッドボウルでのトニー賞受賞ミュージカル『レント』の舞台、そして近日公開予定の映画『メン・イン・ブラックIII』へのカメオ出演)。NBCテレビのアカペラ・コンテスト番組『ザ・シング・オフ』での2シーズンにわたるニコールの的確な批評は、サイモン・コーウェルのタレント発掘TV番組『Xファクター』英国版での彼女のゲスト審査員ぶりと同様に、コーウェルを非常に感心させ、ニコールはアメリカ版『Xファクター』の審査員に抜擢された。この秋FOXチャンネルでスタートする同番組は、すでに今年最も話題の新番組のひとつとなっている。
 「『Xファクター』は一大現象よね」とニコールは言う。「撮影現場にいると、クレイジーなエネルギーを感じるわ。そこはサイモンの世界、何でもありなの。挑戦者たちに指導したり、力になれることをとても楽しみにしている。私は音楽と共に生息しているわけでしょ。だから如何なる形であれ、この業界で頑張ってきた私のパフォーマーとしての体験を、自分たちの夢を実現させたいこういった新参者たちにインスピレーションを与え、刺激し、励ます力になれるなんて、とてもやりがいがあると思うわ」
 今年、ニコールは自身のデビュー・ソロ・アルバムのリリースという彼女の長年の夢のひとつを叶えもする。『キラー・ラヴ』と題されたアルバムは、インタスコープ・レコードからリリースされる。アルバムは、ロック、ソウル、ファンクに対するニコールの愛と、魅惑的ポップサウンドとを合体させた、大胆なメッセージ性をもった楽曲集だ。『キラー・ラヴ』は、プッシーキャット・ドールズを5年間率いてきたニコールによる、独立したひとりのアーティスト宣言であり、彼女のパワフルな歌声、抗しがたいメロディセンス、注目に値するソングライターとしての才能を示している。
 ニコールは「とても深くて、重くて、暗くて、死にそうな愛」に関するタイトル曲をレッドワンと共作した後、アルバムを『キラー・ラヴ』と命名した。「自身を見失ってしまう恋についての歌よ。そういう時って、とてももろくて傷つきやすい状態にあるけれど、その過程を通して、自身を発見して強くなってゆく。そういうことを歌ったのが”カジュアルティ””デスパレート””エヴリバディ”といった曲。こういう曲を選んだのは、私が過去の恋愛で体験したことを歌いたかったからで、私の体験に人々が共感してもらえると感じているの。だから歌うと凄く情熱とソウルを感じるの。克服について歌う時、より本物の感情がそこには宿っているわ」
 『キラー・ラヴ』の制作にあたって、彼女がまず一番に協力を要請したコラボレーターは、レディー・ガガ、エンリケ・イグレシアス、ジェニファー・ロペスなどの作品で知られるレッドワンだった。「頭の中に聴こえた曲を言葉で彼に説明したの。ポップだけれど、ロックに影響を受けていて、ソウル/ファンクのヴィブスを持っている」とニコールは言う。「当時の私はティナ・ターナーやスライ・ストーン、プリンス、マイケル・ジャクソンといった70?80年代のアイコン的アーティストからインスパイアを受けていた。彼らの歌からは、すべて裏にエモーションが聴き取れるでしょ。だから彼らを愛しているの。彼らはあらん限りのエネルギーを出し切り、すべてを音楽に注ぎ込む。プッシーキャット・ドールズの後ソロ・パフォーマーとなった私は、とても解放的になっていたから、何かビッグでパワフルで危険なことをやりたかったーー牙を持った音楽を作りたかったの」
 レッドワンを始め、ジム・ジョンシン(ビヨンセ、アッシャー)、トリッキー・スチュワート(リアーナ、メアリーJ.ブライジ)、スターゲイト(Ne-Yo、ケイティ・ペリー)、ボーイ・ワンダー(ドレイク、リル・ウェイン)、エスター・ディーン(ブリトニー・スピアーズ、ジェニファー・ハドソン)らを含む多くの一流プロデューサーとソングライターたちの協力を得て、ニコールの音楽的個性の多様な側面が引き出された。強く魅惑的な面から、感情的でか弱い面までを、バラエティ豊かなスタイルで表現した。遊び心のあるトロピカル調ポップ(50セントをフィーチャリングしたファースト・シングル”ライト・ゼア”)から、しゃれたヨーロピアン色を帯びたダンス・アンセム(全英No.1ヒット”ドント・ホールド・ユア・ブレス”や”ウェット””クラブ・バンガー・ネイション”)、また幾つかの壮大なバラード(”カジュアルティ””ユー・ウィル・ビー・ラヴド”にダメ押しで感動的な”アーメンジェナ”)まで。「”アーメンジェナ”を書いたのは、私の心の底から沸き上った曲が欲しかったからなの」と、ニコールは語る。「100%私よ。私自身のすべてをあの曲に注ぎ込んだ。あの簡潔さをとても気に入っているの」。『キラー・ラヴ』全編を通して一貫している共通項は、ニコールの躍動的な歌声であり、この驚くべき楽器を彼女はソロ・アーティストとして様々な形で自由に解放する。
 ニコールは幼い頃からシンガーになる運命を悟っていた。ハワイはホノルルで生まれ、フラのリード・ダンサーの母親と、シンガーの祖母チュチュをフィーチャーした家族が伝統的なポリネシアン・ナンバーを披露するのを見ていた。ニコールが6歳の時、家族はケンタッキー州ルイスヴィルへと移住。彼女は中学、高校と芸術学校に通い、オハイオ州デイトンのライト州立大学では演劇を専攻しつつ、副専攻でダンスを学んだ。後にニコールはロック・バンドのデイズ・オブ・ザ・ニューに参加し、アルバムのレコーディングとツアーを共に行なったが、彼女はポップ・アーティストになることを切望した。彼女はWBテレビのタレント発掘シリーズ”ポップスターズ”のオーディションを受け、ガールズ・グループ、エデンズ・クラッシュのリード・ヴォーカリストのひとりの座を勝ち取った。グループはシングル”ゲット・オーヴァー・ユアセルフ(グッバイ)”でトップ10入りを果たした。「ニューヨークにいた時、ブルックリン橋の上をドライヴしていたら、ラジオからその曲が初めて流れてきたのでビックリしたのを覚えているわ」と、ニコールは振り返る。グループはゴールド・ディスクに認定されたアルバムをリリースし、イン・シンクやジェシカ・シンプソンとツアーを行ない、2001年の終わりに解散した。
 ロン・フェアーと振り付け師のロビン・アンティンが、アンティンの有名ハリウッド・ダンス・チームであるプッシーキャット・ドールズを基にしたレコーディング・グループを創造しようとヴォーカリストを探している、という噂がニコールの耳に入るまでそう長くは掛からなかった。彼女はオーディションに現れると、ソロ・アーティストとして自身を売り込もうという目論みだった。「グループの一員になるつもりはなかったわ。ロンに会うのが目的だった。自分のデモを彼に渡して、ソロ契約を結びたかっただけ」と言って彼女は笑う。「ところが(インタースコープ・ゲフィンA&Mの会長である)ジミー・アイヴィーンとロンは私の中に何かを見出し、帰せないと言うわけよ。再びグループに加入することは私の計画にはなかったけれど、目的を達成するためには手段を選ばないのが、常に私のやり方だった」
 2003年、ニコールがプッシーキャット・ドールズに加入した後、グループは2枚のアルバムをリリースして世界的現象を巻き起こした。2005年作『PCD』は全世界で900万枚、2008年作『ドール・ドミネーション』は全世界で100万枚の売上を記録した。またNo.1を獲得した”ドンチャッ”や”ボタン”を始め、グラミー賞候補となった”スティックウィッチュー”、”アイ・ヘイト・ディス・パート”、16カ国でトップ10入りを果たした”ホエン・アイ・グロウ・アップ”などメガヒット・シングルを続出した。グループはビルボード・ミュージック・アウォードで2冠を、MTVヴィデオ・ミュージック・アウォードで2冠を達成し、ブリトニー・スピアーズやクリスティーナ・アギレラ、ブラック・アイド・ピーズらと共にツアーを行なった。「私たちの成し遂げたことをとても誇りに思っているわ」と、ニコールは言う。「すごく高品質なポップ・ミュージックだったし、ロンとジミーに感謝しているわ。すべての道のりが素晴らしかった」
 アルバムにソングライターとしてクレジットされていた唯一のプッシーキャット・ドールズのメンバーだったにコールは、コラボレーターとして他アーティストから引っ張りだことなり、シャギー、ヴィットリオ・グリゴーロ、ウィル・スミス、アヴァント、P.ディディ、50セント、スラッシュ、ピットブル、T.I.、ウィル・アイ・アム、ティンバランド、エンリケ・イグレシアスらの作品に参加した。
 そして目下、彼女は『Xファクター』の開幕と『キラー・ラヴ』のリリースとで多忙となる2011年に向けて準備中。「私が本当にやりたいと思ってきたのは、歌うことだけ」と彼女は語る。「有名になろうとは思ってなかった。ミュージカル舞台をやり、そしてレコードを作りたかった。アルバムが如何に人々の共感を得るかを見て来たからよ。ホイットニー・ヒューストンは私を本当に感動させてくれたし、私の人生を変えた。彼女の世界へと私を引き込み、それを私も『キラー・ラヴ』でやりたいの。ツアーもやりたいし、ただ突っ立って私がヒット曲を歌う以上の驚くべきショウを立ち上げたい。憧れのパフォーマーたちがやったように、私は音楽の中に世界を創造したいの。その分野で芸術的に創造的に取り組んで、どこまで行けるのかを見てみたい。それをステージに展開して、人々と共有したいの。それが私の望んでいることよ」