BIOGRAPHY

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1979年9月15日生まれ。アメリカ人の父とイギリス人の母を持ち、イギリス東部の街ニュー・マーケットで育つ。彼の中にはイギリス、アイルランド、アフリカ、チェロキーの血が流れている。リヴィングルームにいつも音楽が流れているような家庭で、幼少期には両親が好きなソウル・ミュージックを聴いて育つ。プロのシンガーになる夢を持ったのは6歳の頃。それから12年後にノートリアスという5人組R&Bグループでメジャー・レーベルと契約したものの、レーベルのリストラに巻き込まれ、デビュー前に契約破棄の憂き目を見る。ホテルの給仕などの下積み生活が続けながらも曲を書き続け、自らブッキングしたパフォーマンスや自主制作盤がUniversal Music Publishingの目にとまり、最初にソングライターとして音楽出版社と契約。のちに自分の音楽に理解を示してくれたインディーズとレコーディング契約を果たし、2005年3月にUKでデビュー・シングル「セット・ザ・トーン」をリリース、ソロ・デビューを果たした。 続く2006年。アフロ・ヘアのジャケット写真が印象的なデビュー・アルバム『セット・ザ・トーン』(UKでは2005年8月発売)が、2月に日本でリリースされると、リード・トラックである「ユニヴァーサル」、「ザ・メッセージ」がPUSHされ、日本全国のFM/衛星系音楽チャンネルで多くのパワープレイを獲得。一躍、「UK発の"Mr.ソウル・ガイ"」、「独りジャミロクワイ」、「21世紀のスティーヴィー・ワンダー」といった比喩をもって大絶賛される。そうした状況を受けての3月末~4月上旬の初来日(プロモーション)では、多くのラジオ出演のみならず、「笑っていいとも!」などのTV出演を果たすと共に、URBAN系フェスティヴァル「Springroove」への出演(4/2、東京)や、ショウケースLIVE(4/3、東京)も成功させた。こうして、アルバムはオリコン・アルバム・チャートは最高位41位ながら、ロング・ヒットとなり、累計出荷6万枚を越えるヒットとなった。海外、特にUSでのステイタスが大きく影響する日本の洋楽アーバン・マーケットにおいて、彼のようなUKソウルの作品/アーティストがこうした成功を収めるのは、本当に久々のことであった。 ネイトは、あるコラボレーションを通じてさらに日本とのキズナを深める。日本が誇る「侍ジャズ・バンド」PE\'Zとのそれである。日本滞在時も、街から流れてくる様々な邦楽に刺激され、「日本のアーティストと共演してみたい」と思っていたネイトだが、紹介されて訪れたPE\'Zのライヴは衝撃的であった。「ジャズで、しかもインストゥルメンタルで、こんなにも豊かな音楽性を持つ奴らがいたのか!」。PE\'Zもまた、ネイトのアルバム、そしてライヴを通じて、PE\'Zにとっての\'初の本格的ヴォーカリスト・フィーチャー楽曲\'という重要な作品のパートナーとして、「この男(ネイト)だったら、信じられる」と感じたのである。ミュージシャン同士が魂(SOUL)で契ったからこそ、PE\'Z x NATE JAMES 「Live For The Groove」は、全くイーヴンな共作プロセス(PE\'Zがベーシックなトラック作成→ネイトがサビメロと歌詞制作→PE\'Zが再編曲...というMP3でのたった数回のやりとり)で生まれた奇跡的名曲となったのだ(なお、8月にはネイトは再来日し、「Summer Sonic」(8/12 大阪、8/13 東京)などでPE\'Zと共演を果たしている)。3曲入「Live For The Groove E.P.」は結果、オリコン・シングル・チャートでもTOP40ヒットとなった。 勢いを得たネイトは、秋からは2ndアルバムの制作に着手。もともとジャンルへの拘りはないネイトではあったが、あらためて、「自分のソウル・ヴォーカルに信念を持ちながら、ソウル・ミュージックを狭い固定観念に閉じ込めることなく、自分ならではの\'新しいソウル・ミュージック\'を提案したい」という2ndアルバムの方向性を確認すると、多くの楽曲ストックから、一気に制作を加速させた。まず、彼の音楽性の進化としてのトライとして、UKでの発表を前提にした、「FUNKDEFINING EP」の制作に入った。(Remixを除けば)4曲入の同EPを通じて、「生音をメインにした1stアルバムのスタイル」の楽曲から、「クラブ/エレクトロニックス/ヒップホップのエッセンスも取り入れた」楽曲へと、スムーズに変化させていく取り組みに自信を得た彼は、続く2ndアルバムのメイン・プロデューサーとして、クラブ系Remixで有名なDanny S.を起用することを決定。と同時に、1stアルバムからスムーズな進化をリスナーに理解してもらうためには、1stアルバムの成功に寄与したプロデューサー達も楽曲ごとに起用することの必要性も悟る(例えば、「Universal」や、ジェイムス・モリソンの「You Give Me Something」を扱ったEg White)。しかし、どちらのプロデューサーとも、目指すのは「彼らの定番」ではなく、プロデューサーにとっても「新しい試み」にトライすることであった。 こうして完成した2ndアルバム『キングダム・フォールズ』は、自ら"プログレッシヴ・ソウル"という出来。日本でのリード曲となった「バック・トゥ・ユー」はまたも日本の全国FM局で大ヒット。これをサポートすべく、07年2月にはまたもプロモ来日を敢行。札幌、名古屋、大阪、福岡、そして東京と短期間でかけめぐる過酷な日程を精力的にこなす。続く3月に日本大先行発売になった『キングダム・フォールズ』は、当然のごとくスマッシュ・ヒットを記録。続いて企画された、5月のJAPAN TOUR(5.17東京duo Music Exchange、5.18大阪 心斎橋クラブクアトロ)も、大成功に終えた。この東京でのライヴには、盟友PE\'Zのほか、もう一人のスペシャル・ゲストが。福岡県在住の小学生・花田涼くん(9歳)。実は、同年1月、Nateの1stアルバム収録曲「ジャスティファイ・ミー」を、ピアノで弾き語りする日本人少年の映像を、YouTubeを見ていたネイトのバック・バンドのギタリストがたまたま発見。それを見てとても感動したネイトは、同曲を同じようにピアノのみの伴奏で再録音(「ピアノ・アコースティック・ヴァージョン」)し、『キングダム・フォールズ』に、日本盤のみのボーナス・トラックとして収録。そして、自分にインスピレーションを与えてくれた少年に"なんとか会ってお礼をしたい"と対面を熱望した彼は、今年2月のプロモーション来日時に、各取材を通じて少年への呼びかけを行なった。その甲斐あって、4月中旬に花田少年とご両親からEMIに連絡があり、ネイトはついに花田君とコンタクトを取ることに成功、このステージでの共演となった。アンコールでネイトが通訳を交えてこのいきさつをオーディエンスに説明。その後、花田くんをステージに呼び込み、お互いに磨きをかけてきた「ジャスティファイ・ミー」で、共演を果たした。この模様は、CX系「めざましTV」他、各媒体で紹介されることとなった。 その後、本国UKなど世界各国で『キングダム・フォールズ』を発売、2008年に至るまで長期プロモーションを続けた。未だ本国UKでは大きなヒットには恵まれていないものの、1xtra(BBCによる、Urban系専門デジタルFM局)や、BBC2(TV)の人気音楽番組「Later…with Jules Holland」にも出演。「KING OF UK SOUL」の名を欲しいままにしている。また、北米やカナダなどで、順次配給レーベルが決まるなど、ネイトが望む「着実な成功の積み重ね」を実現している。 しかし、ネイトが気にしたのは、日本のことだった。少しずつ1st、2ndアルバムの配給先を広げている段階で、オリジナル3rdアルバムをリリースするのは尚早である。一方、大きな成功を収めている日本で、しばらくリリース間隔があいてしまっていることを心配していた。そこで彼は、日本サイド(EMIミュージック・ジャパン)に、温めていたあるアイデアを提案する-"カヴァー・アルバム"である。ジャンルだとか、時代にとらわれず、彼が純粋に愛してきた楽曲/アーティストを取り上げたチョイスは、日本サイドでもお馴染みな楽曲ばかり。すぐにそのアイデアは受け入れられた。 約半年の制作期間を経て、ついに完成したアルバムは、『Revival(リバイバル)』と名づけられた。楽曲に新しい息吹を吹き込むという意味の「再生」が表の意味ならば、本人自身が、原点を見つめ、新しいスタートを切るという「ネイト再生」の意味も裏側にはあるそうだ。しかし、我々が聴いてみて、まず感じるのは、「日本人は、ネイトの声が、やっぱり好きだなぁ」という、たわいもないが極めて重要な事実であろう。その声が、お馴染みの楽曲を歌ってくれるのだから、楽しめないはずはない。他国に先駆けて、まず日本で発売される今作が、再びネイトと日本のキズナを、グッと縮めることだろう。