BIOGRAPHY

ナターシャ

2006年夏、ジャマイカで最も影響力のあるIrie FM主催の「Big Break」コンテストで、700人の出場者の中、12人のファイナリストから選ばれたたった1人の優勝者・・・それがナターシャだった!レゲエ界の権威ある大会で、ノン・ジャマイカンが優勝したことは、ジャマイカはおろか世界中のレゲエ・ムーブメントで話題となり、ナターシャは一躍、時の人となる...

デンマークのコペン・ハーゲンに生まれ、母親がよく聴いていたというデニス・ブラウンやボブ・マーリィなどのレコードを聴いて育った。13歳で、地元コペンハーゲンにてジャマイカン・サウンドシステムを取り入れたクルーと活動をともにし、早くもその音楽的才能を開花させる。90年代初頭に入るとデンマーク・ヒップ・ホップ・カルチャーにも参加、数々の有名アーティスト(A Tribe Called Quest, Queen Latifa, Das EFX, Massive Attack etc)を前座をつとめた他、レゲエ・アーティスト=レクサス、ニンジャ・マン、はたまたUB40などともスタジオ・セッションをし、ナターシャの評判は徐々にアーティストを通じて世界中に広まっていった。

2004年には2枚のシングルと、アルバム『リリース』を発売。国内外を通じて高い評価を得、たちまち客演依頼が殺到する。その中には、あのレゲエ界のレジェンド:スライ&ロビーもおり、ジャマイカの彼らのスタジオで共演を果たす。その後は、ジャマイカ、ドイツ、スウェーデン、デンマークなどで数々のライブ活動を精力的にこなし、ナターシャの名前はレゲエ界に知れ渡る。2006年夏、ジャマイカで最も影響力のあるIrie FM主催の「Big Break」コンテストで優勝。ノン・ジャマイカンとしての初の偉業で、たちまち世界中に彼女の名前を知らしめることになる。

2007年に「カラブリア」がUKナショナルチャートでスマッシュ・ヒットし、ヨーロッパ中を賑わせはじめ、彼女自身も次のアルバム制作に入る。全てが順風満帆にいっていたと思われた中、6月に行われたジャマイカのフェスティバルの後で不慮の交通事故にあい、ナターシャは帰らぬ人なる。