BIOGRAPHY

Triniti

トリニダード出身の父、アメリカ人の母を持ち、カリブとイギリスを行き来しながら育つ。アメリカ留学後、LAにて音楽で生きることを決意。1stアルバム『ラガ・ホップ』は、日本で05年初頭、輸入盤から火がつくと、東芝EMI(当時)レザボア・レコーズが契約、国内盤リリース(同年5月)。「ラヴ・オブ・DA・ダンスホール」や、「ビッグ・アップス(レゲトン・ミックス)」のスマッシュ・ヒットと共に、オリコン最高位39位ながら、20週に渡ってチャートイン、5万枚を越えるヒットとなる。 05年6月にはプロモで初の来日を果たし、10月には初来日公演。12月にはショーン・ポールの全米ツアーのオープニング・アクトをつとめると、06年2月のショーン・ポール来日公演にも同行。 勢いが続く中、06年4月には早くも2nd『ラガ・ホップ2~ドゥ・オア・デア』を自身のレーベル「Trinigirl」より発表、「バングス・アロング」のヒットとともに、こちらも好セールスを記録(オリコンは1stを上回る34位)。 その美貌と、元プロ・テニスプレイヤーという異色の経歴から、「ダンスホール界のシャラポワ」とも呼ばれた。 コンピ『ダンスホール・ラヴァーズ』でも、毎回キー・アーティスト/リーディング・トラックとして、その大ヒットに貢献している。