BIOGRAPHY

MEAT LOAF


Bio

1977年、ミート・ローフは、「Paradise By The Dashboard Lights」、「Two Out Of Three Ain’t Bad」、「You Took The Words Right Out Of My Mouth」といった大ヒット曲をフィーチャーしたアルバム『Bat Out Of Hell』で歴史的偉業を成し遂げた。その16年後、世界中のチャートを賑わした「I’d Do Anything For Love (But I Won’t Do That)」を収録した『Bat Out Of Hell II: Back Into Hell』で再び大成功を収め、グラミー賞の『ベスト・ロック・ヴォーカル・ソロ・パフォーマンス賞』を受賞。この2枚のアルバムの世界中での売り上げ総数は5,000万枚に達し、『Bat Out Of Hell』シリーズは、音楽における真の実力作品としてその名を確立した。そして、今、この3部作を完成させるために、ロック史上最も壮大な冒険がここに戻ってきた。
『Bat Out Of Hell III: The Monster Is Loose』は前作2作を超える究極の秀逸作品であり、ミート・ローフの最もシンフォニックで最もエモーショナル、そして、最もパーソナルな旅路となっている。「『Bat Out Of Hell III』を作るとなると、途方もないことをやってのけなければならないってわかっていた」とミート・ローフは言う。「『Bat』シリーズは特別な作品だから、単に前作を上回るとか、打ち負かすものにするつもりだ、では済まない。何か特別なことをやらなければならないんだ。これまでの2作に収録されている曲の多くは、人々の感情に訴える曲となっていた。だから、今回は、収録されているすべての曲で、人々とそういったつながりを持てるようにしたいと思ったんだ」。

ニュー・アルバムは、これまでの『Bat』2作におけるシアトリカルな面や優美さ、また、メロディのすばらしさを捉えながらも、息をのむほどに見事なオーケストレーションやインストルメンテーションをフィーチャーした、さらに多様性に富んだ、よりダイナミックな作品となっている。ファースト・シングルとなるジム・スタインマン作曲の「It’s All Coming Back To Me Now」は(元M2Mのメンバーで、自身も国際的スターである)マリオン・レイヴンとのスケールの大きな感動的なデュエット・ソングで、情熱的かつパワフルな1曲だ。「Blind As A Bat」は一度聴いたら忘れられない印象的なピアノとわびしいストリングス、そして、繊細なエレクトロニック・パーカッションに始まり、感動と興奮によって支えられるアンセムのようなナンバーへと突入する。そして、ニッキー・シックス(モトリー・クルー)とジョン5(マリリン・マンソン)、そして、プロデューサーのデスモンド・チャイルドによって書かれたタイトル・トラックは、目まぐるしいストリングスとデリケートなピアノと共にせわしなく鳴り響くギターとラウドなドラムに満ちたインダストリアル調ロックで、ミート・ローフは生々しいアグレッションと心がうずくような脆弱さの両方を見せつける。アグレッシヴな現代のプロダクションをフィーチャーしたこのトラックは、現在のロック専門ラジオ局から流れてくるどの曲の後に続いても何不足ない楽曲となっている。

「これまでの『Bat』2作よりもエッジのきいた、ロック色の強いアルバムにしたかった」と、この堂々たる作品についてミート・ローフは語る。「『Bat』シリーズは主にピアノがベースとなった音楽になっていて、今作もかなりピアノが使われてはいるが、ギターがベースとなった曲も多く収録されている。俺はこれまでの作品で見せてきた自分よりも精神的にはもっとハード・ロック志向なんだ。コンサートではそういった面が表現されていると思う。それで、今回はそういった面をもっと強調してみたんだ。『おい、こいつは思い切りロックしてやろうぜ』といった姿勢で臨んだんだが、実際とんでもなくビビッたよ」。

これまでの『Bat Out Of Hell』アルバムとの完璧なる相乗作用を得るためにも、ミート・ローフはそれら2作品をすばらしい内容に作り上げてくれたアーティストたちの手を再び借りることにした。まず、1作目の作曲を手掛け、2作目の作曲とプロデュースを担当した長年のコラボレーター、ジム・スタインマンから7曲を調達。そして、1作目の壮大なプロダクションを形作ったトッド・ラングレンにも、今回、補足的な作曲援助を依頼している。最後に、ミート・ローフはプロデューサーを捜し求めた。出だしのつまづきがあった後、最終的にはキッスやボン・ジョヴィ、エアロスミス、シェール、リッキー・マーティンなどのヒット・シングルを作曲したデスモンド・チャイルドとタグを組むことにした。

「最初はデスモンドと会ってもクールに振る舞っていたんだ」と言いながらミート・ローフはくすくす笑う。「彼とミーティングした後、『まあ、どうなるか様子を見てみよう。また後で』なんて言ったんだが、本当は彼がこのアルバムに関わりたいと思ってくれたことがとても嬉しかったんだ。彼が興奮しているのがわかった。彼にとってこの作品が単なる仕事とは違うということがわかった。彼のキャリアにとって頂点となる作品で、彼自身、持てる限りの熱意と力を注いでくれるだろうということがこちらにも伝わってきた。現に彼は徹底的にそういった仕事をしてくれたよ」。

チャイルドの仕事ぶりがあまりにも熱烈だったために、ミート・ローフは自分のその決断に苦しむ思いをした。チャイルドは熟達したプロであるだけでなく、厳格な完璧主義者で、ミート・ローフのヴォーカルのどれもが確実に正確なものとなるようにした。

「ジム・スタインマンもすべてを完璧にしたがる人で、タフだと思ったけれど」とミート・ローフ。「デスモンドはもっと完璧を求める人で、そんなの無理だと思ったくらいだ。俺はあんなにがむしゃらに働いたことなんて、これまで一度もなかったよ。4ヶ月ほどヴォーカル・コーチについてもらったんだが、そんなことしたことなかったからね。でも、そういった努力もすべて報われて、どれもすばらしいヴォーカルになっていると思う」。

『Bat Out Of Hell III: The Monster Is Loose』からのファースト・シングルはスタインマン作曲の「It’s All Coming Back To Me」で、セリーヌ・ディオンの1996年の大ヒット曲だ。しかし、これは、厳密にはカヴァー曲ではない。ミート・ローフ曰く、元々は彼の曲だったのだ。

「そもそもこの曲は『Bat Out Of Hell II』に入る予定だったんだ」と彼は説明する。「俺はこの曲をデュエットにしたいと思っていたんだ。そしたらジミーが、『Bat III』に取っておこうと言うんで、それで取っておいたんだが、その後、セリーヌ・ディオンの手に渡っていった。それで俺も、『Bat III』で絶対にやってやると思ったんだ。本来はそれが目的の曲だったわけだからね。俺たちは、アルバムに収録しても恥じないくらいに違ったヴァージョンを作ったと思うよ」。

『Bat III』にとってスタインマンとラングレンは最も重要な存在ではあるが、このアルバムに貢献してくれたのは彼らだけではない。グラミー賞受賞スタジオ・エンジニアのグレッグ・コリンズ(U2、グウェン・ステファニー)がアルバムのミックスを、また、デイヴィッド・キャンベルがストリングスのアレンジを手掛け、モトリー・クルーのベーシストであるニッキー・シックス、ロブ・ゾンビのギタリストであるジョン5(元マリリン・マンソン)、そして、ギター・ヒーローのスティーヴ・ヴァイがソングライティングに協力。また、アルバムではヴァイ、ジョン5、そしてセッションの達人であるジョン・シャンクスがギターを演奏し、「Bad For Good」ではクイーンのギタリストであるブライアン・メイがその紛れもない独特な演奏で参加している。

「彼のスタジオでの演奏は、とにかく驚くほどすばらしいものだった」とミート・ローフは言う。「単なるセッションをやっているというわけではなく、『そうさ! 俺こそがブライアン・メイだ。これが俺のサウンドだ』といった具合に演奏していた。実は、誰もがそういう感じだったんだ。とてもクールだったよ。典型的なスタジオ・レコードからはかけ離れていた。誰もが一つのバンドにいるかのように演奏していて、デスモンド・チャイルドをリーダーとしたバンド・プロジェクトだった。みんなのエモーションが表に出ていて、観ていてワクワクしたよ」。


ミート・ローフが長年にわたり、当然のことだが、非常に評価の高い称賛を受けてきたのは、彼自身も観ていてワクワクするようなアーティストだからだ。彼はテキサス州ダラスで生まれ、1967年にミート・ローフ・ソウルというバンドを結成。しかしながら、彼が注目を浴びるようになったのは、ウエスト・コーストでのミュージカル『Hair』に出演してからのことだった。それからの彼は、オフ・ブロードウェイのプロダクション『Rainbow』に、そして、クラシック・ピアノを学んだジム・スタインマン作のミュージカル『More Than You Deserve』に出演。映画『The Rocky Horror Picture Show』への伝説的な出演を果たした後、ミート・ローフはスタインマンと共に『Peter Pan』の現代版ミュージカルのための楽曲制作に取り掛かり、それが最終的に1977年リリースの『Bat Out Of Hell』となった。

このアルバムで、ミート・ローフはスターとなった。しかしながら、彼はそれからの数年間はスタインマンとの仕事を離れ、何枚かのソロ・アルバムをリリースしたが、その評価は賛否両論だった。1986年、彼は破産を宣告し、身体的かつ精神的なリハビリテーションを受けることになる。しばらくの間、ミート・ローフは二度とパフォーマンスしないかのように思われた。しかし、1993年、彼は『Bat Out Of Hell』のあの誇張されたメロドラマを再び取り上げ見直した『Bat Out Of Hell II: Back Into Hell』で、スタインマンと再びチームを組んだ。その2年後には『Welcome To The Neighborhood』をリリースし、その1年後にはツアー・コンサートの模様を収めた『Live Around The World』をリリース。そして、2003年、ミート・ローフはニッキー・シックスによる楽曲4曲を収録した『Couldn’t Have Said It Better』をリリースした。

ミート・ローフが最近になってこの昔ながらのフォーマットへ戻ることにしたかのように思えるかもしれないが、『Bat Out Of Hell III』のルーツは、実は彼が『Bat Out Of Hell II』の制作に取り掛かった1991年にある。当時、スタインマンはこのプロジェクトが2枚だけで終わるには高尚すぎると判断し、ミート・ローフと共にこの英雄伝を2003年に完結することにする。しかし、ミート・ローフがそろそろプロジェクトに取り掛かりたいと思っていた頃、スタインマンは脳卒中に倒れ、厳密な理学療法を受けている最中だった。さらに、現在は既に解決済みだが、当時、スタインマンは法的な問題を抱え、このアルバム作りに関われない状況におかれていた。そのために、2003年、ミート・ローフはソングライターとプレイヤーを集め始め、2005年10月、チャイルドとのレコーディングをスタートさせた。彼らは3つのスタジオで5人のエンジニアを起用しながら作業を進め、1年かからずにアルバムを完成させた。

「『Bat Out Of Hell』のアルバムにしては、とても速いペースで仕上がったよ」とミート・ローフは言う。「他の2作は、1年半から2年半かかったからな。でも、今回は不思議な力が働いていたんだ。障害にぶち当たるなんてこともそれほどなかったし、みんなスタジオに来ては、すばらしい演奏、すばらしい仕事、すばらしい歌声を披露してくれた。アルバムを作っていると、こういった何もかもが上手く行くようなすばらしい瞬間をスタジオで味わえることがあるんだ。このアルバムは、最初から最後までそういった感じで進んでいったよ」。

けれども、ミート・ローフにとって前作2作との最も大きな違いは、このアルバムのサウンドでもなければ、その仕上がりの速さでもなかった。最大の変化は彼のヴォーカルに対するアプローチから生まれ、そのヴォーカルはそのパフォーマンスに匹敵する情熱を備え、さらにパーソナルなものへ仕上がっていった。

「前2作でのヴォーカルは、キャラクターに合わせてのものだった。今回はもっと本来の自分に近いものになっている」とミート・ローフは説明する。「以前は、他の人たちが歌っている姿を思い浮かべていたんだ。ティーンエイジャーの子や女性がそうしているのを想像していた。ステージに立って目を閉じて、そういった映像を思い浮かべていたんだ。このアルバムでは、そういったことはなかった。ただ自分の中にあるもの、外に出したいと思っていたものがあっただけなんだ」。

アルバムで聴けるのは、映画のような構成の中に設定された現実逃避した心からの表現とエモーションの連続だ。恋に悩みあこがれる「Cry Over Me」から悪夢を思わせる精神病寸前といった「Land Of The Pigs (The Butcher Is King)」まで、『Bat Out Of Hell III: The Monster Is Loose』は壮大で、魅惑的、そして、クライマックスとなる作品であり、聴き手をうきうきさせるような活気に満ちたこの3部作を締めくくるにふさわしい内容となっている。そうじゃないのだろうか?

「『Bat IV』の可能性を語っていた人がいたが、俺はただ忍び笑いをしていたよ」とミート・ローフ。「どうなのかな、これが最後になるかもしれない。『Bat』のようなアルバム作りに関わっていると、それが原動力となって俺も凄くやる気が出るんだが、今のところ、もう1枚作るなんてことは考えられないな。とにかく、俺はこのアルバムに非常に満足しているんだよ。」