BIOGRAPHY

LUDACRIS / リュダクリス

リュダクリス本名クリストファー・ビッグス。1977年生まれ、シカゴ出身。
リュダクリスの名は、[ludicrous] (「馬鹿げた」「滑稽な」の意)とファーストネームのクリスを掛けたものだという。幼少のころから音楽に囲まれ、 プロのアーティストを志していたリュダクリスは、ジュニアハイスクールのころにはラウドマウス・フーリガンズなるMCユニットを結成。 12歳でアトランタに移住後も、クラブでマイクを握ったり、タレント・ショウにエントリーしたりと精力的な活動を展開する。

 その後、地元のヒップホップ・ステイション=HOT97.5に出入りし、ナイト・ショウの一部を任されるようになり、 同局の人気プログラム『In The Lab With DJ Nabbs』のホストを務めるDJナブスのアルバム『In The Lab With DJ Nabbs The Live Album』 (1998年)では、ジャギド・エッジと共に”Is It You?”へ参加する幸運に恵まれた。 同じ1998年にはティンバランドのソロ・アルバム『Tim’s Bio』収録の”Fat Rabbit”にもフィーチャーされたりと、 業界内におけるリュダクリスの評価はじわじわと高まっていくことになる。

 2000年5月にはスタジオ・ワークで貯めた資金を元に、自ら興したディスタービング・ダ・ピース・エンターテインメントより デビュー・アルバム『Incognegro』をリリース。1stシングルの”What’s Your Fantasy”はHOT97.5で月に500回はプレイされ、 結果、アルバムは地元だけで3万枚もの売り上げを記録した。この動向を見たメジャー・レコード各社は早速リュダクリスに アプローチ。激しい争奪戦の末、新設されたデフ・ジャム・サウスが見事契約を勝ち取り、2000年、レーベル第1弾アーティストとして 『Incognegro』の新装盤となる『バック・フォー・ザ・ファースト・タイム 』をリリース。 “What’s Your Fantasy”や”Southern Hospitality”のシングル・ヒットを生んだ同作は全米アルバム・チャート初登場4位を記録し、300万枚のセールスを突破。 2001年にはミッシー・エリオット”One Minute Man”やマライア・キャリー”Loverboy”のリミキサーに抜擢されたり、客演仕事でも引っ張りダコになったリュダクリス。 サウンドトラック『ラッシュアワー2』のリード・シングルにも彼の”Area Code”がチョイスされる。 

2001年リリースの2ndアルバム『ワード・オブ・マウフ』からは「エリア・コード」、「ロール・アウト」や「ムーヴ・ビッチ」等が次々とUSラジオ、また世界中のクラブでヒットし、400万枚のセールスを突破。徹底した”おバカ”キャラ、天才的なライムは他MCの追随を許さないが、社会的貢献にも積極的に参加している。2000年末、貧困に悩む子供達への奨学金をメインとするLudacris Foundationを設立。02年リュダクリスが某清涼飲料水会社のCM出演に決定していたところ”青少年に悪影響を及ぼす”という某有名ニュース・キャスターの意見で急遽一方的に不採用とされた件で、リュダクリスの指示で03年2月その飲料水会社が慰謝料として100万ドルをこの基金に寄付した話は有名。