世紀のテノール歌手、ルチアーノ・パヴァロッティ(71)自宅で逝去

2007.09.06 TOPICS

Pavarotti _1935-2007image 3大テノールのひとりとして世界中の音楽ファンから愛され続けた偉大なるテノール歌手、ルチアーノ・パヴァロッティが、2007年9月6日生まれ故郷のモデナの自宅で亡くなりました。
 
パヴァロッティが公式な場に最後に登場したのは、2006年2月トリノ冬季オリンピック開会式で「誰も寝てはならぬ」を歌ったときでした。長い間膵臓がんと戦い、彼の人生や仕事に対する姿勢と同様に、病気に対しても常に前向きであり続けました。最期は妻や親族、友人に見守られて自宅で息をひきとりました。
つつしんで、ご冥福をお祈り申し上げます。
 
パヴァロッティは多くの著名人と交友があり、その訃報を受け、コメントが届きました。


「ユニバーサル・ミュージック・グループは、偉大なルチアーノ・パヴァロッティの死に哀悼の意を表します。素晴らしいキャリアにおいて、ルチアーノは音楽史上もっとも人気のあるアーティストの一人となり、彼の声は多くの人を感動させました。彼の卓越した才能は、クラシック音楽界の視野を広げ、彼の善意と慈善活動は何百万人もの生活を助けました。ルチアーノ・パヴァロッティの才能、生命への愛、限りない人間性は、永遠に人々の記憶に残ることでしょう。」

2007年9月6日
ユニバーサル ミュージック グループ会長兼CEO
ダグ・モリス Doug Morris



■1935年10月12日、イタリア、モデナ生まれ。輝かしい歌声から”キング・オブ・ハイC”と讃えられた世紀のテノール歌手。文字通りのスーパースターで「三大テノール」のひとりとして、幅広い人気を得ました。「神に祝福された声」と評されたイタリアの空を思わせる明るく豊かな美声は世界中の人々から愛されました。

■1961年アキレ・ペリ・コンクールに優勝し歌手デビュー、1964年にはクラシック業界きってのオペラ・カンパニーDECCAレーベルとレコード契約を結びました(専属契約は1967年で今年は40周年の記念の年)。以来世界の桧舞台でカラヤンをはじめクライバー、小澤ら超一流のアーティストとの共演で数々の舞台を踏み、素晴らしい声で聴衆を魅了しました。

■1990年7月にワールドカップを彩った「3大テノール」公演では、ドミンゴ、カレーラスらと共に1ステージを行い熱狂的な歓迎を受けました。以降様々な場所で行われた「3大テノール公演」のCDやDVDの売上はプレスリーやローリングストーンズを凌いだといわれています。

■パヴァロッティの人気はとどまるところ知らずで、彼はスタジアムでのコンサートも行うようになり、とりわけ1993年6月にNYで行われたセントラル・パークでは50万人以上の観客を動員し、世界中のテレビ中継で100万人の人が見る、という記録を打ち立てました。又、彼のCDはUKポップ・チャートで1位となった初のクラシック・アルバムとなり、前代見門の5週連続1位を獲得しました。又U2、エリック・クラプトンらポップ界の大物歌手とチャリティ・コンサートを行い、何百万ドルもの収益金をボスニアやカンボジアなどのチャリティに寄付しています。

■パヴァロッティはグラミー賞他、イタリア共和国功労勲章コメンダトーレとグラン・クローチェ、レジオン・ドヌール勲章、パリ市長賞など数多くの国際的な賞を受賞しています。


■ユニバーサル ミュージックでは、偉大なるパヴァロッティの業績を讃え、追悼盤「パヴァロッティ・フォーエヴァー」(UCCD-1201/2)を10月10日急遽リリースいたします。これは今年DECCA専属レコード契約40周年を記念してリリースされる予定だったもので、今回の訃報を受け急遽リリース日を繰り上げました。2006年トリノ・オリンピック開会式で歌った<誰も寝てはならぬ>他有名オペラ・アリアから<オ・ソレ・ミオ><カルーソー>などの得意曲、フランク・シナトラとのデュエット曲<マイ・ウェイ>など名曲が勢ぞろいした究極のベスト盤です。


■追悼盤リリース情報 10月10日緊急発売!
「パヴァロッティ・フォーエヴァー」 CD:UCCD-1201/2(2枚組) \3,500(税込)全41曲