BIOGRAPHY

LANA DEL REY / ラナ・デル・レイ

バイオグラフィ


LDR_20140613時として、輝く星が突如出現することがある。時として、星が刺すような鋭い光を私達に向けて放つことがある。また時として、別世界の何かに駆り立てられているかのように、星が大気の中にスッと滑り込んでくることがある。ラナ・デル・レイの驚くべき存在感、声、ルックス、そして雰囲気は、前述の一番最後のカテゴリーに分類されると言えよう。“音楽界のスターの座”は、デル・レイ嬢にとっては選択肢の1つなどではない。彼女の天職なのだ。自ら「ギャングスタ界ナンシー・シナトラ」と名乗る彼女は、自身のジャンルを“ハリウッド・ポップ/サッドコア”と定義。つまりポップ・ミュージックの複数のカテゴリー同士を繋ぐ、ドラマティックな新しい結び目であるとしている。そして「ゲットーで迷子になったロリータ」と自ら描写する、彼女のルックス。こういったもの全てに慣れてほしい。これは世間の注意を惹くための、単なるキャッチフレーズなどではない。これはラナの現実なのだ。 ニューヨーク州の外れに位置するレークプラシッドで、リジー・グラントとして育ったラナ・デル・レイ。彼女の独特な音楽嗜好は、そこで培われたものだ。「壮大で、ノスタルジックな雰囲気があるのよね。国立公園の真ん中にあって、ニューヨーク市まで行くのに6時間かかるの。色々と大変な所でもあるわ。もう誰も訪れないような観光業を基盤にしている町だから」。

15歳の時、リジーはコネティカット州の寄宿学校に預けられたが、それによって状況が変わることはほとんどなかった。そこでの学校生活は、彼女曰く「外側は整ってるけれど、内側はめちゃくちゃ」な経験だったとのこと。寄宿学校というものは一種の“厳格に管理された狂気”ではないか、と筆者が言うと、彼女はうなずきながら同意する。「だからそれを題材にした映画がたくさんあるのよね。だって寄宿学校について世間で言われてることって、全部本当なんだもの」 18歳の時、ニューヨーク市に逃れるという長年の夢を実現した彼女。「幼い頃から、いつか絶対ニューヨークに行く、って思ってたのよね」と彼女は語る。「あの街では毎日が楽しいのよ。毎日玄関を出る度に、その日は良い一日になる。あの街の何もかもが好きよ。ニューヨークは、あの街を愛する私の気持ちに完全に応えてくれてるわね」 彼女の自己改革のプロセスは、移住の初日から開始された。その過程で、彼女の生来のスター性が発揮されていくことになる。「自分の求める人生を自力で築き上げようとするのって、素敵なことよね。人はまず、誰か他の人から全てを与えられている所から始めるわけでしょ。そこから勇気を持って、もう一度やり直さなくちゃいけないってこと。それは少し怖いかもしれない。『さあ、人生を最初からやり直そう、自分が望む通りにもう一度やってみよう』って言う人はあまり多くないわよね」 リジー・グラントはそれをやってのけたのだった。彼女はまず手始めに、本名を捨てた。ラナ・デル・レイの誕生だ。

ラナが音楽界に初めて足を踏み入れたのは、ニューヨーク郊外の流行最先端地区ウィリアムズバーグの店の、オープンマイク(=飛び入り参加自由なステージ開放日)の夜であった。彼女は当時19歳。相当ビビッていたという。「初めてのオープンマイク体験は、私にとっては本当に衝撃的だった。私はジーンズをはいて、黄色いシャツを着ていたの。『ライロ・ラウンジ』というお店でね。その頃はもう、ニューヨークでは誰もプレイしていなかったのよ。私はアコースティック・ギターで弾き語りをして。そこにいた全員が動きを止めたのよね。ものすごく気恥ずかしかったわ。信じられなかった。そこはロック・バーでね。私は浮いてた。私が歌ったのはバラードで、自分で書いた3コードの曲。ちょうど「Video Games」みたいなタイプのやつね。部屋中の言い争いやら何やらが止んで、シーンとなったの。歌い終わっても拍手すらなかった。静かなままだったわ。私は『ありがとう』と言って、バーのカウンター椅子にジャケットを置き忘れたまま、店から飛び出した。興味深い体験だったわね。他の人の動きを止めることができただけでも充分かもしれない、って思ったのよ」。 間違いなく、特別な何かが起きていた。抗い難い魅力に満ちた彼女の静かな声と、傷だらけの豪華な楽曲とが融合したそのサウンドが、多くの耳を惹き付けたのである。そして様々な人々が、即座に興味を示し始めた。「誰かが私の後を追って店から走り出てきて、こう言ってくれたのよ、『来週、私が主催するイベントにぜひ来てほしい。そしてその夜、何曲か演奏してくれないか』ってね。私は不安でたまらなかったのよ。もしあの晩、あそこにいた人達に笑われてたら、きっと2度とステージに立つ事はなかったでしょうね。2度と絶対に」。 彼女は音楽的なものと同様、視覚的なものからも直接影響を受けてきた。例えば映画監督デヴィッド・リンチの作品や、50年代のモノクロ映画のサントラ。コニーアイランドの観覧車が立てる音。名声そのもの。ニュージャージーのトレイラーパークで暮らしていた彼女は、たくさんの旗や、吹き流しのリボン、季節外れのクリスマス・ライトで住居を飾り立てていた。「どれもみんな、私の愛するものたち」と述べる彼女。これがラナの世界であり、それを輝かせる必要があったのだ。

音楽業界への出入りを繰り返した後、ラナ・デル・レイとしてのこだわりの夢を諦めずにいた彼女の前に、思わず息をのむような素晴らしい音楽的情景が開けていった。儚く、情感豊かで、映画的要素にも繋がる彼女のソングライティングが、鮮やかな総天然色で彩られるようになったのだ。ヒップホップのように多弁な歌詞で、恋の辛さを歌い上げる、モノクロ映画風の雰囲気を帯びた美しい旋律の「Video Games」。その曲の持つ汚れた魅力が、彼女の出発点となった。 「私自身をゾクっとさせてくれるような、興味を掻き立てられるサウンドを見出したのよ。「Video Games」がその重要な鍵になったのは、私自身にとっても驚きだったわ。私は速い曲で、ヒットを狙っていたのよね。『それじゃ、スポットライトを浴びながら、この曲でポールダンスを踊るには、どうしたらいいかしら?』って、よく考えたりしてた。「Video Games」は元々、自分用にアップした曲だったのよ。スローな曲で、バラードで、サビらしいサビもなくて。なのにこれを自分でYouTubeにアップしたら、うまくいったのよね。毎日、視聴回数が数千単位で増えていった。私はパソコンの前で、『みんな、どこから湧いてきたの?』って思ってたわ。その人達がこの曲をどうやって知ったのか見当もつかなかったけど、おかげで色んな人々が私の所にきて話しかけてくれるようになったの。そんなことは予想もしてなかった。でもすごくホッとしたわ。もし私の書いたハリウッド・グラム・バラードや、そういった曲のもっとアップビートなギャングスタ・ブラザー・ヴァージョンで成功できたら、きっと素晴らしいでしょうね。他の人達もやってるような歌い方をしなくてもいいわけだから」。

間違いなくこれは、愛に自らを委ね、愛に傷ついた者の音楽で、そこには失った恋の悲しみの、繊細で美しい痛みが見事に描き出されていた。「いさかいには、どこか美しいところがある。どんないさかいにもね。そして私は生きることの痛みを感じてるのよ」。それを聴き手と分かち合えるからこそ、素晴らしい。「私が曲の中で語っているのは、叩き潰され、引きずり出された、壮大なラヴ・ストーリーなの。私が目指しているのはそこなのよ。私は自分の音楽で、色んな人生をぶち壊して、危険なことや危険な人の魅力を理解したいの。ギャング映画『暗黒街の顔役』(※1932年の米映画。1983年のリメイク版は邦題『スカーフェイス』)がもし作られてなかったら、今いるギャングスタの半分も存在していたかしらね? オッド・フューチャーや、リル・ウェイン、サイモン・コーウェルもよ。どれだけ力でねじ曲げられようと、そういった人達の物語からは目が離せないものでしょ。誰も目を付けていない、全く新しいジャンルってのがあってね。“アメリカン・ドリーム”(※「能力次第で誰もが豊かな生活を実現する機会を与えられている」とするアメリカの精神)と『アメリカン・サイコ』(※ウォール街で働くエリートが快楽殺人を繰り返すという筋の小説・映画)が、段々同じものを意味し始めてるってこと。映画と音楽と人生が、1つに融合しつつあるのよ。死は芸術だわ。私達はポップ・ミュージックを使い果たしてしまった。そういった健全な夢は死んでしまったのよ」。 強烈な言葉だ。しかし24歳のラナは、これまで不安と向き合いながら、魔法のような音楽に乗せた彼女の物語を裏付ける、強烈な経験を重ねてきた。「私は簡単に恋に落ちたりしないのよ。ものすごく好みがうるさいの。でも同時に、私が恋に落ちる時は多分、バカみたいに好きになってしまうのよね。衝撃力の大きい恋、ってやつね。自分の知っておきたいことは、1分もあれば全部分かるわ。それが必ずしも良い結果に繋がるわけじゃないけど、間違いなく、その場ですぐにガツンと心を奪われる。私が出会いたいのは、どうしようもなく惹き付けられるんだけど、私を苦しめるようなことは絶対にしない人。それって難しいのよね」 こういった様々な胸の内を綴った楽曲が、2012年初頭にリリース予定のラナ・デル・レイのデビュー・アルバムで一堂に会することになる。そこに収録されるのは、「Video Games」の華やかなオーケストレーションに加え、彼女が自分の不安に初めて向き合って以降、心を込めてスタジオで紡ぎ上げてきた、山のような曲の数々だ。ゴージャスな音色の「Hey Lolita Hey」から、ヒップホップの影響を帯びた「National Anthem」に至るまで、ラナ・デル・レイの音楽は、このアーティストだけに特別あつらえたような、唯一無二のサウンドを響かせている。

ヒップホップ界の重鎮達や、エキサイティングなポップの第一線で活躍する将来有望な歩兵達と、一緒に仕事をしたいと考えている彼女。「そこにたどり着くまでは、きっと苦労がたくさんあるだろうってことは分かってる。でも自分のことを信じてくれる人達が周りにいれば大丈夫なのよね。このアルバムはきっと素晴らしいものになるはずよ。私達に分かってるのはそのくらいね。うまくいくかどうか、ですって? それは分からないわね」。 目前にある、避けることのできないスターの座についてはどうか? ラナ・デル・レイに不安はない。「私は色んな人を知ってるわ。夜の闇で酔っ払うと、みんな同じものを求めているわけよ。誰もがみんな有名になりたがっている。他の人々に自分の人生の証人になってもらいたいという欲求は、本質的に人間らしいものよね。誰かに見られているということが、人間には大事なのよ。独りぼっちにはなりたくないってこと。私も独りではいたくないわ」