BIOGRAPHY

LADYHAWKE



Ladyhawkeはニュージーランド発、1981年生まれのPip Brownのソロ・プロジェクト。80年代の音楽から多大な影響を受けており、シンディ・ローパー、パット・ベネターらと比較される。母親がシンガー、継父がドラマーという音楽一家に育ち、彼女自身は継父が指揮を取る地元のブラス・バンドのパーカッショニストとして音楽キャリアをスタートさせた。現在では10以上の楽器をこなす。シドニーでの活動の時期を経て、現在はベースをロンドンにおいて活動中。今年リリース予定のデビュー・アルバムからの1stシングル"Paris Is Burning"は彼女がパリを訪れた際に感じたエネルギーを元に作った楽曲。

 

<STORY>
生まれはニュージーランド。 現在はU.K.在住。 本名フィリッパ"ピップ"ブラウン。彼女のアーティスト名=レディホークが誕生するまでには幾つかの展開が繰り広げられるのだが、そこには一貫して変わらない彼女の音楽に対する情熱と、根強い軸があった。

オーストラリアではモジュラー・レコーディングスより、セルフタイトルアルバム『レディホーク』を9月に発売。このリリースを機に彼女の"ライ フ・ストーリー"は益々展開されることであろう。80年代のサウンドとキャッチーなエレクトロ・ポップのアルバム、そこには「バック・オブ・ザ・ヴァン」 や「マイ・デリリアム」などの楽曲が収録されている。ファンはもちろん、批評家からも絶大な人気を誇っているファースト・シングル「パリス・イズ・バーニ ング」。他のアルバム収録楽曲もリスナーのハートをガッチリ掴むこと間違いない。

10代の頃のピップは、音楽を爆音で楽しむことしか頭になかったらしい。
「ヴォリュームが大きければ大きいほど良かったの」 
しかし成長するに従い、彼女はギター、ベース、シンセにも興味を持ち出し、一時期はドラムにもハマったそうだ。16歳で本格的にバンドを始めたいという衝動に駆られ、18歳にはそれを実現させるためウェリントンに向かった。

以下は彼女自身による"ライフ・ストーリー"だ。

…で、私の"ロック"で"一文無し"な人生が、小汚いバーで臭いボーイズたちと共にスタートしたってワケ。まずは、男友達と一緒に"Two Lane Blacktop"っていうバンドを組んだ。言ってみれば"イギー&ザ・ストゥージズmeetsザ・クラッシュ"ってところね。私はリード・ギターを担 当。しかも唯一の女性メンバー。ツアーやギグは数えきれない程やったわ。その結果、ニュージーランドじゃ私たちのバンド信奉者も出たくらいよ。

当時は、ボロいヴァンで移動してたんだけど、後部座席で何日も過ごした。ヴァンの名前は"チェリー・ウィズ・4・スメリー・ボーイズ"(=チェリーと4人の臭いボーイズたち)。クルマ酔いはヒドかった。カウチやフロアで寝る日々も。移動は夜行運転ばっかりだったしね。

オーストラリアでライヴしまくったわ。その間もやっぱり、ヴァンで移動してたんだけどね。ニュージーランドは涼しくて気持ちの平野。だけど、オーストラリアときたら、気温40度の暑苦しい砂漠。でも、それなりに楽しんでたわ。

アメリカにも行ったわ。おかげで、やっとこのセリフが言えるわ、「CBGBでプレイができた」ってね。私のアイドルでもあるデボラ・ハリーやジョーイ・ラモーン、それにたくさんのミュージシャンがプレイしてきたステージ。そこで私もプレイできるなんてとにかく嬉しかった。

ニュージーランドに戻ってまもなく、バンド内に亀裂が走った。個人的な価値観の違いが理由。オーストラリアでのツアーで前座を任されてて、その 直後にテキサス(@サウス・バイ・サウスウェスト)でもブッキングされてた。でも、オーストラリアへのフライトの丁度2日前、ヴォーカルがバンドを辞め るって言いだしたの。しかも、それにつられてドラマーも辞めちゃった。

私だけ取り残されて、とにかく失望したわ。怒りも込み上げてきたしね。でも、その瞬間ふっ切れて「もうどうなってもいい。バンドなんて関係ないわ、1人で飛行機に乗ってやる」って思ったの。そして、実際1人で飛行機に乗ったの。

所持金ほぼゼロ、あるのはスーツケースとギター1本。隣には3つの空席。そしてメルボルンに着いた。ホームレス、マネーレス、バンドレス状態でね。

そんな時、シドニーから電話がかかってきて、「ニック・リトルモアがティーネイジャーってバンドを始めたんだけど一緒にどう?」って誘われた。  私がメルボルンにいるって情報を聞きつけて、ギターリストとして私をバンドに誘ってくれたの。彼の音楽を私も気に入って、一緒にプレイし始めた。2、3 年一緒にプレイして、その後、私はシドニーに拠点を移したわ。自分のソングライターたちと近いところで仕事をしたかったから。

その時点から、"レディホーク"が私の頭の大部分を占めるようになってきた。 だんだんとそっち方面にハマってきたのよね。
(***"レディホーク"という名前は、1985年製作、中世のヨーロッパを舞台としたファンタジー映画『レディホーク』に由来している)

ニックはティーネイジャー(バンド)を続けて、(それは彼にとって人生のテーマでもあるらしいわ)、私はレディホークをスタートさせたってわ け。 ずっと自分だけのプロジェクトをスタートさせたいって思ってたし、1人になればバンド仲間に気をつかう必要もないしね。やりたいことを出来るのは最 高よ。

リスナーのみんなを笑顔にする音楽をつくりたいと思ってたし、私の音楽を初めて聴く人たちにも"どこか懐かしいんだよな"って思ってもらうものを目指してきた。

音楽って、ある時期の思い出を呼び起こしてくれるでしょ? 
だから好きなのよね。そんなフィーリングを喚起するようなソングライティングを試してみたかったのが1つ。そして、それをリスナーが聴いてくれた時に、同じような体験をしてもらえること、それが次の目標だった。

私が影響を受けたミュージシャンはたくさんいるわ。たぶん言わなくても分かると思うけど、70年代や80年代と同じヴァイブを再現しようとして るわ。ヴィンテージ・シンセなんかを起用して、アルバムを通してシンプルなギター・リフを効かせていった。でも時々、ソロを入れて発散させてる。それって 自分のギター捌きに惚れちゃってる瞬間なのよね(笑)

80年代の音楽が醸し出してた"ハッピーなのに切ない"ヴァイブを取り戻そうとしてるわ。80年代の音楽って、ユニークで軸がしっかりしている ものが多かった。ガッチリしたプロダクションに、タイトなシンセ・サウンド、それに力強いギター・リフ。ソングライターの存在は圧倒的だったし、その時代 の音楽は永遠に私の心に刻まれてるわね。

言えることは、それらの影響が、私自身の"モダン"な生い立ちと良い具合にマッシュアップされてるってこと。しかも過去の音楽に影響されてるだ けじゃなく、今のポップカルチャーからも色んなものを吸収してるわ。音楽に限らず、アートやメディア、TV、映画も含めてね。今までの私の人生で、私の五 感に訴えてきたもの全てね。現代のミュージシャンももちろんそうだし、色んなバンドやプロデューサーからもインスピレーションをもらいながら。

まとめると、私の70年代と80年代へのあこがれが、現代の生きた音楽にさらされることによって全く新しい、斬新で共感できるサウンドに生まれ変わってるってことね。

普段の私、ピップ・ブラウンとレディホークは、1枚のコイン裏表の関係。"レディホーク"は、とっても大切なもう一人の私。そしてソングライ ターとして何よりも目指していることは、フィーリングを喚起させる音楽をつくりあげること。"レディホーク"がそれを実現させてくれると思うわ。だって私 たち誰にでも、ティーネイジャーの頃があって、音楽を爆音で聴きながらベッドを飛び跳ねてた時期があったんですもの。