■
09/27/00 その時わたしはこうだった
歴史が動く一瞬というのがある。しかし多くの人はその歴史が動いているのを知らずに日々を送っていたりする。 実際にあとで聞いて「ああ、なんだ、ベルリンの壁が崩れたときオレは納豆食っていたんだ」とか「湾岸戦争が勃発したときオレはゲーセンでUFOキャッチャーしてたんだ」
あとで考えてみると、こっちがウオシュレットでケツを洗っていた同時刻にたくさんの人の命が奪われていたり、国家が消滅していたり、「神の見えざる御手」のバランス感覚のあんまりさに驚いたりもするのです。
今から書き殴る、「この瞬間」あなたは何をしていましたか? シドニーオリンピックの頃の話なのでもうふるーい話になっているかも知れませんね?、一度、掲示板にゲリラ的にアップしました。 もう読んだことがあるかも知れませんけど、、、 ご自分の「その瞬間」を思い合わせながらお読み下さい。
その晩、わたしはMAスタジオで担当ディレクターの到着を待っておりました。
スタジオのテレビではグルグルナインティナインが終わり、ウリナリが始まっておりました。別にスタッフの誰かが真剣に見ていたわけというわけではなく、ただ誰もチャンネルを誰も変えないので、ただ「何となく」そのままだったわけです。
実はこのとき、ものすごいことがNHKで起こっていたのにそれを全く知らないわたしは安穏(あんのん)と梅おかきを食べ、茶なんぞをすすっておりました。
その時までは、、、
突然スタジオの扉が開いて、怒りの声が聞こえてきました。 「もう、ちょっと信じられないよ、日本中が怒りまくっているよ!」
息せき切って入ってきたのは、担当のディレクター「ハル」さん。
ふつうなら「あ、どうも、どうも」とにこやかいい人ビームを放ちながらやってくる人です。
スタジオにいたわたしは呆気にとられ、頭上にデッカーイ「はてなマーク?」がボワンと浮かんでおりました。
「え?え?え?え?え?え?え?、、、」
「日本中が怒りまくっている」らしいのにわたしは梅おかき食っているですから、、、何がなにやらサッパリ君でございました。 でも、このオリンピック真っ盛りのいまですから、、、 「ひょっとして、誰か大本命の選手が負けちゃったのかなぁ、、、」 という予感が頭をよぎります。
やや恐る恐る「誰か負けちゃったんですか?」と聞きました。
「違うんですよ、見てませんでした?篠原が一本決めたのに主審が見てなかったんですよ!」
「ハル」さんは興奮すると炸裂するマシンガントークで何がどうでこうで、ああなって、こうなって、そんなわけで、あんなわけで、どうしたこうした、ああだらこうだら、ピンタラポンタラ、まったくほんと、どうして、こんなことが、じょうだんじゃないよ!と説明してくれました。
一気にまくし立てた説明でしたが、よく分かりました。ハルさんの銃口からはまだ撃ち終わった煙が立ち上っております。
「うーむ、、、」 ハチの巣にされたわたしは流血しながらも完璧に事態がわかりました。
「直ちにNHKに変え、、、」言ってる間にハルさんがチャンネルを変えました。
水泳です。
水泳のどなたかが、メダルを取っていたのでしょう。何となくニュースを伝えている女性アナウンサーもうれしそうに、原稿を読んでいます。どうやら、その選手がもうすぐ、そこのスタジオにやってくるらしいことを彼女は告げました。
そして、しばらく水泳の話がつづいたあと、、、ややウレシそうなアナウンサーが、そのままのトーンで、
「さて、銀メダルとなりました篠原選手の表彰式がまもなく始まります。その模様は式が始まりしだいお伝えします」と告げました。
一瞬のことだったので聞き取れた言葉は正確ではないでしょうが、まるでその口調はもう篠原の銀メダルは確定してしまったかのように受け取れました。 「わたしには関係ないわよ」って感じの態度で原稿を読んでいるのです。こっちがこんなに篠原の判定の行方を心配しているのに、、、まるで「我関せず」じゃないですか、、、やはり女性は柔道はお嫌いなのか?
そしてテロップを見たとたん、 その場にいた全員の眉間(みけん)にムッギューとしわが入る音がこだましました。
テロップが「篠原、銀メダル、、、」 と出ているじゃありませんか!
「そのテロップは時期尚早なんじゃないか、おいっ!」 そこにいた全員がテレビに突っ込みそうになりました。
それほどの誤審なら、もしかしたら、、、と我々が思っているのに、、、 みんな祈るような気持ちで次の情報を待っているのに、、、
それなのにこのオンナ(失礼)は、この空気が読めんのか! まぁそら、シドニーにいますから読めんでしょうけど、、、
そして出た、 柔道の篠原の試合です。
一回戦からのダイジェストが始まりました。 豪快な一本で勝ちあがって行きます。
いちど、ロシアのトメノフ選手の追い込まれたものの、見事に逆転一本! 「やったぁ!」VTRとは分かっていても歓声が起こります
そこには素晴らしい柔道が展開されていました。昨今のレスリングっぽい襟、袖の取り合いからタックルの「JUDO」ではなく、見ごたえのある「柔道」が展開されています。
ハルさんにわたしは尋ねました。 だとすれば、問題のあった相手とは「ドイエ」ですか? そうです「ドゥイエ」です、、、、 小さな「ゥ」をはさんで答えられてしまいました。
やはりか、、、、
アトランタ・オリンピックのチャンピオン、そして世界選手権を何度も制覇し、スポーツメーカーのCMにも日本人を差し置いて堂々と柔道着を着てポーズを決めるナイスガイ。紛れもないフランスの、いや全ヨーロッパの英雄。ダビド・ドゥイエ。 柔道に関わったことのある男の子なら必ず知っている選手だ。
そして篠原との因縁も、、、
もつれ合うドゥイエと篠原、、、 ドゥイエが内股に、、、しかしこらえる篠原、、、
篠原、内股透かし!
決まった!バッチシ、、、、、やったぁ!オレもガッツポーズ!絶対一本
なのに、、、、え?
審判が一本をとりません、、、、
「見てくださいよ!これドゥイエの有効になっているんですよ!」
そんなバカな!ハルさんの説明通り完全にドゥイエの背中が畳に叩き付けられているのに、 不完全なドゥイエの内股のほうに有効の判定が下ったのです。明らかな誤審。
この主審が「見切れ」なかったという意味がハッキリ分かりました。彼には何が起こったのか分かってないのです!高次元な技の攻防が分からないのです。
「オイオイどーなってんだよ?」我々全員の目に斜線トーンがはいりました。
「この時ですね『こんな人がよくオリンピックで審判をできますね、、、』と解説の人が言ってくれたんですよ」 生放送で見ていたハルさん力強く説明を挟んでくれました。NHKでそんな主観的コメントをするのには確かに勇気がいったことでしょう。エライ、その解説の人!しかし、さすがはNHK。リプレイの今その「勇気あるコメント」はカットされていました。
無情にも有効の判定は覆りません。斉藤が「一本」と大声で言っているのが口で分かりました。山下が憮然としています。
これはおかしい これは絶対篠原の一本だ。
それでも、最後の最後まで、果敢にドゥイエに立ち向かっていく篠原、
時間切れ、、、、
ドゥイエが観客席のフランス人達に向かって両手を上げています。
「あの解説の人がですね!『こんな勝利でフランス人はうれしんですかね?』とも言ってくれたんですよ!」 もっと力強くハルさんが説明を挟んでくれました。ハルさんの言いたいことが痛いほどに分かります。そして、この解説の人もギリギリの抗議をしてくれているのがひしひし伝わってきました。
この時点で、わたしも「日本中が怒りまくっているよ!」の一員に加わりました。 メラメラに燃え上がりました! 絶対篠原の勝ちです。
そこにいる全員が見て、全員が篠原の勝ちを確信しました。 全員ありったけの柔道知識を披露しながら、さらには狭いスタジオなのに、実演までもしながら、いかにあの判定が間違っていたかを大検証しました。
どう考えても篠原の一本勝ちです。これほど明らかに誤審だったらもしかしたら、、、 今ではビデオもあるだろうに、、、あんなひどい判定なら銀メダルはボイコットするべきだ。 もっと日本の監督達は声高に一本を主張するべきだったんじゃないか?そういえば韓国のボクサーが判定を不服としてリングに座り込んでいたことがあったな。さんざんいろんなケースについて考えを巡らせました。
わたしたちは何とかこの思いがシドニーに届かないものかと、なおいっそう口角泡を飛ばしあっていたのです。
また画面が変わりました。
「続いて100キロ超級の表彰式の模様を伝えます、、、」 先ほどの女性アナウンサーの声も少し真剣みをおびてきたように聞こえます、、、
「判定よ、覆っていてくれ!」祈るように画面を見つめました。 「頼む!」
しかし「先頭」に、篠原が立っています。
ああなんということでしょう、、、銀メダル表彰台に立つ位置です、、、、
あの裁定を受け入れたのか??????斉藤はどうしたんだ?山下は何をしているんだ! ボイコットはあり得なかったのか?篠原に表彰式に出るように説きふせたのか?
入場してきました。篠原がうつむいて、納得がいかないといった表情を浮かべています。 「そりゃそうでしょ!納得いかんでしょ」全員でテレビに怒声を上げました。 「山下監督のコメント入ってきました」と先ほどの女性アナウンサーが読み上げています。
篠原の真後ろにいるドゥイエが観客席に向かって手を振っています。 さらにそのうしろの銅メダルの二人も笑顔での入場で、軽く手なんか振ってます。 篠原だけが苦渋の表情です。これは、あまりにもひどい仕打ちです。
こんなに辛い立場に追い込まれた人がいるでしょうか、、、、
勝利を踏みにじられた上にそれを甘受せよと言われているようなものではありませんか むごすぎます。
彼の奥さんがハンカチを口に当てて泣いています。
篠原がなんとも辛そうにひたいに手をやりました。いかつい額は汗びっしょりです。 こんなにも辛い表情があるでしょうか?
アントン・ヘーシンクがドゥイエに金メダルをかけました。そして、右左の頬にキスをしました。 ドゥイエは喜びでいっぱいです。観客席のフランス人達に投げキッスをしました。 あの勝利でもフランス人は素直にうれしいようです。勝利に喜ぶ人を見て こんなに 不愉快に思ったことはありません。
篠原の番です。
その、メダルを受けるな!本当の勝者はキミだ!胸を張れ!こんなに悲しい銀メダルがあるか!様々な怒声がわたしの中に巻起こりました。
ヘーシンクは何も言わずただ握手だけをして次のメダリストへ移りました。 何か「言葉」ぐらいないものか、、、
また、奥さんが写されました。人々がわきかえるスタンドのなかで彼女だけが「悲愴」に包まれていました。
そして、篠原の胸に下がった銀メダルが大写しに、、、、 金ではない銀メダルが大写しに、、、
試合会場の男性アナウンサーと例の解説者の「やりきれん」といった話が続いています、、、 「一度下ってしまった審判の裁定が覆されない決まりはあるのですが、審判部長など、審判を統括する人がいるわけですから、、、裁定がでてもそれを見て物言いがつけれれるようなシステムを作らないと、、、」
その途中音声はフェード・アウトしていきました。
もう、どうにもならないようです、、、万事休す、、、なのか?、、、
前日の井上康生の殊勲の金メダルで絶頂にあったわたしは、なんとも不愉快な奈落に 突き落とされてしまったのです。
画面はスタジオへもどってきました。
あの女性アナウンサーが写されました。 わたしとしては、もう少し試合会場の「抗議」の模様を聞いていたかったのに、、、
彼女が読み始めた原稿は「篠原選手の銀メダルの裁定はルールで決定になりました」というダメ押しの内容でした。 そして速報で入ったニュースの定石通り、彼女はもう一度原稿を繰り返して読んでいました。
そのとき、、、なんということでしょう。
、、、涙声です。
泣いています。 彼女が泣いている! さっきまで柔道には興味なさそうなそぶりだったあの彼女が泣いているのです。 目を完全に原稿に落として彼女は顔を上げません。きっと目からは涙がこぼれているのでしょう。
「泣いてるよ!」 「アンタもくやしいんだな?」 「アンタもかなしいんだな?」 泣いているのです。
有働アナウンサーが泣いてるのです!
アナウンサーは常に冷静にニュースを伝えるのが仕事です。感情を表に出さないのが アナウンサーです。そんなことはどんなアナウンサーでも心得ています。 それでも有働アナウンサーが泣いていたのは、泣けて仕方なかったのです。 あの場面で悔しくない日本人はいません。 悲しくない日本人はいません。
不謹慎かもしれませんが、泣いてくれて逆にホットしました。 あの涙はわたしの涙の代弁でもありました。 有働アナが泣いたことで少しだけですが、救われたような気がしました。
試合後、篠原は記者会見で「ジャッジに不満はありません。弱いから負けた」と 決していいわけをしない姿勢を貫き通しました。大変立派でした。
今回のオリンピックではいくつもの感動のドラマが生まれました。おそらく将来の国民栄誉賞をなどを受賞する人もこの中から出てくるかもしれません。 しかし、わたしの最高殊勲選手は篠原信一。この人です。 願わくば、この度の篠原の立派な態度に栄光あれ。篠原の立派な試合に栄光あれ!
|