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このときからマーキュリーを離れて独立した彼は、積極的にスタジオ・レコーディングを開始する。
以後はオスカー・ピーターソン、アート・テイタム、チャーリー・パーカー、エラ・フィッツジェラルド、バド・パウエル、ルイ・アームストロングなど、次々と大物アーティストによる作品を制作してレーベルを軌道に乗せていく。また大物同士の顔合わせも頻繁に行ない、これがプロデューサー=グランツの名声を確立することになった。
1954年にグランツは自分の名前からとったノーグラン(Norgran)をスタートさせる。それまでに制作したクレフの作品も順次ノーグランで再発していたが、1957年になって彼は再び新レーベルを設立する。それがジャズ界きっての大カタログを有するようになったヴァーヴ(Verve)だ。クレフとノーグランで制作した約250枚の作品もヴァーヴから再発売され、大物ミュージシャンたちのレコーディングも引き続き積極的に行なったことで、ヴァーヴは1960年ごろまでにジャズ界きってのアルバム数を誇るレーベルになっていた。
このころになるとグランツはプロデューサー業から手を引き、クリード・テイラーなど優れた手腕を発揮してきた外部プロデューサーを迎えて、時流に合ったモダンなジャズを中心にレコーディングを行なうようになっていく。中でも1962年から始まるスタン・ゲッツを中心にした一連のボサ・ノヴァ作品は世界中でベストセラーを記録して、ヴァーヴの経営基盤を磐石のものとした。その後も、ヴァーヴはビル・エヴァンスやジミー・スミスを獲得して、他のジャズ・レーベルのスケールとはまったく違うビッグ・ヒットを連発していく。
しかしレーベルが発展・拡大していくにつれて、グランツのジャズに寄せる情熱は薄れ、1960年代半ば、彼はそれまでに残した膨大な録音のすべてをMGMに売却してスイスでの引退生活に入る。一方ヴァーヴはその後も着実に発展し、ウェス・モンゴメリーを中心にしたイージー・リスニング・ジャズで大当たりをするなど、1960年代における最大規模のジャズ・レーベルのポジションを確固たるものとしたのだった。
こうして好調に発展を続けていたヴァーヴだが、1970年代に入ると世の中はフュージョン・ブームとなり、メインストリーム・ジャズを中心にしていたレーベルの躍進にも翳りが見え始める。それにより一時は休業状態にあったヴァーヴだが、1980年代半ばに積極的なレコーディングを開始したのは、メインストリーム・ジャズの人気が復活したことと無縁でない。そして現在は親会社のユニバーサル
ミュージック所有のインパルスやGRPも吸収して、以前にも増して豊富な人材と優れた作品を連発するレーベルとして、ジャズ界きっての充実した活動を展開している。
(小川隆夫)
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