
バリアを破壊するフリー・ジャズの精神解放パワーに強烈な一撃を食らったが最後、レア盤探しに埃っぽい中古レコード店の床を這い摺りまわるしか方法がなかった。しかし、このシリーズのおかげで、セシル・テイラーの作品中、最もロックっぽい『ライヴ・イン・ザ・ブラック・フォレスト』におけるロナルド・シャノン・ジャクソンの魂の注入や、『ザ・ミュージック・インプロヴィゼーション・カンパニー』の音響に内包される頭脳改革的衝撃や、新たな言語の創造者であるデレク・ベイリーやミルフォード・グレイヴスと高木元輝や阿部薫など日本フリー界の天才たちとの伝説的異種交配(『キティ』というレーベルにおいて。“ハロー・キティ”がレーベル名に変身!?)を体験できることとなった。この再発シリーズは言わば、方向性を見失った音楽界(そしてレア盤収集家たち)の軌道修正、一掃、方向転換のために不可欠なのである。
ジム・オルーク
この度、サン・ラーやミルフォード・グレイヴス、ドン・チェリー、デレク・ベイリーなど名前を聞くだけで脳細胞が発泡してしまいそうな方々の音源が再発されるという事で非常に楽しみにしております。フリー・ジャズなどと言うと一歩引いてしまいますが、今回再発されるものは殆どが一発録音だと思われますので、音の持つダイナミズムの記録が今現在においてどういう響き方をするのか、というのにすごく興味があります。不安定さや不定形さの中にセンタリングして重心軸を持ってくるという、生命の基本的なゆらぎの構造が感じられるのではないかと期待しています。録音は昔のものですが、現在においての受け取り方は、全く新しい脳周波数帯域で行われると思いますので、各音源の当時の背景やコンセプト抜きで、より高純度な生命のゆらぎのみを抽出した形で聴けるのではないかと思っております。
今改めて当時の音楽を聴き返してみて感じるのは、当時言われた「破壊」でも「アナーキズム」や「革命」でもなく、60年代以降に出てきた旧来の枠組みを超えようとする横の連帯への意思と、音楽を楽器を使って演奏することへの無邪気なまでの「喜び」だ。「謳歌」という言葉すらあてはまりそうな作品もあるし、ドラッグ抜きには語れないようなサイケデリックな作品もある。素朴にそうした作品が私は好きだ。聴いていて「生きる」ということにポジティヴになれるし、懐かしくもあるし、今聴くと自然に体が動き出して、素敵なダンス・ミュージックだったりもする。
そんな中で棘のように、違う何かを突きつけて来るのがデレク・ベイリーと日本の即興演奏家の存在だ。とりわけベイリーのThe Music Improvisation Companyでの演奏の素晴らしさは、明らかに「音楽」とも「喜び」とも、あるいは「横の連帯」とも違う別の何かだ。彼等の音の中から見えてくる、聴こえてくる強靭な「意志」のようなものに、私は惹かれる。音楽の力が、音を聴いて体を動かしたくなるダンスの衝動にあるとすれば、ベイリーのそれは、例えるならこちらの意識や肉体に突きつけられた鋭利な刃物のようですらある。今聴いても鳥肌が立つくらい興奮してしまうのはこの「刃物」のせいだ。
一方、当時ベイリーやミルフォードと共演した日本の即興演奏家達がやっていることも、なにかが決定的に違う。「連帯」でもなければ「意志」のようなものでもないし、ベイリーのような「刃物」でもない。それは彼等とベイリーやミルフォードとの間にある齟齬感のようなものから、逆に焙り出されてくる何かだ。この、言葉にになりえない「何か」達の中に、これからの羅針盤が隠れているように思えるのは、考えすぎだろうか。
大友良英
20世紀の音楽が総て咀嚼され尽くされようとしている。どんな物でも僕等は(考えようによっちゃ)クールだとかポップだとか思えるセンスと力を持ち得るようになった。それが、90年代を通過した感受性であることは間違いない。これはある種の愛だという事も出来る。僕等は限りなく優しくなり、限りなく残酷になった。
今回リリースされるラインナップは、発売当初、聴いたほとんどの人がクールともポップとも思えなかった(作品によっては、作者の「そんな風に思われて溜まるか」という積極性すら含まれている)ある時代の、ある強い傾向を持った作品群である。そして結論を先に言えば、とうとうこれらも現在、こんなにもポップでクールになった。
それが愛による敗北なのか、愛による勝利なのか、はっきりしている事は、彼等総てが、時代に闘いを挑んでいたのであるから、いずれ勝敗は決すると言うことだ。気持ちよく音楽を聴くことの快楽と気持ち悪く音楽を聴くことの快楽を止揚出来るのは、現在初めてこれらを聴くリスナーの感受性の中にしかない。
菊地成孔( DCPRG/スパンクハッピー)
凄い物が発売になりましたね。全12タイトル、いずれ劣らず猛烈に濃そうなやつばかりですね。僕としては職業柄やはりデレク・ベイリーは猛烈に押さざるをえないのですが、やはり同じギタリストとしてそのあまりに緻密&繊細なプレイには頭を垂れざるをえません。ギターを弾いているあなた、これは必聴です。あとはやはりファラオのライブですね、これはもう、プログレ好きには聴いて欲しいなあ、バリバリプログレです。
鬼怒無月(ギタリスト)
日本ほど、フリー・ミュージックが若いミュージシャンに影響を与えている国はないのではないか。特に1978年のデレク・ベイリー来日公演以降、確実に日本のパンク、オルタナ、ノイズ、音響系など、斬新な音楽スタイルは間違いなく即興演奏の洗礼を受けている。80年代以降フリー・ミュージックが「音楽」に堕落していくのに対し、逆に日本の若い演奏家の多くは新しい時代のインプロヴァイザーとしての役割をも兼ねていったのである。それは音楽のさらなる自由を究明する姿勢であったといえるだろう。つまりデレク・ベイリーこそは、日本のインディペンデントシーンの功労者であり、影のキーマンであったのだ。
JOJO広重
その場の自由な発想から生まれる即興演奏は、それを演奏する立場からすると、それはいかに自らの深淵を音にしてさらけだすか、というパフォーマンスであり、演奏者は演奏しながらイってしまうのだ。それを聴くという立場になったとき、聴き手はそれをその他の音楽と同じように、楽しむことはできない。なぜなら、聴き手も演奏者と同じ様にすべてのエゴを捨て去ってイッてしまわないと、同じものを体験できないからだ。演奏する者と聴くものの境界が完全に消滅したときに、その絶頂はやってくる。ファラオに導かれアッチ側のパラダイス・ビューを眺めに行こう!
藤原大輔
“デレク・ベイリーのこと”
僕はジャズや現代音楽にあまり詳しくないし、特に理論的なこととか、全く分からない人間だけど、デレク・ベイリーの出すギターの音は、ジャズだのアヴァンギャルドだの関係なく聴けるし。否、むしろ、こういうたましいに直接火つけて音楽する人たちは、アフリカや、モンゴルの奥地や、アボリジニの村に居るシャーマニックな音楽家なんかに一番近いと思うので重宝しています。
山本精一
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