ジェイミー・カラム Jamie Cullum
シンガー/ピアニスト
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1979年 ロンドン郊外エセックス市生まれ。
ギタリストの父とヴォーカリストの母、同じくギタリストの叔父にサックス奏者の祖父といった、紛れもない音楽一家に育まれる。8歳でピアノを始めるも、アカデミックなレッスンや学理の勉強を嫌い、わずか3年で挫折。11歳になったジェイミーは、やがて兄の影響でグランジやヘヴィメタルを聴きはじめ、13歳の誕生日にエレクトリック・ギターを手に入れる。“ニルヴァーナ”や “サウンド・ガーデン”に傾倒する、当時としてはごくごく普通の音楽少年だったが、彼の探究心は深まる一方、兄と共にブルースを初めて学んだのもこの頃のことだった。 |
| ある日の事、両親のLPコレクションに目を留めたジェイミーは、今まで聴いた事も無かった興味深い音楽と出遭う事に…。以前叔父からボサ・ノヴァを聴かされた時にはさして興味を持たなかったジェイミーだったが、今度ばかりはその和声の美しさに思わず息を呑んだ。オスカー・ピーターソンの名演が再びジェイミーをピアノの前に座らせたのだ。マイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンス…彼のジャズへの興味は留まる事を知らなかった。10代も半ばを迎えたジェイミーにとって、ジャズの魅力とは単に音楽的側面だけではなかった。ワイルドで少々だらしなく、セクシーでクール、そして時にはセンチメンタルなジャズメン達の生活や文化にひどく感化された彼は、夜な夜な地元のジャズクラブを渡り歩き、朝まで演奏に明け暮れることも決して珍しくはなかった。実に彼は当時の事をこう語っている。「僕が音楽を学んだのは学校の教室じゃあなく、あの頃のギグからさ、演奏のテクニックもマニュアルどおりではなく、実践から身に付けた」 |
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大学に進学したジェイミーは映画制作と英文学を先行。
傍らで、自作映画の為のオリジナル音楽を作曲し始める。
勿論クラブでの演奏も止むことはなかった。自主制作CDのセールスが700枚を超え、彼はその利益で学費の一部を賄ったという。そして2枚目の自主制作盤『ポイントレス・ノスタルジック』が彼の運命を大きく変える事に…。シナトラのナンバーからレディオ・ヘッドのカヴァー、そしてオリジナル曲。バラエティに富んだこの作品がインディ・レーベル=キャンディードの目に留まり、彼の作品が初めてCDショップに並ぶ。瞬く間にその評判は全英に広がり大ヒットを記録。更には、この作品がTIME誌の『アルバム・オブ・ザ・イヤー』に選ばれた。2002年秋の事だった。 |
2003年春、話題騒然の中、ユニバーサルUKが100万ポンドという、ジャズ界では異例の巨額を投じてジェイミーと契約。クラブでの演奏を始めた15の頃から8年後の事だった。その後、イギリス国営放送BBCの人気長寿番組「パーキンソン・ショー」へ出演し、またそれが英国王室のチャールズ皇太子の目に留まり、この5月には、セント・ジェームス宮殿で行われたエリザベス女王の誕生パーティに招かれ演奏を披露した。運も実力の内というが、ジェイミーの場合、素養と実力の上に運がついているというべきだろう。
英国でのメジャー・デビューを目前に控えたこの10月、ジェイミーはかねてからの憧れの地、アメリカ、ニューヨークへ。ミッドタウンのアルゴンキン・ホテルにあるオーク・ルームでニューヨーク・デビューを果たした。15歳の頃から、1,000本以上のギグをこなしているジェイミーにとっても、緊張という新鮮な 感覚が久々湧き上がったという。小さくても大きくても、ロックでもジャズでも、いかにエンターテインするか、ステージと客席との一体感、いわゆるインターラクティヴな感覚を大切にすることをだけを考えた。シャープに着飾ろうが、カジュアルな装いでいようが、木製の鍵盤を通してのプレゼンテーション、すなわち内面的な表現そのものが、彼の最も重きを置くポイントだという。
「スタンダード?勿論演奏するよ!しかも最もレトロなオールド・キャバレー・スタンダードをね。ただ、 新しいメンタリティで古い曲を演奏することが最も大事なんだ。それじゃなきゃあ意味が無い。現代のジャズメンとしてのね。もうひとつ、歌詞に対して、自分の実生活とリンクする部分が無くっちゃね、なんて云うか、感覚的に共鳴できるような。でなきゃあ説得力がないだろう…。自分のアルバムに入れるスタンダードは、全部そんな基準で選んでる。」たいした輩だ。とても24歳の青臭いジャズメンとは思えないセリフだ。
1月に日本デビュー、3月にヨーロッパ・デビュー、5月に全米デビュー。デビュー・アルバムは全世界で120万枚のセールスを記録。UKジャズの新たなる伝説を生み出している。 |
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