Biography

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本当に素晴らしいデビュー・シングルとは、聴いた者をこのように思わせる:これは一体だれだ?どこからやってきたんだ?ウィリー・ムーンの「I Wanna Be Your Man」のPVを見たらみんながそう思うだろう。細身で顔の長い若い男性がスポットライトを浴びながら、ボ・ディドリー調の激しい金属的なビートに合わせて気取った動きを1分と50秒間披露している。そしてその正体は、レコードに負けないぐらい興味深いものだと知る。

  ウィリーは21歳。非常に賢く、燃えやすく乾いたユーモアのセンスを持っている。彼は様々なサウンドをブレンドするようなことはしない。すべてを一度に粉々になるまでぶつけ合って、どんなノイズができるのかを聴いてみる。それはまるで、ビートルズが麻薬を発見する少し前、1965年のロックンロールが冷凍され、45年後にラップトップ・ヒップホップ・プロデューサーの手によって突然生き返らせられたようなサウンドに仕上がっている。

  彼のデモには様々なサウンドが含まれている。アラン・ローマックスが好む1930年代のフィールド・レコーディング(*スタジオではなく、外でのレコーディング)はリズムトラックをハンマーや斧で打ち鳴らし、60年代初期のロックンロールを激しいダブステップに詰め込み、大胆なエイメリー調のブレイクビーツはけたたましいホルンとジェームス・ブラウンの遠吠えの下で必死に抵抗している。ウィリーは、キャブ・キャロウェイやマイケル・ジャクソンの身体的エネルギー、ラモーンズのはかなさ、そしてフィルム・ノワールのスタイルが大好きだと言う。

  彼は作曲、レコーディング、そしてプロデュースもすべて自分一人で行い、短いトラック作りを心掛けている。どのトラックも3分を超えることはない。「どうせ大抵の場合には最初の2分間に一番おもしろいことが起きる。その後はつまらなくて仕方がない。僕はシンプルなものと、はかないものが良いと信じてるんだ。あと、集中力の問題もあるんだけどね。もう最近では本を読めなくなった。もっぱら短編小説に限られている」と彼は論理的に話す。

  ウィリーはニュージーランドで育った。12歳の時に母親が癌で亡くなり、父親は母の看病で職を失ったためサウジアラビアへ単身赴任で働きに行くことになった。残された12歳のウィリーと16歳の姉はお互いの面倒をみていたそうだ。「僕はいつも学校では問題児だった。先生にはいつも、困ったから両親を呼びましょうって言われるんだけど、それはちょっと難しいですねって答えていたよ。」

 元は優秀な生徒だったが、ウィリーは学校に見切りを付け、時々友人に会いに行ったりSF小説を読みに学校へ顔を出す程度になっていった。そんな理由から退学になっては次の学校でまた退学となり、16歳の時に正式な教育を受け続けることをやめた。「学校なんて、なんの意味があるの?って思ったんだ。僕は権力が大の苦手だし、それにどうせずっと前から独学者だった。」

 結局はこのままではいけないと考え、18歳の誕生日までに貯金をし、ロンドンへの片道航空券を購入した。そこで彼は快楽主義、人生の闘い、経済的な不安を学び、予期しなかった音楽的大発見をする。当時のガールフレンドはウィリーに1940年代に大変人気のあったアンドリュース・シスターズのアルバムを聴かせ、それから彼は1960年前のポップミュージックに夢中になった。「今でも一番ジャズをよく聴いている。ウディ・アレンのようにね!」と彼は笑う。

 仕事を失い、家賃滞納でアパートから追い出されたウィリーとガールフレンドは、一番安い航空券を購入。それはスペイン・ヴァレンシア行きのチケットだった。それから列車でモロッコへと向かった。「とんでもない話だよね。モロッコで一体なにをしようと思ってたんだろう」と、彼は言う。それからベルリンにたどり着き、1年そこで暮らすことになった。そこでウィリーの音楽が形を成していく。ロックンロールを書き始めたが、そこには制限があり過ぎると感じた。「リバイバル・シーンがあったんだけど、でもなんだか自分を小さな部屋に閉じ込めて、鍵をどこかに投げ捨てているような気がしたんだよね。」

 ロンドンへ戻ったウィリーは自分のサウンドを発展させることに時間を費やし、その結果として「I Wanna Be Your Man」が完成した。オンラインで曲を披露すると、レーベルと契約を結ぶことになった。「バンドはやりたくないんだ。色んな意見があり過ぎるから。僕は本質的には独裁者だから」と彼は言う。

 そしてついに、比較的落ち着いた環境にいるウィリーは 2013年 リリース予定のデビュー・アルバムの制作に取りかかっている。驚くべき作品になることは間違いないだろう。「僕は常に野心を持っていた。いつか、たとえ何があろうと、必ず成功するよ」と彼は話す。