SPECIAL ISSUE Vol.2 [ 1/2 ]

Title _img _20120923

> Vol.1 > Vol.2 > More "Hatsukoi no Arashi"

ボーカル西山達郎が急逝して10年。初恋の嵐は11月29日と12月1日にワンマンライヴ『Storm of Last love』を開催する。ここではボーカル西山達郎が残した言葉やバンドヒストリーを中心に彼らの足跡をまとめてみたい。

1  2

Hna _spttl 01

2001年 初恋の嵐は新しい日本のロックの幕開けを予感させた

01 初恋の嵐は1997年に西山達郎と鈴木正敏を中心に大学の友人同士で結成された。当時ははっぴいえんどの再評価やサニーデイサービスを中心とした"フォーキーブーム"の最中にあり、彼らもその影響を受けながらゆるやかな活動をみせていた。しかし西山が玉川裕高率いるカントリーロックバンド、コモンビルに参加したこともあり、彼らは1999年に一旦解散を迎える。
 2000年に再結成した彼らが本格的な動きをみせるのは、その年の暮れのこと。12月に1stミニアルバム『バラードコレクション』をリリースし、そのレコーディング直後にベーシストとして隅倉弘至が加入したことが転機となった。
 彼らは1枚の音源と少々のライヴを通じて着実に知名度をあげていく。下北沢、新宿などのライヴハウスシーンが盛り上がっていた時期でもあり、少しでも評判のよい若手バンドがいると、なにかしら関係者がチェックに来るような状況だったが、そこでも彼らの評判は群を抜いていた。胸騒ぎのするバンド名は界隈を飛び交った。
 青春のもどかしさときらめきをとらえた西山達郎の大きな歌と、ニール・ヤングやジミ・ヘンドリックス、ビートルズが引き合いに出されたバンドアンサンブルが一体となって迫ってくる様は、新しい日本のロックの登場を予感させるに充分だったのだ。

2001年8月。1stシングル「Untitled」をリリース。愛への希望と憎しみがこんがらがった名曲「Untitlde」は彼らにとって最初の決定打となった。この業深い歌をもって、末恐ろしい才能の持ち主であることを疑う者はいなくなったと言ってもいい。ここに彼らは本格化したのだ。(ちなみに「Untitled」と時を同じくしてコモンビルの1atアルバムがリリースされているが、直後に西山達郎はコモンビルを脱退している)。
2001年の秋にはメジャーのレコード会社も決まり、彼らは翌年リリースする1stアルバムの準備に取りかかる。この時期の彼らからは、初期の頃にあったモラトリアムをわざと楽しんでいるような"あまのじゃく"な素振りが消え、"新しい旅路"へと歩を進める毅然とした鋭さが感じられた。主人公の若者が住み慣れた街と仲間たちへ別れを告げて旅立つ、青春映画のラストシーンのような鮮やかさが感じられた。りりしくもあり、どこか寂しそうでもあり、と。彼らの決意、より大きな世界に挑まんとする様は期待を抱かせてくれた。

喪失から10年 初恋の嵐は歌い継がれていく

Img 01 しかし…2002年3月2日。西山達郎がレコーディング中に急性心不全で急逝。終わることも進むことも禁じられた"歌"は、まるで氷河の下で眠るようにフリーズさせられる運命となった。美しく、宙ぶらりんで。
 残された歌をどうするのか?西山達郎が旅路の相棒に選んだ隅倉弘至と鈴木正敏は制作途中の音源を手に、レコーディング続行を決意。7月にメジャー1stシングル「真夏の夜の事」、8月に1stアルバム『初恋の捧ぐ』として日の目をみた。みずみずしい青春のきらめきと、2人の愛情と痛切な想いがこもった『初恋に捧ぐ』は、先頃リマスター盤とライヴ音源からなる2枚組の『初恋に捧ぐ プラス』として再発されている。
 2011年に彼らはライヴ活動を再開させた。西山達郎の代わりを務めるゲストボーカル、演奏をサポートするゲストミュージシャンには当時から親交のあった多くのアーティストが名を連ねている。また2012年にはスピッツが『おるたな』に「初恋に捧ぐ」のカバーを収録するなど、西山達郎が残した歌を多くの者が歌い継ごうとしている。
 3人体制での彼らが活発な活動を見せた時期は、2000年末から2002年前半にかけてのわずか1年とちょっと。しかしながらこの短期間に心から消えない歌を残した。幸運に彼らを知ることができた者の心に、抜けないくさびを打ち込んだのだ。
 この「初恋の嵐 Special Issue Vol.2」では、これからももっと彼らの歌が聴き継がれるようにその足取りを記録しておきたい。

「Have You Ever Seen" Hatsukoi no Arash"i ~君は初恋の嵐を見たかい?」はこちら

Histry

Sp _img 02 1997年
大学の友人同士で「初恋の嵐」結成。

1998年
カルト人気を誇った伝説のバンド「HIPGELLO(ヒップゲロー)」の玉川裕高と西山達郎が、カントリーロックバンド「コモンビル」を結成

1999年
コモンビルの活動が活発になったため一旦「初恋の嵐」は解散

2000年
"魔がさして"再結成(7月)
1stミニアルバム『バラードコレクション』リリース(12月21日)
新ベーシストとして隅倉弘至が加入し活動が本格化

2001年
ライヴ動員が増加、春頃には常にレコード会社の発掘担当者が観にくる状況になる
1stシングル「Untitled」リリース(8月1日)
イベンター間でも争奪戦が起こる
西山がコモンビルを脱退
『新宿ミーティング』に「君の名前を呼べば」(live version.)で参加(10月)
秋頃、5社間の争奪戦の末にレコード会社がユニバーサルミュージックに決まる
翌春のメジャーデビューに向けてプリプロダクション&レコーディングに突入

04 2002年
レコーディング中に西山達郎が急性心不全で急逝(3月2日)
『Smells Like Teenage Symphony』に「涙の旅路(new version)」で参加(3月27日)
「初恋の嵐 with friends」として3本のライヴを慣行(3月〜4月)
制作途中だった音源を残ったメンバーが引き継ぎレコーディング(3月〜6月)
「涙の旅路」がニッポン放送でパワープレイ(4月29日〜5月12日)
メジャー1stシングル「真夏の夜の事」リリース(7月10日)
1stアルバム『初恋に捧ぐ』リリース(8月21日)

2011年
ライヴ活動を再開((9月22日/心斎橋クラブクアトロ)

2012年
『FM802 MIDNIGHT GARAGE 10th Anniversary コンピレーション』に「Untitled」で参加(1月11日)
スピッツが『おるたな』で「初恋に捧ぐ」のカバーを収録(2月1日)
東京で10年ぶりのライヴ(2月14日/新宿LOFT)
『初恋に捧ぐ プラス』リリース(6月27日)
GOING UNDER GROUND主催『SOU-FES』に出演(7月7日/日比谷野外大音楽堂)
『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2012 in EZO』に出演(8月10日)
スピッツが夏フェスで「初恋の捧ぐ」をカバー(8月)
NHK-FM「『初恋』、未だ覚めず~西山達郎の足跡~」オンエア(8月17日 案内役:満島ひかり インタビュー出演:隅倉弘至、鈴木正敏(初恋の嵐)、玉川裕高(赤い夕陽) コメント出演:斉藤和義、鈴木慶一、曽我部恵一、チバユウスケ)
『~FLY LIKE AN EAGLE~』に出演(8月30日/W: TK from 凛として時雨、ストレイテナー/渋谷公会堂。この夜は凛として時雨を含めめったにアンコールをしないTKがアンコールで「涙の旅路」を演奏)
自主企画『対バンの嵐』開催(9月14日/W:スネオヘアー/名古屋クラブクアトロ)
『初恋の嵐 ワンマンライヴ "Storm of Last love"』開催決定(11月29日/SHIBUYA-AX、12月1日/神戸国際会館こくさいホール)

05
※このヒストリーはオフィシャルサイトのバイオグラフィを元に再構成したものです。
バイオグラフィはこちら

Profile

Img 03初恋の嵐
西山達郎(Vocal&Guitar) 2002年3月2日没(享年25歳) / 隅倉弘至(Bass) / 鈴木正敏(Drums) [Photo:L→R]

2000年に『バラードコレクション』、2001年に『Untitled』をMULE RECORDSからリリースし評判を呼ぶ。しかしユニバーサルミュージックからのデビューを目前にした2002年3月2日、西山が急逝。隅倉と鈴木は制作途中にあったレコーディングを続行し、7月に『真夏の夜の事』、8月に『初恋に捧ぐ』をリリース。2011年よりゲストボーカルを迎える形でライヴ活動を再開させている。

初恋の嵐 オフィシャルサイト
貴重音源やライヴ映像を視聴できるオフィシャルFacebookが公開中!
http://www.facebook.com/hatsukoinoarashi



Tatuo Nishiyama Collected Statement

〜2001年に西山達郎がインタビューで残した発言をPICK UP〜
彼にとって歌とは、初恋の嵐とは何だったのか?

・皆さん、音楽を聴いてますか? ぼくは最近TVばかりみて寝る時以外ほとんど部屋で音楽をかけることはありません。そんなやつがつくる音楽だけど聴く価値はあると思いますよ。 (『RaM』2001年8月25日発行号)

・ ロックバンドっぽい感覚っていうのは大切にしたい(『TIME MARKET no.39』2001.1.28発行号)

・コモンビルは、音楽の歴史とか知識をすごく重要視するバンドなんですけど、僕のはそういう知識を全て消化・吸収した上で、改めて真っさらのまま表現するバンドです(『direct』2001年1月号)

・制限の多い中で精一杯のことを表現することの方がカッコいいなと思うんですよ。その条件の中で『うた』を伝えたいですね」(『direct』2001年1月号)

・別に革命を起こそうとか思ってないし。すごく古いフォーマットでやってることも自覚してる(『GB』2001年8月号)

・いつかミュージックステーションにでたい。タモリの場所でロックを鳴らせるまでは頑張る。これはまじです。/ そこ迄行かないと後は全部一緒みたいな気がする。(『RaM』2001年8月25日発行号 /『Quip Magazine vol.26』2001年9月30日発行号)

・学生運動当時の若者でもないので直接的なメッセージは無いワケであって。核になる感じを分かってもらえればいいかなって。(『Quip Magazine vol.26』 2001年9月30日発行号)

・めちゃめちゃ大衆的になりたい。(『Quip Magazine vol.26』 2001年9月30日発行号)

・絶望的な内容をメロディが助けている(『B-PASS』2001年10月号)

・ちゃんとやれば無駄なことはないんだから、これからはまじめにやっていこうと(笑)。(『Kheer vol.11』2001.10.25発行号)

・僕の声、最高なんですよ(笑)(『Kheer vol.11』2001.10.25発行号)

文・構成 山本貴政

1  2

More _btn 01