INTERVIEW

初恋の嵐「初恋に捧ぐ」インタビュー

■再び始まった初恋の嵐の歩み

――まず、昨年9月に心斎橋クラブクアトロで9年振りのライヴを行うことになった経緯を教えてください。

隅倉「FM802に土曜24時からやってる「MIDNIGHT GARAGE」っていう番組があって、DJの土井コマキさんから連絡をもらったんですね。彼女はその番組で初恋の嵐をいち早く応援してくれていたんですけど、番組の10周年と心斎橋クアトロが9月に一端閉店して移転するということで、彼女がイベントを企画していて、「そのイベントに初恋の嵐に出てもらうことはアリなの?」っていうお話をいただいたんです。だから、「ちょっと考えてみます」って返事をして」

――それで鈴木くんに連絡したと。

隅倉「その頃、マーくん(鈴木)とはライヴ会場でたまたま会うとか、そんな感じで」

鈴木「うん。たまにメールして、「ライヴ、観に行きたいんだけど、次はどこでやるの?」っていうやり取りをする程度だったんですけど、スミくん(隅倉)からひさぶりに電話がかかってきたので、「いいね!」って返事をしたんですよ」

――ちなみに活動を休止していた9年の間に、ライヴをやろうと思ったり、声がかかったりっていうことはあったんですか?

隅倉「それは全くなかった……というか、そんなこと考えもしなかったですね。でも、『初恋に捧ぐ』をリリースして2012年で10年経つこともあったし、それは西山が亡くなってから10年ということでもあるし、アルバムを出してからライヴはやってなかったから、「この機会にライヴをやってみるのもいいかな」っていう、そういう軽いノリだったよね?」

鈴木「うん。初恋の曲を演奏するのは楽しいですからね。だから、「いやぁ、僕はちょっと……」って思うことはなく、単純な気持ちで返事をしたんです。まぁ、でも、引き受けた後に考えちゃったりはしましたけどね」

――そして、当然、ライヴをやるとなったら、2人だけでは出来ないですよね?

隅倉弘至隅倉「だから、かつてサポートをお願いした方々に確認したら、みんな、スケジュールが空いている、と。そこで土井さんに「やります」ってお返事をしたんです。で、そのライヴに誘われるちょっと前に下北沢へメレンゲのライヴを観に行ったら、ヴォーカルのクボ(ケンジ)くんからたまたま「初恋の嵐、ライヴやらないんですか?」って言われて、おまけにそのライヴはメレンゲにも声をかけてるってことだったので、「これはタイミング的にバッチリだな」って。同じく、「出たい」って言ってくれた岩崎(慧)くんのやってるセカイイチもそのライヴに出演するということだったので、彼にもお願いして。そして、もちろん、ライヴをやるとなったら、9年前にも出演してもらった堂島(孝平)くんと曽我部(恵一)さんにも声をかけて、ヴォーカルはその4人でやってみようってことになったんです」

――そして、久しぶりのリハーサル、そして、当日のライヴ本番はいかがでした?

鈴木「昔はメチャクチャだったというか、力任せにデカい音で演奏してたんですけど、ひさしぶりに演奏してみて、「ちゃんとやらなきゃ」っていう意識が強くなってたし、みんなの演奏に合わせるのが楽しかった」

――考えてみると、9年振りのライヴということはミュージシャンとして9年間のキャリアを経ているわけですもんね。

隅倉「そうですね。当時は3ピースのバンドということもあってか、それぞれが色気を出してたというか、いま作品を聴き返すと、どれだけ自分が美味しいことを出来るかっていう意識があったし、それはその時なりの良さだったと思うんですね。でも、今はそれよりもサポートを含め、みんなで演奏することの楽しさがあって、やっぱり、3人でやっていた時とはまた違うものなんですよ」

鈴木「もちろん、今回の再始動に関しては、色々言われるでしょうし、自分のなかでも今こうして、西山の曲を演奏出来る機会はありがたいし、楽しく、光栄なことでもありつつ、同時に頭の片隅に置いておきたいっていう思いもあって。ただ、個人的にはインターネットに書かれていた4月のARABAKI ROCK FEST.のライヴの感想、「楽しそうにみんな演奏してました」っていうのを読んで、「ああ、やってよかったな」って思ったんです。10年経って、顔をしかめて演奏しているよりは全然いいんじゃないかなって」

 

■アルバム『初恋に捧ぐ』リイシューと未発表スタジオ・ライヴ音源について

――そして、ライヴ活動再開に続き、今回、2002年8月にバンドが残した最初にして最後のアルバム『初恋に捧ぐ』が『初恋に捧ぐ プラス』として、未発表のスタジオ・ライヴ音源を加えた形でリマスター再発されるわけですが、この作品リリースの経緯を教えてもらえますか?

隅倉「当時のディレクターとは、「いつかリマスター出来るんだったらしたいよね」っていう話はしていたんですけど、今年の2月にスピッツが『おるたな』ってアルバムで「初恋に捧ぐ」をカヴァーしてくれて。そこでまた、バンドのことが話題になったので、じゃあ、このタイミングで、と思ったこと。それに併せて、改めて、未発表音源を探してみたら、西山が亡くなる4ヶ月前、2001年の年末に録ったスタジオ・ライヴの音源が出てきたので、レコード会社に話してみたら、「やりましょう」って言ってくれたこともあって、今回、リリースすることになったんです」

――このスタジオ・ライヴ音源には「こんな音源があったのか!」と正直言って驚かされました。

隅倉「このライヴ音源は、『初恋に捧ぐ』のレコーディングに入る前、大阪のバナナホールで、クリンゴンとの対バンを間近に控えて、そのライヴのリハーサルを兼ねつつ、メジャーでの活動にバンドを慣らしていくために、スタッフだけを集めて、当時、池尻大橋にあったレコード会社のスタジオで録ったものなんです。ホントはこのなかの1曲、「君の名前を呼べば」を『初恋に捧ぐ』に入れようと思ったんですけど、ミックス作業の段階で機械が動かなくなってしまったんですね。だから、「これはいま止めた方がいいのかな」ってことで、その時、収録を見送ったという経緯もありつつ」

鈴木正敏鈴木「でも、今回、改めて、聴いてみたら、自画自賛になってしまいますけど、格好良かったんですよね(笑)。荒削りで、雑な部分もありつつ、当時の記憶がよみがえるというか、自分の頭のなかで想像していたものにも近かったんですね」

――曲を続けて演奏するスタイルとか、『初恋に捧ぐ』とはまた違った当時のライヴが思い出される音源ですよね。

隅倉「自分のなかで当時のライヴはもっとグチャグチャな印象だったから、このライヴ音源は意外にまとまってるなって(笑)。そもそも、僕は(2000年のファースト・ミニ・アルバム)『バラード・コレクション』が出た後にバンドに加入したんですけど、加入前に観ていたライヴからしてメチャクチャだったというか、たぶん、西山がメチャクチャだったんですよ(笑)。だって、アイツ、途中で演奏を止めたりすることもしょっちゅうあったし、MCも軽薄なところがありましたからね(笑)」

――でも、そういうラフな空気感が奇跡的に音源化されているうえに、未発表曲の「Body & Soul」も収録されていて、しかも、この曲がハード・ロックであるのも驚きで。

鈴木「この曲は、ふざけて作っていたというか、ロックごっこみたいなところから始まって、「スネア・ドラムを両手で叩いてみようか」って感じで、遊びから出来上がっていったんですよね」

隅倉「僕らが「涙の旅路」を提供した『Smells Like Teenage Symphony』ってコンピレーション(2002年3月リリース)があるじゃないですか? ホントはあのコンピにこの「Body & Soul」を入れたいねっていう話をしてたんですよ。というのも、他の曲と明らかに毛色が違いますし、スライド・ギターを入れたり、ロック遊びを極めてみるのもいいかもねって。でも、(コンピレーションを企画していたプロデューサーの)竹内(修)さんから「「涙の旅路」でお願いします」って言われて、あえなく却下されたという(笑)」

――このスタジオ・ライヴも同じく10年が経ってますが、録った時の様子は覚えています?

隅倉「当日、ドラムテックやギターテックの方々にチューニングなんかでサポートしてもらっていたのに、何故か、ベースだけ何もやってもらえなかったんですよね」

鈴木「それはベースがバッチリだったからだよ。あの日は……というか、そもそも、ゲネプロって呼ばれる本番に見立てたリハーサルが何なのかすらよく分かってなかったんですよ。そんな感じでぼやーっとしてたというか、テンパっていたというか。周りは全く見えてなかったから、緊張してたのかもしれないですね。大体、本番を想定したライヴ・リハーサルといいつつ、体育館みたいなスタジオにぽつんとバンド3人が寂しい感じで演奏しているうえに、その場にいるのは、全く知らないレコード会社のスタッフがノってるわけでもなく、何も言わずに観てるだけでしたから」

隅倉「そんな状況でこちらも淡々と演奏するだけ……」

鈴木「しかも、この録音は、僕らが緊張しないように、録音していたことは終わってから知らされたんですよ」

――通常のライヴ盤というのは、演奏者が録音していることを意識したプレイが作品になっていることがほとんどだと思うんですけど、この音源は、ライヴとはいっても実際のライヴとは全く異なるうえに、録音を意識していない自然体の演奏が収められた特殊なものなんですね。

隅倉「そう。実際のライヴのように、テンションがアガってるわけでもなく、リハーサルみたいにユルくやってるわけでもなく。実際のライヴとは違う緊張感がいい形で反映されているように思いますね」

 

■10年越しで明かされるアルバム『初恋に捧ぐ』制作秘話

――そして、このスタジオ・ライヴの後に、のちに『初恋に捧ぐ』という形でまとめられることになるアルバムのレコーディングが始まります。そして、西山くんの死を乗り越えて、2002年8月21日にアルバム『初恋に捧ぐ』はリリースされるわけですが、この作品の制作にまつわるお話はこれまでほとんど語られてきませんでしたよね。まず、インディーズからメジャーに移行するなかで、バンドが向かった先というのは?

鈴木「僕個人としては、音楽に専念出来ることが信じられないっていう気持ちだったというか、ただのロック少年でしたよね。何も考えずにただ浮かれていたというか……」

隅倉弘至隅倉「うん。バンドとして、どうしようってことはほとんど考えてなかった。それよりも、持ち曲がなかったので、(2001年8月リリースのファースト・シングル)「Untitled」を出した後は、とにかく曲を書いて、出来たら、ライヴで演奏していこうっていう流れがあって。そんななか、西山が「この曲をアルバムの最後の曲にしようと思ってるんだよね」って言って、リハーサルをやった曲があって。それは残念ながら、音源に残すことは出来なかったんですけど、西山の頭のなかでアルバムに関して考えていたこともあったでしょうし、アイツのことだから、口からでまかせみたいな感じでたいしたことは考えていなかったような気もしますけど(笑)。そもそも、西山は曲を作るのが遅かったんですよね。だから、俺が「とにかく何でもいいから曲を作ろう」って、西山の尻を叩いた時があって、そこから、どんどん曲が生まれるようになっていったんです」

鈴木「しかも、がんがん新曲が出来て、どんどん更新されていくなかで、曲によっては西山のなかで「もういいや」ってことになるものも多かったり、曲の構成は3人でリハーサルをやりながら作ったものも多かったですね」

隅倉「「真夏の夜の事」なんかはAメロとBメロしかなかったのに、西山は「いい感じの曲が出来た」って言ってて。でも、あまりに地味だったから(笑)、「サビを付けようよ」って説得して、西山がリハーサル・スタジオが考えて作ったんですよね。逆に「good-bye」はAメロとサビしかなくて、「こんな美味しいところしかない曲はダメだからBメロを考えて」って言って、ケンカになったことも覚えていますね(笑)」

――当時の西山くんには曲がどんどん出来る多作家という印象はないんですけど、「どんどん曲を作ろう」ってことになって、実際、それは可能だったんですか?

鈴木「だから、完成した曲ではなく、断片ですよね。そうした断片をどんどん持ってくるようになったので、その先は3人でその断片をつなぎあわせるべく、頭を付き合わせての作業でしたね。それと並行して、歌詞も西山が考えていったんですけど、それもライヴで演奏しながらどんどん変わっていって」

隅倉「唯一、昔からあった「罪の意識」という曲は、僕が「レコーディングしたい」って言ったら、最初、西山はいい顔しなくて、「やるんだったら歌詞を書き換えるよ」って。だから、スタジオ・ライヴの「罪の意識」は書き換えている過程のヴァージョンなんですよ」

――では、2001年秋の段階では、まだ手探りな部分が大いにあったと。

鈴木「そうですね。その作業が僕にはすごく楽しかったんです」

隅倉「先行きが見えなかったので、僕はすごくイライラしてましたけどね(笑)。でも、そんななか、10月には「NO POWER!」、「touch」、「涙の旅路」、「真夏の夜の事」のデモを録って。さらに「初恋に捧ぐ」は「これがファースト・シングルだったら、バンドとして物語があるようで格好良くない?」ってことで持ってきてリハを繰り返しつつ(笑)、「good-bye」も弾き語り中心で録ったのかな。ちょうど、その頃あたりから、(Hicksville)の木暮さんがプロデューサーとして加わることになって、スタジオでアイディアをもらいながら一緒に作業するようになったんです」

――そして、アルバム『初恋に捧ぐ』に収録された8曲は西山くんが亡くなるまでの間にどの程度まで作業が進行したんですか?

隅倉「録音してあったのは「初恋に捧ぐ」と「涙の旅路」ですね。それ以外の曲、「真夏の夜の事」と「NO POWER!」「touch」、「罪の意識」は10月に録ったデモをもとに、西山が亡くなった後で音を足して。それから「nothing」と「good-bye」はデモの歌を活かして演奏を差し替えました」

――そして、レコーディングに着手していた3月2日に西山くんは亡くなってしまうわけですが、その時点で2人の判断でその後のライヴやレコーディングを中止にすることも当然出来たわけですよね?

隅倉「出来ましたね。でも、ライヴを中止しなかったのは、対バン相手が西山と縁が深かったということもありつつ……」

鈴木「自分としては、納得がいかないっていう思いがあったというか」

隅倉「アルバムに関しては、スタッフを交えた話し合いのなかで、「すでにデモで録り貯めていたものと、ここから新たに録り直すものも含めたらアルバムとしてリリース出来るけど、どうする?」っていう提案に対して、「せっかくだから完成させたい」って思ったんですよね」

――突然、メンバーが一人いなくなってしまった状態でのライヴやレコーディング、2人が置かれていた特殊な状況や心境を含め、どんなことを覚えていますか?

鈴木「スタジオのある目黒川に桜が満開に咲いていて、「自分はこんなにヘコんでるのに、桜は咲くんだな」って。それから「真夏の夜の事」のレコーディングをレコード会社のデカいスタジオでやった時、10人を超えるストリングス隊が録音を始めた瞬間からどうにも涙が止まらなかったことやずっとヘコんでいた自分にみんなが気を使って話しかけてくれていたこと……それ以外は記憶があまりに断片的で上手く言葉にならないですね」

隅倉「いま振り返ると、あの時は半ば放心状態だったというか、「この先、どうなるんだろう」って考えながら、西山がいないことに対して、気持ちのやり場がなくて、「ふざけんな」って思っていましたね。と、同時に「とにかく、ちゃんとやろう」とも思っていたし、色んな思いが渦巻いていて、とても冷静な状態とはいえなかったです」

――そんななか、さらにアルバムをどうまとめるかという課題もあり。結果的に、3人組バンド、初恋の嵐はキーボードやストリングスなど、3人以外の楽器も入れてアルバム『初恋に捧ぐ』を完成させましたよね。

隅倉「そうですね。当初から西山やスタッフを含めた話し合いでそういう方向性は決まっていて、デモの段階から仮でストリングスやキーボードを入れてもらったり、延々とああでもないこうでもないって試行錯誤をしていたし、アレンジのアイディアに関しては、それぞれの曲で西山が口にしていたアイディアを覚えていたので、それを曲に反映させていったんです。もちろん、そこには西山がいないわけだから、どの地点が曲の完成形なのかは誰にも分からなかったんですけど、西山のなかにもそこまで完成形のイメージはなかったというか。彼が初恋の嵐と並行してやってたコモンビルってバンドがカントリー・ロックっていう明確なコンセプトがあったので、初恋の嵐は歌もののロック、ポップスが出来ればいいっていう大きな枠組みで捉えていた節もありましたし」

鈴木「要所要所で彼がやりたかったことはあったんですけど、彼のなかで完成形のイメージがなくて、その部分は僕ら2人に任せてくれてたところも多かった。だから、制作現場にいるみんなが納得出来る瞬間を目指して、作業を続けた結果が『初恋に捧ぐ』というアルバムなんです」

 

■ワンマン・ライヴ「Storm of Last love」に向けて

初恋の嵐

――そして、2002年の『初恋に捧ぐ』リリースから10年。活動休止期間だったり、今回のリリースを期にバンドと出会った、出会う人も少なくないと思うんですけど、お二人がそうしたリスナーに西山くんのこと、そして彼の音楽や才能を説明するとしたら?

鈴木「学生時代はひたすら面白いことを言ってたのをよく思い出すんですけど、彼は……軽薄な男ですよね(笑)。そして、その軽薄さというのは、シリアスなものを持っていたからこそだと思うんです」

隅倉「僕もバンド加入以前からつるんで遊んでいたんですけど、加入後はそれ以前の印象が変わって、「あ、シリアスな部分も持っている人間なんだな」って思うところは確かにありましたね。そして彼の才能は、ただ単に曲がいいっていうことではなく、メロディに対する言葉の乗せ方と歌い回しのマッチングは彼の音楽における強い説得力になっているし、大きな特徴だと思うんです。別の誰かが同じメロディに違う歌詞を違う歌い方で乗せても、恐らくはつまらないものになるだろうなっていう曲が初恋の嵐には少なくないと思うんですね」

鈴木「当時、彼の家に遊びに行ったら、段ボール何箱分ものデモテープがあったんです。恐らく、そのほとんどは曲の断片だったと思うんですけど、その曲の断片を作っては聴いて、作っては聴いてっていうことをやっていたかと思うと、鬼気迫るものがあるというか。だから、メロディと歌詞の乗せ方やその歌い回しの素晴らしさは、元々持っていた才能でもあると思うんですけど、彼なりの研究や鍛錬の末に自分でものにしていったものであることも確かなんですよ」

――そして、今回、『初恋に捧ぐ プラス』のリリース後、昨年9月から続けてきたライヴは11月29日のSHIBUYA-AXと 12月1日の神戸国際会館のワンマンに向かっていきますよね。

隅倉「そもそも、2002年に『初恋に捧ぐ』をリリースした後、僕ら2人は初恋の嵐っていうバンドを続けていくつもりはなかったんですね。でも、こうやって機会を与えてもらって、ここまでやるだけはやってきたというか。この10年間、初恋の嵐は自分の中心にはあったんですけど、そうであったからこそ、自分のなかでけじめがつけられないままここまで来てしまったこともあって、その2本のライヴを自分のなかでの一区切りにしたいし、そうなるといいなって」

鈴木「去年9月から何度もライヴをやらせてもらってきて、今後も初恋の嵐のことは考えていくんだろうけど、西山のことばかり考え続けるのはさすがにヘヴィーなので……だから、年末のライヴでバンドを完成させる。そうすることで、頭の真ん中から片隅に移すことが出来る……のかな。そうはいいつつ、また戻ったりもするんだろうけど、今の気持ちとしては、このワンマンをやらなければ気が済まないんですよね。だって、この10年、ライヴをする機会がなかったですから。その間の思いを鳴らす機会を今回作ってもらったわけだから、そこに全身でノっていけば、西山のことを考えないで済むのかな」

隅倉「まぁ、そんな当事者の思いはともかくとして、今回、『初恋に捧ぐ プラス』で初恋の嵐を知って、真っ新な気持ちでライヴを観てもらうのもいいですし、10年前から不幸の象徴のようなバンド(笑)を聴いてくれていた人が「あ、なんか違うかも」って感じで思ってくれるのもいいですし。まぁ、でも、僕らがやってるのは音楽なので、なにはともあれ、まずは音を楽しんでもらいたいですね」

インタビュー・文:小野田雄 / 撮影:西槇 太一

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2012年6月27日発売
初恋に捧ぐ プラス【CD】
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6月27日NHK-FMにて特番決定

■『ミュージックプラザ~アーティスト特集 初恋の嵐~』
6月27日(水)後4:00~5:20
リリースされたばかりの「初恋の嵐」のリマスターアルバムと幻のスタジオライブ音源をたっぷり紹介。
→詳しくはこちら

■『「初恋」未だ覚めず』
8月17日(金)後10:00~前0:00
→詳しくはこちら

Hatsukoi _live 01
■07.07 (SAT)「SOU-FES」 @日比谷野外大音楽堂
■08.10 (FRI) RISING SUN ROCK FESTIVAL 2012 in EZO @石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ
■08.30(THU) FLY LIKE AN EAGLE @渋谷公会堂

初恋の嵐ワンマンライブ Storm of love

2012年11月29日(木)SHIBUYA-AX
OPEN/START : 18:00 / 19:00
TICKET : 1F立見 ¥4,500(D代別)
INFO : SOGO TOKYO (TEL : 03-3405-9999)

2012年12月 1日(土)神戸国際会館こくさいホール
OPEN/START 17:15 / 18:00
TICKET : SS1 ¥7,000(1F最前列) / SS2 ¥6,000(2F最前列) / S ¥5,000 / A ¥4,500
INFO : 清水音泉 (TEL : 06-6357-3666)

キャッシュバックサービスあり
18歳・高校生以下、学生証もしくは身分証明書持参で、お1人様¥500キャッシュバック。
【大学生、専門学生、18歳以上社会人の方は、対象外となります。】
※神戸国際会館に関しましては、A席の方に限ります。

6月27日~7月10日の期間にて、先行抽選販売受付中
詳細は、下記、URLにて確認下さい。
http://l-tike.com/stormoflastlove/

初恋の嵐 オフィシャルサイト
http://hatsukoinoarashi.com/