BIOGRAPHY

FARYL ファリル


“ファリル”ことファリル・スミス(Faryl Smith)は、1995年7月23日、英国ケタリング生まれ。彼女は歌が上手な、どこにでもいる学生だった。それが、ある瞬間を境に、全英で放映されているテレビ番組の観客の前で、”キミは文字通り百万人に一人の存在”で”無類の才能を持っている”と絶賛された。

そうして13歳の歌姫ファリルは、ITVで放映されている”ブリテンズ・ゴット・タレント”シリーズ2のファイナルまで残り、イギリス中のお茶の間を席巻するようになった。女学生としては、いまだかつてない破格のレコード契約を結んだファリルにとっては、プラチナ級の価値がある支持といえる。

2008年はファリルにとって忘れられない年になったが、これから何回も経験することの第一歩であったに過ぎない。通常”ブリテンズ・ゴット・タレント”の出演者は、一躍タレントとして人気が高まるが、当初の熱気が収まるにつれ、大部分のオーディション通過者の人気は消えてしまう。しかし、ファリルが特別な運命を持っていることだけは明らかだった。

彼女は今でもノーサンプトンシャーの学校に通う普通の女の子で、州大会で優勝したサッカー・チームのライトバックとして活躍している。しかし、彼女はスーパースターとして輝くためにも時間を捻出しなくてはならなくなってきた。

しかし、それを不安視している人は誰もいない。感情を伝える彼女の声はもちろんだが、審査員と観客はファリルが驚くほど冷静で成熟していた点に一番驚いていた。本当はテレビ・カメラの前で歌うことに緊張していたとしても、決してそうは見えなかった。

「確かにステージに出る前は、緊張するわ」と認める彼女だが、「でも、ステージに立って歌い始めると、大丈夫なの。きっと気が散っちゃうから、できるだけ観客席は見ないようにしているわ。壁の一点とかを見るようにしているの」。

その若さにも関わらず、ファリルは”ブリテンズ・ゴット・タレント”の輝かしいスポットライトに照らされる前に、すでにいくつかの関門を、その度胸と才能で潜り抜けてきた。10歳のときには地元ノーサンプトンシャー州ケタリングで開催されたアイステッドフォッド(音楽祭)で3つの賞に輝き、その後はランゴスレン・インターナショナル・ミュージカル・アイステッドフォッドの10~15歳の部門で優勝した。2007年11月には、グラスゴーで開催されたFestival 4 Starsのファイナルにも進んだ。

「応募するだけして、出たところ勝負なの」と、彼女は肩をすくめて笑う。「私は経験を積むためにやっているだけなの」。


その言葉は、ファリルの尊敬の的であり、姉のような眼差しで彼女の成長を見守ってきているキャサリン・ジェンキンスからもらったアドバイスと完全にシンクロしている。

「キャサリンには間違いなく、とても影響されているわ」と、ファリルは語る。「彼女の歌もいくつか歌っているの。彼女は完璧なのよ。キレイだし、いろいろな人に訴えかける力があるし、何もかも持っているの。実は”ブリテンズ・ゴット・タレント”に出場する前に、彼女に出会ったの。”可能な限り、いろいろなコンペティションに参加して、いろいろな人と出会いなさい。それが自信につながるわ。そこから何かが始まるかもしれないのよ”って言ってくれたの。その言葉どおりになったわ、最高のアドバイスね!」

突然有名になったにも関わらず、ファリルはプリマドンナ的な振る舞いをし始める必然性はまったく感じていないそうだ。

「威張り散らすスーパースターにはなりたくないわ」と、彼女は決意を込めた口調で語る。「私は小さな町の出身だし、そういう態度を取るつもりはないの。友だちは今でも変わらずに接してくれるわ。私を有名人扱いしないし、みんなとても応援してくれているの」。

地に足を着けた生活を送りつつ、飛び立つときは高く飛べるようにと、彼女の家族も支えている。両親のリンダとトニーは、お互いに音楽的才能はないと認めるものの(「まったくないわ!」と、ファリルも笑う)、彼女が幼いころから進むべき道へと慎重に導いてきた。

リンダは、ファリルの音楽的才能を「ウェールズのラジオ番組で歌い、いくつものコンクールで優勝した」曾祖母からの遺伝だと確信している。曾祖母は95歳の今も健在である。

「私の祖父はウェールズ人だから、私にもウェールズの血が流れているの」、ファイルはいう。「私の家系にはハリー・シーコム(Harry Secombe)もいるのよ。たぶん音楽的なものが何世代かを飛び超して、私に出てきたんだと思うの」。

サー・ハリーのおぼろげな影響がどれほどかは図りかねるが、現実に即していえば、ファリルは聖歌隊で何年も歌ってきた経験がある。地元の教会の聖歌隊の一員であるだけでなく、素晴らしい実績を挙げているケタリングのMasquerade Youth Choirの正式メンバーでもある。

「聖歌隊は毎年ランゴスレンに行くんだけど、今年は私たちが優勝したの。BBCラジオ3の聖歌隊コンテストでは今年はファイナルまで進んだのよ。それにLast Choir Standing(BBCテレビ)にも出場するところまでいったんだけど、割かなくてはいけない時間が多くなりすぎるし、プレッシャーも重過ぎるだろうからって聖歌隊の先生が心配して、出演を辞退することになったの」。


聖歌隊での経験は、彼女の声と選ぶレパートリーに重要な役割を担っている。「聖歌隊はコンテンポラリーな歌やバラードも歌うけれど、基本はクラシックなの」と、彼女は説明する。「歌の先生は、私の年齢を考えて、最初はショーで使われた歌とかを教えてくれたけど、その後はクラシックの歌に移行していったわ。聖歌隊に参加していなかったら、ソロ歌手として歌おうとも思わなかったんじゃないかしら。参加していたからこそ、自分の魅力が引き出されて、いい声を持っていると知ったの。でも、聖歌隊のなかで歌っているときはソロではなく、あくまでもグループの一員なのよ」。

ファリルは音楽の知識をさらに深めるべく、ピアノも学んでいる(時間が足りなくて、ギターは諦めたという)。「ピアノを始めてから、かなり音楽のことがわかるようになったの」と、彼女は正直に語る。「歌うときやレコーディングに、とても役立つわ。ほかの人が四分音符だとか八分音符について話し始めても、何を言っているのか、少しはわかるようになったんですもの」。

演劇も含めたスケジュールが詰まっているなか、彼女は地元の少女サッカー・チームにもできるだけ参加するように頑張っている(「私はかなり強いのよ、人を押しのけて進むんだから」)。

スミス家にとって、サッカーはかなり重要な位置を占め、兄シーア(Shea)が熱狂的ファンであるだけでなく、父は地元のユース・サッカー・クラブの会長を務めている。「私はマンチェスター・ユナイテッドを応援するように育てられてきたのよ」と、ファリルはいう。「そうしなきゃいけなかったの。もしリヴァプールを応援しようものなら、絶対家から追い出されていたわ」。

それらをすべて行いながら、彼女は一瞬でも時間ができれば、ショッピングに費やしている。

「そうよ。もし時間があれば、絶対にTop Shopに駆け込んでるわ。でも、お洋服をたくさん置いている素敵な店だったら、どこでも好きよ。お手ごろ価格の洋服も好き。Primarkは、かなりいい品揃えよ。兄のシーア(Shea)は配管工見習いだから、そのうちお金をたくさん稼いでもらって、ショッピングに連れて行ってもらうの!」 すでに数百万ポンドのレコード契約を結んだ彼女の兄が、妹のショッピング代を負担する必要はないだろう!