BIOGRAPHY

Dianne -reeves

1956.10.23、デトロイト生まれる。キーボード/プロデューサーのジョージ・デュークは親戚。 まもなくコロラド州デンバーに移り8才からピアノ、12才からヴォーカルのレッスンを受ける。 15才の時、叔父のベーシスト、チャールス・バレルのバンドのヴォーカルとして初めてプロ活動。 続いてハイスクール・バンドで活動し、17才の時シカゴのアマチュア・コンテスト優勝、トランペットのクラーク・テリーの目にとまる。 75年、クラーク・テリーのバンドに加わって本格的なプロ・デビュー。 高校卒業後、コロラド大学で一年間ジャズを専攻、ついで76年LAに移りカリフォルニア芸術大学入学。 77年、人気フュージョン・グループ カルデラ の「スカイ・アイランド」に参加。初レコーディングを経験。同年ビリー・チャイルズと共にフュージョン・グループ フリーフライト 結成。ビリーは後にダイアンの伴奏ピアニストとなる。 80年、セルジオ・メンデス・グループで一年間活動しワールド・ツアーを経験。 81年、LAのパロ・アルト・レコードからデビュー・アルバム発表。 83~86年、ハリー・ベラフォンテのグループで世界各地をツアー。この間の83~85年はNYに住み、本格的なジャズ・シンガーとして起つべく充電。 85年、プレイボーイ・ジャズ祭に出演し、ボビー・マクファーリン、ジョン・ヘンドリックス、ジャニス・シーゲルと共演。 86年、LAに戻り、ビリー・チャイルズを伴奏者にジャズ・クラブ出演などの活動。 同年暮れ、社長ブルース・ランドヴァルと出会いブルーノート・レコードと契約。 87年6月、JVCジャズ祭のブルーノート・ナイトで本格的なNYデビュー。 同年8月、MT.Fuji・ジャズ祭出演。直後の9月ブルーノートからのワールド・デビュー・アルバム「ダイアン・リーヴス」発表。 89年、ペプシ缶コーヒー フリーダム TVCFに出演。この曲が収録された「ニアネス・オブ・ユー」は大ヒット。単独日本公演も大成功する。 その後も定期的にアルバムを発売、来日コンサートを続ける現代女性ジャズ・ヴォーカルの第一人者。2001年1月に発表した「ザ・コーリング~サラ・ヴォーンに捧ぐ」は最高傑作の呼び声高い。 2001年、グラミー賞 THE BEST JAZZ VOCAL PERFORMANCE受賞。 2004年、「リトル・ムーンライト」で3作連続、4度目のグラミー賞 ベスト・ジャズ・ヴォーカル・アルバム 部門を受賞。