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本名レジー・ノーブル。ニュージャージー州ニューアーク出身。レッドマンの名は、幼少のころに雪合戦をして遊んでいた際、 顔面に雪玉をくらったレッドマンの顔を見て幼なじみのトレッチ(ノーティ・バイ・ネイチャー)が名付けたという説があるが、 真偽のほどは定かではない。 クラブDJだった叔父の影響もあり、10歳で既に母親から2台のターンテーブルを買い与えられていたレッドマンは、 16歳のときに後のローズ・オブ・ジ・アンダーグラウンドのメンバーらと共に1, 2+3なるグループを結成、 本格的な活動をスタートするものの、約1年半で解散してしまう。レッドマンが転機を迎えたのは1980年代後半、 地元ニューアークのクラブ「Sensations」でDJをしていた際、友人を通じて偶然遊びに来ていたEPMDの面々と話す機会を得ることに成功。 フリースタイルを披露したレッドマンは即座に気に入られ、後日EPMDのショウにも出演、彼らと連絡先を交換する。 その後、ドラッグの売買に手を染めていることが母親に発覚、家を追い出されたレッドマンは、エリック・サーモンの家に転がり込み、 居候生活を開始。エリックの荷物持ちとして働きつつ(K・ソロのDJを務めたこともあるそうだ)、 ヒップホップ・ビジネスの何たるかを徹底的に叩き込まれていった。 1990年には念願叶ってEPMDのアルバム『ビジネス・アズ・ユージュアル』収録の“Hardcore”で、 その印象的な声を初めてレコードに刻み付け、1992年にはついにデビュー・アルバム『ワッツ?・ジー・アルバム』をリリース。 “Blow Your Mind”“Time 4 Some Action”“Tonight's Da Night”などのスマッシュ・ヒットを含むアルバムは ゴールド・ディスクに輝き、レッドマンはTHE SOURCE誌のトップ・ラップ・アーティストに選出された。 以降、1994年の2ndアルバム『DARE IZ A DARKSIDE』、1996年の3rdアルバム『マディ・ウォーターズ』と立て続けに ゴールド・ディスクを獲得。1998年末の4thアルバム『ドックス・ダ・ネーム2000』では“Da Goodness”と “I'll Be Dat”のヒットも手伝ってプラチナム・ディスクを手中にし、ミリオンセラー・アーティストの仲間入りを果たしている。 最新作は2001年リリースの『マルプラクティス』。また、1995年の“How High”での共演を皮切りに、 アルバム『ブラックアウト』(1999年)へと発展していったメソッド・マンとの名コンビネイションは、 両者を主演に据えた映画『How High』にまで達し、今後の展開が注目されるところだ。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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