BIOGRAPHY

CYBERNAUTS


Cyber 01■DEF LEPPARDのルーツを明らかにするプロジェクト  
 1980年代のはじめにシーンに登場したDEF LEPPARD。80年代、90年代を通して、常にロック・シーンの最前線に位置している彼らの音楽的なルーツは間違いなく70年代のブリティッシュ・ ロック。メンバーがティーンエイジャーだった頃にヒットしていた英国産のロック・ミュージックであることは疑う余地もない。
 特にバンドの中心人物であるジョー・エリオットはインタビューでことあるごとに、70年代前半、パンク・ロックが台頭する以前にイギリスばかりでなく世 界を席巻した妖しく派手なムーヴメント、グラム・ロックからの影響を公言してはばからないのである。
 グラム・ロックはロンドンを中心に70年代の初頭に興ったムーヴメントである。それまではサイケデリックがかったフォーク・ロックをプレイしていたティ ラノザウルス・レックスのマーク・ボランがアコースティック・ギターをギブソン・レスポール・ゴールド・トップに持ち替え始めたT REX、その中性的な風貌から大きく頭角を現し始めていたデイヴィッド・ボウイという二人の中心人物を核として大きな盛り上がりを見せたグラム・ロック は、モット・ザ・フープル、スレイド、スイート、ゲイリー・グリッターといったヒットメーカーを巻き込んで73年頃にはイギリスの音楽シーンの動向を左右 する巨大な流れとなったのである。
 派手な化粧、スパンコールやラメをふんだんに使った退廃的な衣装、そして艶やかなメイクアップ。グラム・ロックにはそれに対してシンパシーを抱く抱かな いを別にしてもすべての音楽ファンに大きなインパクトを与えたことは間違いない。そして、それはシェフィールドのごく普通の家庭に育ったジョーにとって、 彼の人生を変えてしまうほどの大きな出来事だったのである。
 そしてフィル・コリンにとってもそれは同じである。彼がDEF LEPPARD加入前に参加していたバンド、GIRLは時代的に見ても最後のグラム・ロック・バンドだったと言っても過言ではない。世界的かつ記録的な成 功を収めたDEF LEPPARDのルーツがグラム・ロックにあったことは彼らの発言や活動から明らかなのである。

■夭折したグラム・ロックの星に祈りを込めて  
 ジョー・エリオットの言葉を借りると、グラム・ロック・シーンにおいて、T REXの果たした役割と故マーク・ボランが残した数々にヒット曲の与えたインパクトなくしてグラム・ロックは語れないが、グラム・ロックを後世まで残る大 きなムーヴメントになる決定的なインパクトはデイヴィッド・ボウイによって与えられたのだそうだ。そして、ジョー・エリオットにとってのデイヴィッド・ボ ウイの真骨頂は彼がジギー・スターダスト、アラジン・セインを名乗っていた頃にあるという。
 現在も第一線で活躍するデイヴィッド・ボウイだが、彼の活動は時代ごとに変化しておりその時代ごとに多くのヒット曲を持っている。しかし、ジョー・エリ オットにとってのデイヴィッド・ボウイはグラム時代、スパイダース・フロム・マースというバック・バンドを率いて、デイヴィッド・ボウイ同様にグラム・ ロックのスターだったミック・ロンソンという不世出のギタリストを擁しての活動が最も強いインパクトをもっているのである。
 DEF LEPPARD(というよりもジョー・エリオット)のミック・ロンソンというギタリストに対する思い入れは強い。92年に発売されたアルバム『アドレナラ イズ』からの1 stシングル「レッツ・ゲット・ロック」のシングルをリリースする際、シングルのB-トラックに彼のソロ・アルバムからのナンバー「オンリー・アフター・ ダーク」をカヴァーしてレコーディングしているのだ。この頃ミック・ロンソンは闘病生活に入っており、DEF LEPPARDは彼らのヒーローを救済すべくこの曲をレコーディングしたのである。
 しかし、DEF LEPPARDをはじめとする多くのファンの願いもむなしくミック・ロンソンは彼の最後のソロ・アルバムとなった『ヘヴン・アンド・ハル』の発表と前後して他界してしまったのだ。
 ジョー・エリオット、フィル・コリンというDEF LEPPARDのメンバー2人とトレバー・ボールダー(b)、ウッディ・ウッドマンゼイ(ds)という元スパイダース・フロム・マースのメンバーからなる プロジェクト、サイバーノーツはミック・ロンソンを偲んで行われたミック・ロンソン・トリビュートの際に結成されたのをきっかけにスタートしたのである。

■2O世紀最後のパーティ・バンド!  
「サイバーノーツはミック・ロンソン・トリビュートの時のスペシャル・バンドとして組まれたんだけど、やってみたらあまりの良さに一回だけのプロジェクト にしておくのはもったいないと思ってさ、みんなの意見も同じだったんで定期的にやっていくことにしたんだ」ジョー・エリオットのやる気が他のメンバーを動 かしサイバーノーツはDEF LEPPARDの多忙なスケジュールを調整しながら短期のツアーを繰り返してきたのだ。
 このツアーの模様はレコーディングされ、作品化されることになった。デイヴィッド・ボウイのアルバム『屈折する星くずの上昇と下降そして火星から来た蜘 蛛の群』、『アラジン・セイン』のからの楽曲を中心としたセットのライヴは圧倒的な興奮度を持った、DEF LEPPARDのメンバーならではの迫力だが、メジャーのディストリビューションを通じてではなく、世界的にはジミー・ペイジ&ブラック・クロウズのライ ヴ・アルバムのようにインターネットを通じて販売される。しかし、日本のみ12月にユニバーサルを通じてリリースされ、イギリス国内のみの活動しか行って いなかった彼らがついに来日することが決まったのである。2001年1月8日(祝・月)横浜ベイホールを皮切りに1月9日(火)SHIBUYA-AX、1 月11日(木)名古屋クラブクアトロ、1月12日(金)梅田ヒートビートで初の国外公演が行われるのだ。