BIOGRAPHY

クロード・フランソワ(1939年2月1日 - 1978年3月11日)は、フランスの歌手にして、作詞・作曲者、音楽プロデューサー。1960年代から1970年代にかけてのフランスで最も人気があるアーティストのひとりであった。

フランス生まれの父とイタリア生まれの母のもと、エジプトに生まれた。エジプトで親しんだ音楽は、その後彼の作曲に影響を与えることになる。

父はスエズ運河で働いていたが、1956年のスエズ運河の国有化により、彼の家族はフランスのコート・ダジュールに転居した。さらにパリに移った彼は、「美しい娘たち」(エヴァリー・ブラザーズの歌のフランス語カヴァー)で、歌手としての最初の大きな成功をおさめる。1967年にフランス・ギャルとの仲が破局したのち、彼の代表曲のひとつ「いつものように(Comme d’Habitude)」を制作する。この作品をテレビを通じて知ったポール・アンカは、新たに英語の歌詞を書き下ろし、それは1969年にはフランク・シナトラが歌う「マイ・ウェイ」として世界的にヒットし、またエルヴィス・プレスリーや、後にはシド・ヴィシャスらによりカヴァーされた。1970年代に入ると、彼は自分の作品ばかりではなく、多くの英米の音楽市場でのヒット・ソングをカヴァーしてフランスに紹介した。一方で、彼の歌「愛しているから、わが子よ」は英語詞がつけられエルヴィス・プレスリーにより歌われた。彼のアルバム『涙の電話』(1974年)は発売後数週間で200万枚以上を売る、彼の生涯における最大の商業的成功作となった。彼は生涯で500曲以上の歌を残した。

1967年には自身のレコード会社であるフレッシュ (Fleche) を設立。また音楽雑誌「ポディュム(Podium)」も創刊し、当時人気の「サリュ・レ・コパン(Salut Les Copains)」と人気を競った。