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<ライヴ・レポート>カルメン・マキ45周年記念VOL.1

歴史が動いた夜

カルメン・マキ45周年記念VOL.1
~ONE NIGHT STAND~ROCK SIDE
2014年11月25日 @LIQUID ROOM

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それはまさに歴史が動いた光景だった。
 漆黒の衣装に身を包んだカルメン・マキは、うつむき加減でステージに立ち、ボクたちオーディエンスと、マイク・スタンドを挟んで対峙していた。
 張り詰めた緊張感のなか、その空気を切り裂くように、CHARのストラトキャスターがリズムを刻む。ドラムは、カルメン・マキ&OZの初代ドラマーとして、カルメン・マキとは濃密な瞬間を体験してきた古田たかし。ベースには澤田浩史、キーボードにはDr.kyOnという、浅からぬ縁で結ばれたミュージシャンたちが顔をそろえている。
 オープニング・ナンバーは、それまではアンダーグラウンド・フォークの女王と呼ばれてきたカルメン・マキが、ロックという音楽に身を投じるきっかけとなった71年リリースのアルバム、『カルメン・マキ/ブルース・クリエイション』のオープニングを飾ったナンバー「Understand」だった。
 うなるようにマイクに向かって歌を吐き出すマキの視線は、恵比寿リキッドルームのフロアーで波のようにうねっている人波のうえをさまよい、そのうねりをとらえながら、古田たかしのグルーヴに漂う。
 これこそ原初のロック、しかもアメリカでもなくイギリスでもない、日本のロックの原点ともいえるサウンドが、そこに広がっていった。
「18歳のときに歌った歌でした」
 歌い終えて、そうクチにしたカルメン・マキの声が、こころなしか震えて聞こえた。観客から、大歓声が湧き起こる。リキッドルームくらいの会場ではなく、もっと大人数の会場で生まれるような大歓声に、マキの感情が動いていたのかもしれない。
 そんなカルメン・マキの背中を押すかのように、 CHARの指が短いパッセージを弾いて、空気に色を付ける。その瞬間瞬間で、どういうふうにギターの音を出せばいいのかを本能的にとらえて、的確に音を出すCHARのアプローチは、曲を演奏していないときに出す音でも、ライヴの雰囲気を作っていく重要な要素を秘めたものだった。
 その空気に後押しされたように、カルメン・マキがひとりひとりのメンバーを紹介。
「もうひとりゲストがいます。金子マリ!」
 なんと……。日本のロック・シーンの黎明期から、カルメン・マキと並んで、女性ロック・ヴォーカリストの最高峰と呼ばれ続けてきた金子マリが、ステージに進み出て、上手のマイクの前に位置する。
 これほど豪華な顔ぶれが、ひとつのステージに立っているだけで、この夜が特別なものであるという空気ができあがってくる。
 そんな雰囲気のなかでイントロが始まったのは、カルメン・マキ&LAFFとしてリリースした80年のアルバム、『LAFF』からの「ROCK'N ROLL STAR」だった。
 曲が始まるまえに、その歌詞の一説をオーディエンスに語りかけるカルメン・マキは、呪術的なオーラをまとったカリスマのようにも見えた。

 デビュー45周年を記念した今回のライヴの発端になったのは、今年5月にリリースされた『Good Times,Bad Times~History of Carmen Maki』と題された彼女のベスト・アルバムだったという。
 長いキャリアのなかで、時期によってそれぞれ違う数社のレコード会社と契約を結んで、そのつど音源をリリースしてきた彼女の、ほぼすべてのアルバムから選曲されたベスト・アルバムがリリースされたのは、音楽業界でもあまり前例のない快挙だった。
 この作品は、彼女自身が選曲をして、ライナーノーツも自身で執筆したという作品であり、デビュー当時にはアンダーグラウンド・シーンの女王と呼ばれて、劇的な要素も含んだシアトリカルなアプローチも見せていたた時代から、カルメン・マキ&OZやカーマイン・アピスとの作品、カルメン・マキ&LAFF、カルメン・マキ&5Xといった70年代中期から80年代中期にかけてのロック・アプローチ、そしてそれ以降の現在にいたるまでの道程が、3枚組に収録されているという内容の濃いものだった。
 アンダーグラウンドでシアトリカルなアプローチの作品を中心とした“青”、ロックのアプローチを“赤”、そして現在にいたるアプローチで、その両方が昇華されて入り混じったものを“紫”と位置づけて、そのすべてがカルメン・マキであるという認識を、はっきりと打ち出した見事なオールタイム・ベスト作品だった。
 この作品のリリースによって、かつてのファンだけでなく、彼女に興味を持った若い音楽ファンも、気軽に彼女の音楽に手を伸ばせるようになったのだった。
 このエポック・メイキングなアルバムをリリースしたことによって、なにかが動き出したように感じられる。その“なにか”が、いちばんわかりやすい形で具体化されたのが、この恵比寿リキッドルームでのロックサイドに特化したライヴを含む、45周年を記念する3回のライヴだった。

 しかも、日本のロック・シーンで伝説として語られているカルメン・マキ&OZが、この日に再結成されるというのは、日本のロック・シーンに興味のあるすべての人にとって、衝撃的なニュースだった。
 なにしろ、それ以前では、1997年12月29日に京都大学西部講堂で行われたコンサートで、一度だけカルメン・マキ&OZが再結成されたことがあっただけで、それから数えても、17年ぶりという再結成に、古い世代のロック・ファンも胸を熱くして、この日を待ち望んでいたのだ。
 実際、恵比寿リキッドルームのフロアーを埋め尽くしていたのは、ほとんどが50台後半から60代のオトナ世代。長時間のライヴをスタンディングで観るには、ちょっと体力に不安が残るような世代でもある。
「できれば、野音でやって欲しかったなぁ」とか、「全席指定のホールで見たい」とか、「大阪を出るときは、東京とぜんぜん天候が違ってた」、「仕事が残っていたけれど、部下にまかせて駆けつけたよ」とか、アダルトな会話が耳に飛び込んできたのも、この日ならでは。

 ステージの上では、カーマイン・アピスが在籍しているカクタスのナンバーである「Rock'N' Roll Children」 が披露された。カーマイン・アピスとティム・ボガートが2000年に来日したときに、ギタリストとしてCHARが参加して、BB&Cとしてライヴを行ったが、その際にカルメン・マキがゲスト・ヴォーカルとして加わって、ツアーを行ったことがあり、この日披露されたのは、そのときのアレンジに近い形のものだった。
 そういう意味では、ちょっとマニアックな選曲だったものの、アメリカン・ロックの名曲のグルーヴにリキッドルームは大きくどよめいた。
 この曲が持つ70年代ロック特有の余韻が残っているなか、ゲストとしてステージに呼び出されたのは、レッド・ウォーリアーズのギタリストである木暮“SHAKE”武彦だった。
 1999年に、6人のプロデューサーを迎えて制作されたアルバム『SPLIT』がリリースされた。そのときにプロデューサーのひとりとして、カルメン・マキをサポートしたSHAKEが登場してのナンバーは、やはりそのアルバムに収録されていた「1999」。
 骨太ながらマイルドな味わいを持つSHAKEのギターとCHARのギターがからみあって、空間的な広がりのあるサウンドを作っていったのが印象的だった。
 その1曲だけでSHAKEがステージを去ったあとは、2003年のアルバム『CARMEN MAKI&SALAMANDORE』からの「Lilly was gone with windowpane(我友“CISCO”に捧ぐ)」が披露される。
 詰め掛けたオーディエンスは、カルメン・マキが発散しているエネルギーを味わいつくそうと、全身を耳にして食いつかんばかりの様子で、ステージに見入っている。
 このメンバーによる第一部は、それほど長いステージではなかったが、20分ほどのインターバルの後に、第二部が開幕。
 そのステージに姿を現したのは、OZの解散後に活動したカルメン・マキ&LAFFのメンバーであり、その後もカルメン・マキ&5Xで活躍したギタリストのジョージ吾妻と、ベースの盛山キンタ。そして、ドラム・セットには、元アンセムのMAD大内が座る。
 現在でも、この3人に女性ヴォーカリストが加わった形で、5Xとしてライヴを行っている彼らだが、やはりオリジナル・ヴォーカリストのカルメン・マキが加わることで、雰囲気はガラリと変わる。
 80年代初頭のジャパメタ・ムーヴメントのなかで、ラウドネスなどと並んでムーヴメントの牽引車を勤めたバンドならではの底力が、自然に発揮されていく。
 1980年のアルバム『LAFF』からの「FLY HI FLY」をオープニング・ナンバーに据えて、1部でのキーボードを加えたロック・サウンドに較べて、4ピースのギター・バンドらしいワイルドな味わいをかもし出していく5X。
 続いて披露された「B.C.STREET」もLAFFの曲で、そのあとに演奏された「EASY COME EASY GO」は、カーマイン・アピスのプロデュースで制作された『NIGHT STALKER』からの1曲。
 このバラードは、かつてCANONのコンパクト・カメラのTVCMソングとして使われたことや、映画で使われたこともあって、カルメン・マキが世に送り出した数々の名曲のなかでも、一般的によく知られているヒット曲でもある。
 そのことを物語るかのように、フロアーのあちことから、サビのメロディを歌うオーディエンスの声が聞こえてきた。

 ここでセット・チェンジのためのインターバルが設けられていたのだが、明らかに先ほどのインターバルよりも長く、オーディエンスからは催促をうながすかのような手拍子が沸き起こる。
 期待感と興奮……。
 その緊張感が沸点まで達したときに、P.A.から吐き出されたのは、往年のライヴでもSEとして使われていた、鍵盤による「崩壊の前日」のリズミカルなカッティングだった。
 そのSEに背中を押されるようにしてステージに現れたのは、贅肉がまったくない武田“チャッピー”治(Ds)と、当時よりも貫禄を増して黒づくめの衣装に身を包んだベースの川上“シゲ”茂幸、そして頭に白いものが目立つもののシニカルな笑顔は30年まえと少しも変わらない春日博文の姿。そして、ゲストとしてキーボードの前に陣取ったのは、ムーンダンサーやVOW WOWで活躍した厚見玲衣だった。
 少し腰を落として、ベースのネックに指を這わせた川上シゲが、ブィ~~~~ンと破壊的なディストーション・サウンドをオーディエンスにぶつけてきた瞬間、ボクの頭は過大電流を受けてショートしたかのように、ホワイトアウトしてしまった。
 いわゆる「シゲのソロ」から、ベースがイントロのメロディをつむぎだす「崩壊の前日」が始まり、カルメン・マキがマイクに向かって歌いだした瞬間から、恵比寿リキッドルームはただのライヴ空間ではなくなってしまったのだ。
 かつて、日比谷野外音楽堂やライヴハウスなどで、何度となくカルメン・マキ&OZのライヴを観ていたが、その記憶ともまた違ったバンドが目の前に立っていた。 圧倒的と表現するのさえ陳腐なほどの迫力と、熟練された技術に培われた高度な演奏が溶け合って、かつての記憶を吹き飛ばすほどの凄まじい音の嵐が、轟々と鼓膜と肉体を揺さぶっていたのだ。
 この翌日になって、曲目メニューを見ることで、ようやくあのライヴを反芻することができたが、リアルタイムであの場にいたときには、とんでもない場面に自分が立ち会っているという実感と、17年という時間を経てステージに立っているバンドが、脂の乗り切った全盛期と少しも遜色のない強大なエネルギーを放っていることに、ひたすら驚き続けていたように思う。
 ただのロック・ファンだった子供のころに意識が戻りながらも、続いて披露された「六月の詩」では、まだ18歳のときに、あまりにも文学的で難解なこの歌詞を書いた加治木剛ことダディ竹千代が、その同じ瞬間に同じ空間にいて、いまステージを見つめているであろうことを思いめぐらせていた。
 愛や恋だけではない世界観で描かれていたカルメン・マキ&OZの歌詞と、ピアニシモからフォルテ・フォルティッシモまで、感情のままに声をつむぎだすカルメン・マキの表現力、その歌を効果的に押し出す緻密なアレンジによる繊細なバンド・サウンドに、ひたすら魅了されていた。
 へヴィなリフのリズムに合わせて、オーディエンスが波のように頭をを振る「閉ざされた町」では、現在の過激なライヴではあたりまえの光景になっているヘッドバンギングの原点が、日本ではこの曲にあったことを再確認させられたものだった。
 そんな激烈なライヴの終焉は、唐突にやってきた。日本のロック・シーンだけに留まらず、歌謡曲の分野をも含めた日本の音楽史のなかで、数多くの女性ヴォーカリストたちに影響を与えた名曲「私は風」のイントロが、まさに強烈な風圧を持って、恵比寿リキッドルームを駆け抜けていく。
 一瞬たりとも、その音を聞き逃す瞬間のないように、カルメン・マキ&OZというバンドの放っている強烈な輝きを見逃す瞬間のないように……。すべての人の目と耳と全神経がステージに集中していく。
 この曲が演奏されるということは、このライヴもそろそろ終盤であることは確かだが、その時間になってから、さらにカルメン・マキの声はつややかに激しく、オーディエンスの心を撃ち抜いていく。
 まさか、これが還暦を越えたシンガーのシャウトだとは……。

 すべてが終わったとき、ボク自身が放心状態におちいっていた。“スゴイものを見た、スゴイものを聴いてしまった”という言葉が、脳裏を駆け巡るばかりで、ここ10年ほどに自分が味わったライヴのすべてが、ロックと呼ぶには貧弱なものであったような錯覚さえ感じたほどだった。

 アンコールの声援のなかには、「とりあえずロックン・ロール」と、かつてアンコールで演奏されていた曲の名前を呼ぶ声も少なくはなかった。
 誰もが、自分の目と耳で触れたカルメン・マキ&OZが、もう何曲か演奏してくれることを願っていた。
 しかし、アンコールの声援に応えてステージに戻ってきたのは、カルメン・マキ&OZのメンバーたちだけではなかった。この日、カルメン・マキを支えたすべてのミュージシャンたちが、この日のエンディングを飾るために、ステージに勢ぞろいしていたのだ。
 最後に披露されたのは、1995年にカルメン・マキ&モーゼスとして発表されたアルバム、『VOICE OF MOSES』に収録されていた「いつまでも」だった。
 カルメン・マキのキャリアのなかでは、比較的最近のものとはいえ、すでに19年もの時間が流れている曲ながら、第一部のラインナップを中心としたミュージシャンたちの演奏によって、45周年の現在形としてステージに立っているカルメン・マキというロック・レジェンドにふさわしい形を整えていく。それは、カルメン・マキが、まだまだ進化系である証拠でもあった。
 最後の音の余韻が消えてから、参加したミュージシャンたちを、ひとりずつ紹介していくカルメン・マキの誇らしげな笑顔が印象的だった。
 しかし、ひととおり紹介し終わった瞬間に、ステージに背を向けて退場していくカルメン・マキ。
 その背中に向かって、春日博文が呼びかけたのが、なによりもこの日のライヴの本質と、その場に詰め掛けたすべての人の気持ちを物語っていた。

「そして、ボクたちの愛するカルメン・マキ!」

 一夜限りの祭典は、こうして過ぎていった。
ライヴのタイトルは、「カルメン・マキ45周年記念VOL.1~ONE NIGT STAND~《ROCK SIDE》」であり、カルメン・マキ&OZの再結成は、そのなかのひとつのコーナーであったわけだが、その短い時間でも、彼らが日本の歴史のなかで他に較べるものがない個性的なバンドであることが、身に染みてわかった夜だった。
 しかし、カルメン・マキという個人のシンガーとしては、今回のロックな顔だけではなく、もともとデビューしたアンダーグラウンドな世界観や、音楽のジャンルを超越した今の姿をあわせ持っていることも忘れてはならない。
 そのアンダーグラウンド・サイドの世界は、2015年2月6日(金)と2月7日(土)の2日に渡って、「カルメン・マキ45周年記念VOL.2《アングラSIDE》2days」と題されて、ザムザ阿佐ヶ谷で開催される。ゲストに、春日博文とDr.kyOnの参加も予定されていることから、もうひとつの世界でも、なにか刺激的なことが行われそうな予感がある。
 ロックなカルメン・マキが、あれほどまでに圧倒的な存在だっただけに、アングラなカルメン・マキに対する期待もふくらむばかりだ。
 そして、50周年まで、あと5年しかないのだから、いまからチケットを逃さないように、ボクたちは情報に目と耳を開いておいたほうがいいかもしれない……。

2014年12月9日 大野祥之

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写真:三浦麻旅子

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