| | CHAGE | ASKA |
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| 生年月日 : | 1958年1月6日 | 1958年2月24日 |
| 出 身 地  : | 福岡 | 福岡 |
| 血 液 型  : | B型 | A型 |
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1979
第17回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会入賞曲『ひとり咲き』でデビューする。
以後、ライブを中心にその活動を全国へと展開する。
1980
1stアルバム『風舞』をリリースし、それを引っ提げての初の全国コンサートツアー“旅立ちコンサート”を行う。誰もがライブハウスでの開催を支持したなか、新人としては異例のホールツアーを敢行した。
9月25日にはシングル『万里の河』をリリース。ロングヒットとなる。
1981
コンサートツアー“熱風”では全国約60会場をまわり、新人と思えないその歌唱力とパフォーマンスは各地のファンを魅了した。ちなみにこのツアーのオープニングは屋台崩しで幕を開けた。
1982
ツアー“御意見無用”においては、現在のCHAGE&ASUKAのライブの原点ともいえるオープニング&エンディングムービーを公開。ASUKA曰く「あの当時は人と違うことをすることが命題だった。」ふたりのキャラクターを生かしたステージングがこの時に生まれる。
1983
国立代々木競技場(第一体育館)を初めて音楽会場としてコンサートを開催。
CHAGEの名言「国の許可を取ってきたぞ!!」はこの日生まれた。
だが、ビートルズが武道館を初めて音楽会場として利用したことに比べ、この事実が語られることは少ない。この頃に“チャゲ&飛鳥”を“CHAGE&ASUKA(90年以降、ASKAと表記変更)”へと英語表記に変え、また曲作りのうえでもギターサウンドから鍵盤やコンピューターへと変わっていった。
1984
ソロ活動にチャレンジしたのもこの頃だ。CHAGEは女性ボーカリストとデュエットを、ASUKAは初のドラマ出演。ふたりの新たな可能性を垣間見られた活動だった。
1985
コンサートツアーにおいて年間34万人を動員。楽曲制作においては、打ち込みに磨きがかかり、シングル『誘惑のベルが鳴る』(CHAGE)、『オンリーロンリー』(ASUKA)はそれぞれのセルフプロデュース作品となった。コンサートツアー“SHAKIN' NIGHT”では全国約80箇所をまわった。
1986
前年のレコード会社移籍により“空白”の状態でライブを続けていた彼らは、創造熱に駆り立てられ年間でシングル4枚、アルバム3枚という数字を残す。リリースだけではなく、この年、CHAGE&ASUKAは初めての球場でのコンサートとなった横浜スタジアムに立った。年末にはロッド・スチュアートらと並び『世界紅白歌合戦』(フジテレビ)に出演。そこで得たパワーはそのまま次の作品『Mr.ASIA』へと繋がった。このアルバムは、それまで日本のシーンしか見えていなかったふたりに、世界という新たな海が広がった証である。
1987
ASUKAが再びドラマに出演する。主題歌はASUKA初のソロシングル『MY Mr.LONELY HEART』。
同時にこの年はASUKAのソングライターとしての能力が世間を席捲する。その主たるものが“光GENJI”に提供した曲の数々だった。
1988
アルバム『ENERGY』では、当初予定していたロンドンレコーディングを断念したが、イギリスからミュージシャンやエンジニアを日本へ招聘して創られたアルバム。これはCHAGE&ASUKAにとって新しい試みとなり、次回作はロンドンレコーディングで創るとミュージシャン達に約束した。
1989
CHAGE&ASUKAにとってデビュー10周年。シングル『WALK』『LOVE SONG』アルバム『PRIDE』など、後に語られることになる名曲の数々はこの年に生まれている。“CONCERT TOUR'89 ~10 years after~”では全国を周り約60本を開催。「このステージがCHAGE&ASUKAの見納めになると思って駆けつけた皆さん。誠にすみませんが、CHAGE&ASUKAは解散はいたしません!」(CHAGE)「僕らはCHAGE&ASUKAです。僕らがどうして皆さんに愛されているのか、よくわかっているつもりです」(ASUKA)。このツアーを境に約半年間に渡って活動を休止することで解散を危惧するファンに対してふたりはこれらのメッセージを残し、CHAGEはMULTI MAXを組みコンサートツアーを敢行し、ASUKAはロンドンへと向かった。
1990
CHAGEが日本を発った。アルバム『SEE YA』のレコーディングを行うためにASKAが待つロンドンへと向かった。その年の“CONCERT TOUR '90〜'91 <SEE YA> では、全国60会場のチケットは即日完売し、21万人を動員した。
1991
この1年は、CHAGE&ASKAを日本を代表するアーティストにした。その口火を切ったのがASKAのソロシングル『はじまりはいつも雨』。CMソングに起用されたこの曲は、欠品が1ヶ月以上もつづく大ヒットとなった。同時期にリリースされたMULTI MAXのシングル『WINDY ROAD』では、コンサート会場に舞う紙飛行機があまりにも有名である。シングル『SAY YES』は、社会現象を巻き起こすほどの驚異的な売上を記録し、アルバム『TREE』もそれに続いた。それぞれを引っ提げての“CONCERT TOUR '91~'92 〈SAY YES〉”では全国54箇所のホールを回り、年が明けてのアリーナツアー“CONCERT TOUR 〈BIG TREE〉”へと続いた。合計で45万人を動員。
1992
“BIG TREE TOUR”の興奮さめやまないままASKAは再びロンドンへと渡りアルバム『GUYS』のレコーディングに突入した。ほどなくCHAGEも合流し本格的に作業が始まる。前回のロンドンレコーディングと違うところは、ふたりともロンドンに家を借りてのレコーディングとなったところ。落ち着ける場所を確保していたふたりは作業に没頭。こうしてできたアルバム『GUYS』は、西洋と東洋のメロディーがミックスされCHAGE&ASKAならではのメロディアスな世界感に傑作と呼ばれるほど評価が高いものに仕上がっている。
1993
“CHAGE&ASKA SPECIAL EVENT GUYS 〜夢の番人〜”で幕をあける。直前にリリースしたシングル『YAH YAH YAH』はドラマの主題歌として起用され、再び社会現象を巻き起こした。この年の夏、ふたりはモナコへ飛んだ。モナコ音楽祭にアジア代表として出席するために。その足でシンガポールへと向かったふたりは、あまりの熱狂振りにアジアツアーの開催を決意する。秋からスタートした“史上最大の作戦 THE LONGEST TOUR '93〜'94”では、その名のとおり全国70会場をまわり、その終着点としてはアジア(香港・シンガポール・台湾)が選ばれた。日本で行ったステージングそのままを現地に持ち込んでの大規模コンサート。アジアでの公演を終えたCHAGEは「これでやっと作戦完了って言えるね」とぽつり。
1994
デビュー15周年を迎えた8月、シングル『HEART/NATURAL/On Your Mark』をリリース。富士急ハイランドを貸し切りにして“CHAGE&ASKAランド”としてFC会員のみに開放した。そこに舞い降りたのがハリウッド映画『STREET FIGHTER』への楽曲制作。エンディングテーマとして制作されたのがシングル『Something There』だった。この年、CHAGE&ASKAとしてのツアーは組まれず、MULTI MAXが“CONCERT TOUR〈Well, Well, Well〉”を開催。
1995
シングル『晴天を誉めるなら夕暮れを待て』を発表。“ASKA=バラード”という定義を打ち破るアップテンポな楽曲になった。この年はソロからCHAGE&ASKAへと活動を展開させ、アルバム『Code Name.1 Brother Sun』をリリース。そして“CONCERTTOUR SUPER BEST III MISSION IMPOSSIBLE”に突入したふたりは、翌96年の3月の香港公演までノンストップで駆け抜ける。
1996
長かったツアーを終えたふたりは休むことなく楽曲制作へ。完成された『CODE NAME.2 SISTER MOON』は、『Code Name.1・・・』の続編的アルバムとして世に発表された。このふたつの作品は、メロディーやサウンドのすべてが進化したCHAGE&ASKAを感じさせる作品である。そんなふたりが世界の桧舞台に立つときがきた。『MTV UNPLUGGED』がそれだ。アジアからは初の出演、『SAY YES』『男と女』など十数曲をアコースティックアレンジで披露。CHAGE&ASKAのパフォーマンスに、地元ロンドンっ子たちをはじめ世界中の音楽フリークの顔がほころんだ。帰国したふたりはソロ活動に突入。CHAGEはMULTI MAXとしてアルバム“Oki doki!”をリリース、“CONCERTTOUR '96~'97 〈Oki doki!〉”をスタートさせた。ASKAもまた、新たなる試みへ向けたソロ楽曲制作に入っていた。
1997
ASKAはソロアルバム『ONE』を引っ提げて、自身初となるコンサートツアー“CONCERT TOUR 〈ID〉”を開催。追加公演が組まれるほどの大盛況ぶり。それまでのASKAとは違い、ロックショーを展開してみせた。このツアーは日本を飛び出し中国・上海へも遠征。そこではアンコールでCHAGEが飛び入りして『YAH YAH YAH』などを披露した。ソロツアーを終えたASKAと楽曲制作に打ち込んでいたCHAGEは、いったんはCHAGE&ASKAを始動させようとしたが、さらなる向上を求めソロ活動を続行する意思を固めた。
1998
お互いのソロに終始した1年だ。ASKAの“CONCERT TOUR 〈kicks〉”は、当時のロックシーンに対応した先鋭感の強いステージを見せた。CHAGEは初のソロコンサートを上海でやってのけた。天性のステージパフォーマーとしての力量を存分に発揮した彼は日本武道館のステージに立つ。“CHAGE 大いに唄う in 武道館”では、アンコールにおいてASKAが登場。日本のファンの前では実に2年4ヶ月ぶりの復活なだけに、場内は異様な盛り上がりをみせる。CHAGEは初のソロシングル『トウキョータワー』、そしてアルバム『2nd』をリリース。初めて尽くしで臨んだ“CONCERT TOUR 〈Feeling Place〉”は、ASKAとは対照的なアットホームなステージとなった。新宿厚生年金会館では、公演後に客席から『トウキョータワー』の大合唱が響いた。年末には“CHAGE 1998 FINALCOUNT DOWN”と称し、カウントダウンライブを敢行。こうして幕を開けた1999年は、CHAGE&ASKAにとって結成20周年という節目であった。
1999
『この愛のために/VISION』はCHAGE&ASKAにとって約3年ぶりとなるシングルとなり、また、ふたりのなかにある“CHAGE&ASKA”を表現したように思える楽曲である。赤坂BLITZで開催した“赤坂BLITZ SPECIAL MTV PROGRAM LIVE”、日本武道館・大阪市中央体育館での“20th Anniversary Premium Live”は、日本のファンへ向けては初めてのアコースティックライブ。そこには3年半のブランクなんかもろともしないふたりがいた。
レコーディングに入ったふたりは意欲的に制作に打ち込んだ。「CHAGE&ASKAを楽しんで創れた」(CHAGE)というアルバム『NO DOUBT』はセルフプロデュースによって完成され、デビュー20周年記念日に世の中へ発表された。
地元福岡からスタートした“CONCERT TOUR 電光石火”は、それまでの豪華で大胆なステージングを一新し、シンプルで繊細な照明や音がいきわたるステージとなった。曲構成もベスト盤的な内容にはしなかった。そんななかでも『流恋情歌』『終章』『恋人はワイン色』といった名曲に新たなアレンジを施し披露。終始ギターを持ったふたりはいきいきとしていた。
国内ツアーを終えたふたりはアジアへと出た。北京・上海と渡り帰国したふたりは休むまもなくリハーサルへ入る。年末には福岡ドームが待ち構えていたからだ。カウントダウンライブとなる“千年夜一夜ライブ −福岡ドーム 僕らがホーム−”は、CHAGEソロ・ASKAソロ・CHAGE&ASKAという3部構成で組まれ、これこそまさにベストといえる内容になった。『SOME DAY』(MULTI MAX)や『けれど空は青 ~close friend~』(ASKA)、そして『ひとり咲き』(CHAGE&ASKA)など、ステージでは御無沙汰となる曲や初披露となる曲などをノンストップで唄った。ラストは新しいアレンジによる『no no darlin'』をCHAGEバンド・ASKAバンド・BLACK EYES(CHAGE&ASKAバンド)が一同に会して合唱。感動的な余韻を残しつつミレニアムイヤーへと入ったのだった。
2000
様々なことが起こった1年となる。
ASKAソロシングル『good time』は久々のバラード作品。
アルバム制作に突入した彼だが、そこに突然の話が舞い降りる。“CHAGE&ASKA 韓日親善コンサート”がそれだ。韓国政府による文化開放をうけて、白羽の矢がたったのがCHAGE&ASKAだった。レコーディングに没頭していたASKAとイベントやラジオで全国を周っていたCHAGEは、当初の予定にはなかったCHAGE&ASKAの活動へ突入した。ソロコンサートのために用意されていたリハーサルの半分を韓国公演のためにスライドさせ、8月26日・27日、韓国のステージに立った。ラスト曲『On Your Mark』では、万感の想いを募らせたASKAが涙ぐむというシーンもみられた。
歴史的な公演を終えたふたりは帰国し、CHAGEは楽曲制作へ、ASKAはソロコンサートへむけたリハーサルに入った。“ASKA CONCERT TOUR GOOD TIME”は、アルバム不在という一抹の不安のなか開幕した。が、蓋をあけてみれば、そんな不安が見事に吹き飛ぶようなロックショーがそこにはあった。過去5枚のアルバムの集大成ともいえるべき構成に、ファンが満足しないわけはなかった。
「ソロ活動、賛否両論ありますが、この“否”があるかぎりは、まだまだやっていこうと思っています」(ASKA)。最終の仙台公演を1週間後に控えた11月25日、恵比寿ザ・ガーデンホールにて“ASKA PRE-FINAL”と称したライブを開催。ASKAにとって初のライブハウス公演。
アンコールではCHAGEが登場。「火に油を注ぎにやってまいりましたー!!」(CHAGE)。
そして…
2001
4月25日『ロケットの樹の下で(c/w ふたりなら)』リリース。
2年の沈黙を経てCHAGE&ASKA始動。今秋からは約10年ぶりとなる全国ホールツアーへ。
そんなCHAGE&ASKAの今年のテーマは…“あいつもすごいが俺もすごい”